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 店の大型駐車場についたものの、ここに来てようやく、俺たちは重大な事実に気づいた。 「僕、この状態で店に入れないね」 「代わりに買ってきましょうか」 「ごめんね。じゃあ」  そう言って、かばんから二つ折りの財布を取り出し、1万円札を手渡してきた。 「本当に安物でいいから」 「俺、服とかよくわかんないんですけど」 「全部Lならなんでもいい」 「分かりました」  L、L、L。ハンガーの目印を頼りに、トレーナーを物色する。  細身だからそうは見えないけど、よく考えたら俺より少し背が高いんだから、当たり前だ。  適当に無地のトレーナーと、ウエストがひものゆるいパンツ、下着も靴下も同じサイズで、レジに向かった。  下着を選ぶとき、やましい膨らみを想像して死にたくなったけど、買い物だからと気を取り直して、ドット柄のボクサーパンツを選んだ。 「お待たせしました」  大きなビニールを下げて車に乗り込むと、エンジンをかけっぱなしの先生は、スマホをいじっていた。  画面から目を離さないまま、たずねる。 「悪いんだけど、着替えに寄り道していい?」 「あ、ここじゃ着替えらんないですもんね」  何も考えずに返事をすると、とんでもなく申し訳なさそうに、スマホの画面を見せてきた。  ビジネスホテル。  心臓が口から飛び出るかと思った。 「着替えたらすぐ出るから、ほんとごめん」  早口に言って、ぐるっと方向転換する。  あっけにとられて何も返事をしないでいると、先生はダッシュボードの下から飛び出たケーブルをこちらに渡してきた。 「それ繋いで、好きな音楽かけていいよ」  こちらをチラリとも見ず、進行方向をまっすぐ見ながら言った。  手早くチェックインを済ませ、4階の部屋へ。  こちらが申し訳なくなるくらい何度も平謝りされて、まあまあといさめる方が大変だった。  部屋に着くなりベッドの上のバスタオルとビニールを引っつかむ。 「シャワー浴びていい?」 「あ、はい。全然ゆっくりでいいですよ」  海水なんかかぶって、気持ち悪いに決まっている。 「俺、動画見てまったりしてるんで、ごゆっくり」  余裕の顔で手をひらひらと振って見送ったあと、盛大なため息をついた。 「はー……」  風呂場から、シャワーの水音が聞こえる。生唾を飲む自分の頭を殴った。  先生はあんなに申し訳なさそうだったし、そもそもふたりで出かけることについて『本当は教員として絶対ダメ』と断言しているほど、責任感のある人だ。  軽はずみに願望を口にしていいはずがないけど、こんな、ふたりきりで、おあつらえむきにベッドがあって……こんな機会一生ないのも分かっている。  水音が止み、ややあってドアが開く音がした。  扉1枚の向こうで先生が着替えをしているんだと思うと、心臓がどうにかなりそうだ。  動画の内容は目線を滑って何も頭に入って来ない。  扉が開くと、湯上りでほかほかとした先生が、笑顔でこっちへやってきた。  かっこいいひとなら何を着たっていいのか、俺が適当に選んだ服は、よく似合っている。 「おまたせ」 「さっぱりしました?」 「おかげさまで」  先生はふーっと長く息を吐いて、いつもの笑顔で俺の横に座った――もちろん、ベッドの上だ。 「このあとどうしようか? 思ったより時間くっちゃったなあ」 「先生何時まで大丈夫なんですか?」  俺が聞くと、先生は一瞬キョトンとしたあと、あははと笑った。 「僕はひとり暮らしだし別に誰に怒られるわけでもないし、何時でも。成瀬くんこそ、親御さんにはなんて言ってきたの?」 「帰るかわかんないって言ってきました」 「えー?」  驚いた先生が、こちらをのぞき込む。 「連休の1日くらい羽目を外していいって父親が言ったので」  どこへ出かけるにも必ず用件と帰る時間を伝えていた息子が、初めて適当な答えをした。  過干渉な母は相当怪しがって、いつ帰るか、誰と遊ぶかなどを細かくチェックしようとしたけど、父親が『高校生の男にそんなこといちいち口出すな』と言って、逃してくれた。  先生は、ちょっと困った顔をしたあと、眉尻を下げて微笑んだ。 「まあ、どこのお店にしても22:00過ぎたら大人同伴でも高校生は入れなくなるし、ぼちぼちのところで帰ろうね」  そう言って立ち上がろうとした先生の裾を、無意識で思いっきり引っ張ってしまった。 「おわっ」  バランスを崩した先生が、元の位置で跳ねる。 「あ」  どうしよう。何も考えずに引き戻してしまった。  慌てて言い訳を考えようと考えを巡らせていると、先生が、困ったような顔をした。 「成瀬くん」 「え?」  表情をうかがうと、口を半開きにして、じっと俺の目を見ている。  どうしたものかと黙っていると、先生は、ひとりごとのようにつぶやき始めた。 「元はと言えば、というかほぼ全部、僕の勝手だ。泣いてる君に長々話しかけたのも、もう立ち直ったという君を遊びに誘ったのも、海におっこちたのも、ここに来たのも、全部僕。引っ張り回して申し訳ない。それに、一緒に出かけることが君のためになってないことも分かってる。軽はずみに誘わなければ良かったって、何度も思った。だから、せめて最後に楽しい思い出を作って、さっぱりして帰ろうと思ったのに」  先生は、ぽつりと聞いた。 「どうして引っぱったの」 「え、っと……」 「僕と一緒に居たいから引き留めたの?」 「え……?」  先生の瞳は、切なげに揺れていた。  これは……先生も俺と同じ気持ちでいてくれたということでいいんだろうか。  いつから? 最初から? 遊びに誘った時から? 一晩考えてたと言ってたときか?  混乱して言葉を詰まらせていると、先生は眉根を寄せて笑った。 「きょうがあんまりにも楽しみで、ただの先生じゃなくて、もっともっと頼ってくれたらいいのになんて、そんなバカみたいなこと思ってたんだよ」 「ただの……」  二の句が継げないでいる俺から目をそらして、肩にかけたバスタオルで、ガシガシと頭を拭く。 「ねえ、どうして引っぱったの?」 「……先生は、ずるいです」

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