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 テーブルのそばに置いていたリュックの中から、おそるおそるスマホを取り出す。  画面をつけてみると、誰からも連絡は来ていなかった。  ほっとして、お風呂場に向かったあきの方へ振り返る。  あきは湯船に手をつけていて、温度を確かめてから顔を上げた。 「お湯溜まったよ」  ふたりで湯船に入る。  あきの背中に体を預ける形に座ると、あきが手を回して、俺の前で手を組んでぎゅっとしてくれた。 「最悪なこと言っていい?」  俺が唐突に聞くと、あきは不思議そうな顔をしたあと、「どうぞ」と言った。 「みんなに内緒で先生とこんなことしてると思うと、すごいドキドキする」  あきは俺の肩にあごを乗せた。特にコメントはない。 「実はさ、俺、あきと付き合う前、何回もあきのこと想像して抜いた」 「へえ」  あきは、興味深そうにあいずちを打った。 「優しい三船先生が俺にエッチなことしてるって思ったらすごい興奮して、巨乳の女の人の画像とか見るより気持ちいいから、頭の中であきにいけないこといっぱいしてもらった」  組んでいた手がそろっと動いて、水面がちゃぷんと音を立てた。 「想像通りだった?」  聞かれて、俺は頭をぶんぶんと横に振る。 「全然。あきは優しい」 「物足りなかった?」  またぶんぶんと振る。 「幸せな気持ちになった。想像のと全然違って、あきは俺が分かんないこといっこずつ教えてくれるから……それはそれで先生っぽくて、やっぱり興奮したし気持ちよかった」 「可愛い。こっち向いて」  上半身をよじって振り向くと、俺しか知らない穏やかな表情をしたあきが、濡れた手で俺のおでこをなでた。 「深澄が僕を見る目がどんどん欲しそうになっていったのは、それが理由かな」 「へ? そんなに分かりやすかった?」  だだ漏れに欲情していたのだとしたら、ものすごく恥ずかしい。 「まさかそんな想像までしてるとは思わなかったけど。教師を見てる目ではなかったかな」  あきは、あははと笑う。 「でも可愛いなって思ってた」 「う」  ……4月に戻って、自分の頭をスコンと叩いてやりたくなった。 「僕は、生徒とこんなことしてるとか考えると思考がダメな方向に行っちゃうから、ただ深澄と好き合ってるだけ、って思うことにしてる」 「そっか」  やっぱり、お付き合いに浮かれてる子供の俺とは違うんだと思う。 「学年違ってよかったね」 「え?」 「授業中に深澄のこと見なきゃいけなかったら、辛くてたまらなかったかも」 「俺は、現国だけめちゃくちゃ成績下がってたと思う。たぶんロクに授業聞いてないだろうなって」  あきは何も言わずに、俺の耳に口づけた。 「上がろっか」 「うん」  ざっと体を拭いて服を着ていると、テーブルの上に置きっぱなしのスマホが鳴っていた。 「出ないの?」  あきが指差したけど、俺は画面を見ることもなく、首を横に振った。 「いまは誰にも邪魔されたくないから」  無視をして、耳をふさぐようにあきに抱きつき、ぐーっと顔を押し付ける。  あきはちょっと困っていたけど、俺のことを尊重してくれて、いいこいいこと頭をなでた。  バイブが止まる。  ほっとしてあきの顔を見たら……急に泣けてきた。 「深澄?」  ぽろ、ぽろ、と涙が落ちる。  見られないように、あきの胴体に顔を押し付ける。 「なかないで、みすみ」  あきは、抱きしめて、赤ちゃんみたいに背中をトントンと叩いてくれた。 「あき。俺、嘘つきたくないよ」 「そうだね」 「あきといるときは、あき以外の世界中に嘘ついてる」 「うん」 「みんなに内緒でドキドキもするのなんて、ちょっとした瞬間だけだ。ほんとは嘘だらけなんだもん。俺」  あきは、黙って背中をさすってくれている。  俺は本格的に泣き出してしまいそうなのをこらえて、頭の中で自分に『バカかお前は』と怒った。 「深澄。顔上げて」 「むり」 「じゃあそのまま」  あきのあったかい手が、ゆっくり頭の上をなでていく。 「深澄は悪くないよ。もし世間がこのことを知っても、みんなが責めるのは僕だ。それは、心がとか、気持ちがとか、愛がどうとか……そういうのは全然関係なくて、全部僕が悪い。だって、大人だもの」  ぱっと顔を上げた。  あきは笑っていて、混じりけのない笑顔が、それが事実であるということをはっきりと伝えていた。 「でも……」  と言いかけて、何ヶ月か前のニュースを思い出した。  中学で、39歳の女性教諭が、教え子と遊園地に行って懲戒免職になったという記事だ。  たしか、不審に思った親が子供を問い詰めて、先生とキスしことを白状したという内容だったと思う。  女性教諭は『いけないとは分かっていたが、求められることがうれしくなってしまった。ご家族には大変申し訳なく思っている』と話した……と書いてあった。  そのとき俺は、『なんで40のおばさんと付き合ったんだろ。バカじゃないの』なんて思った記憶がある。  自分の身に置き換えてみる。  高校の20代男性教諭が、教え子の男子生徒とラブホテルに入り、下半身を触るなどの不適切な行為をした。  男性教諭は『いけないとは分かっていたが、求められることがうれしくなってしまった。ご家族には…… 「あき!」  それ以上考えたくなくて、大声で名前を叫んで、ぎゅーっと抱きついた。 「やだ。やだやだ」 「何が?」 「誰にも迷惑かからないじゃん。俺とあきが付き合ってたら、どこかの国が滅ぶの? 誰か死ぬの?」  頭の片隅では、無茶苦茶なことを言っているのは分かってる。  でも本心では、そんな無茶苦茶なことを思っている。 「深澄」  あきの声が、先生だった。 「法律がダメって言ってる」 「女の子だったら16でいいじゃん」 「でも深澄は男の子」 「でも、」  言いかけたところで、あきが、口にほんの少し触れるだけのキスをした。 「全責任をもって君を守るから、深澄は僕のことを好きでいてよ。悪いのは僕。嘘をつかせちゃうのだけは、ごめんね」  ハッとした。  嘘なんかつきたくないって思ってたけど、あきはもっと大きな嘘をたくさんつかなければいけなくて、もし俺たちが終わったときに罪をかぶるのは、全部あきだ。  あきばっかり負担な現状が、すごく嫌だ。  でも、子供の俺にできることと言ったら、自分の親を(あざむ)き倒して、あきを守るくらいしかない。 「ううん。ごめん。俺わがまま言った。これからも、ガリ勉でまじめで親の言いなりの成瀬深澄でいる。それで、親にも友達にも、大嘘ついて生きる。卒業までは」 「そんなに卑下しないで?」  あきは困ったように笑ったけど、俺は口を真一文字に結んで、首を横に振った。 「嘘をつくのが、あきを守ることだから。俺がいつもどおりの深澄を演じるのが、俺たちの形を壊さずにいられる最善の方法だと思う」  あきは、目を細めて微笑み、俺の頭をなでた。 「深澄は、可愛いけどかっこいいね」  テーブルのところまで歩き、着信履歴から、母親に電話をかけた。 「ごめん、カラオケしてて気付いてなかった。いまから帰る。うん、じゃあね」  切るボタンをタップしたあと、あきに向かって、指で作った丸を見せた。

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