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 平和式典が行われる広島市に向けて出発したのが、6:00。  名残惜しく何度もキスをし、事に及びそうになったところをぐっとこらえて、宿を出た。  制服姿で電車に揺られる俺を見て、あきが、本気で苦笑いをする。 「なんか、本当にいけないことしてる気分になっちゃうね、これ」 「……ほんとごめん、付き合わせて」  旅行の出発前日、母親とバトルになった。  服装のことだ。  俺は、別に正式に式典に出るわけじゃないし、見るだけだからTシャツでいいと主張した。  でも母親は、ちゃんとしていきなさいと言って制服をかばんに詰めようとした。  また父親に援護射撃してもらおうと思ったけど、まさかの『慰霊に行くのだから失礼のないようにしろ』と返り討ちにあい、折れた。  まあ、親の言うとおりではある。  仕方なしにあきへ報告したところ、あきも、ジャケットとネクタイはなしの略式ではあるけど、学校で着ているスーツのスラックスとワイシャツを持ってきてくれた。  というわけで、いま並んでいる俺たちは、完全にお互いの日常を見ている形だ。  すごくもやもやした気持ちでいる。 「やっぱり変に見えるかな?」  小声で話しかける。  あきは私服だと若く見えるけど、スーツ姿になると、完全にかっこいい大人。  そして俺は、制服を着た瞬間、ただのまじめな高校生になってしまう。  見た目は完全に10離れた。 「カチッとした服装のひとは多いだろうし、そんなに目立たないと思うけど」 「あんまりくっつかないようにするね」  足元を見ると、綺麗な革靴と、2年ちょっとでだいぶ形が崩れたローファーが並んでいる。  やっぱり、あきと居るいうよりは、三船先生と一緒にいる感じ。 「まあ、趣旨は被爆者の方々への祈りだからね。僕たちの見た目のことは、とりあえず置いておこうよ」 「うん。大事なことだけ見ることにする」  あきは、俺の頭をなで……かけてやめた。  その代わり、にっこりと微笑んで俺の顔をのぞき込む。 「その場にいるだけでも、きっと得るものや感じることがあるよ。ただふらっと見て参加するよりも、こうやってきちんとしてきた方が、主体的に考えることもできるかもしれないし。ご両親の言うとおりだと僕は思うな」  完璧に、三船先生としての発言だ。  こうやって説明してもらえると、一生徒としてすごくうれしくなる。  人生経験という意味で良い先生に恵まれたなと、純粋に思うからだ。  厳かな雰囲気のなか、式典が始まった。  俺たちは、輪の外側の遠いところから見守っている。  静かに黙祷(もくとう)を捧げ、改めて、平和な日常を生きていられることに感謝の気持ちを持っていなけれらればならないな、と思った。  あきは、ピンと背を伸ばし、静かに正面を見据えている。  何を思っているのかは分からないけれど、なんとなく、ずっとこんな感じが続いたらいいなと思った。  1時間ほどで式が終わったあとは、原爆ドームの大混雑を避けて一旦カフェに入り、朝昼兼用のブランチをとった――ここもすさまじい混雑だったけれど。 「あきと来てよかった」 「それはうれしいな」  ニコニコと微笑む。 「ひとりで見るより、いろいろ考えた」 「たとえば?」 「あきと会えたこととか、一緒にいることとか……当たり前にできてることは、実は当たり前じゃないんだなって思って。もっと瞬間を大切にしようと思った」 「そうだね」 「あとは、勉強頑張ろうって。したくてもできなくて、夢とかあったひともたくさん犠牲になったはずだから」  あきはうんうんとうなずいてくれた。 「深澄は自分のことを、『勉強しか取り柄がない』なんて言うけど、僕は、自分の心に触れたものを素直に感じられる深澄が、すごくすてきだなって思うよ」  手を伸ばしかけたあきがそれをひっこめて、はにかんだ。 「着替えておいで。早くくっつきたい」 「うん」  かばんを持って、そそくさとトイレに向かった。  旅の感想を総合的にまとめると、8月6日という特別な日に広島に来て、本当に良かった。  本音を全部見せ合って、一緒に居られることがすごいことなんだと気づいて、いまはあきのことを、前よりももっと大事に思える。  あきは、ずっと隣に居て欲しいひと。  ずっと隣に居たいと思えるひと。  帰りの新幹線のなかで、実は、ちょっとだけ泣いた。  あきはかなり驚いて、「どうしたの」と何度もなでたり手を握ったりしてくれて……そうされればされるほど、うれしくて泣けてどうしようもなかった。  卒業までに、こんな風にゆっくり過ごせるのなんて、最後だと思う。  冬休みは受験直前で、旅行どころじゃない。  と考えると、先生と生徒として遠出をするのは、これが最初で最後だと気付いた。  早く卒業したいとばかり思っていたけど、ふたりが出会った学校の中で一緒に過ごせるのは、一生の中でいましかないんだ。  大事にしなきゃな、と思って、泣いた。 「泣かないで、深澄」  キスされる直前にぼんやりと見えたのは、窓の外を過ぎ去る、青々とした8月の田んぼだった。 <4章 夏旅 終>

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