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 自由行動を終えて、ホテルに戻った。  別の班だった川合と梅元はなんだかぐったりしていて、山口は、笹井さんプロデュースのもと買った彼女への指輪の箱を眺めてニヤニヤしていた。  俺は、紙袋をコソッと旅行かばんに入れる。 「マジで疲れた。女子の体力どーなってんだよ」  そう言って川合は、TOKYOと書かれたキャップをとった――はしゃいで買ったと思われる。 「あ、もう時間だ」  梅元が指差した時計は、夕食前のディスカッションの時間を告げていた。  4人で連れ立って、会議室へ。  ディスカッションは、1クラスを2グループに分けて、6クラスの中でシャッフル。3回に分けて行う。  廊下の向こうから、1回目を終えたひとたちが歩いてきた。  三船先生もいる。ワイシャツとスラックス姿に着替えていて、ちゃんと先生だった。  変なところ見られてしまったことを思い出し、少し胸がズキッとする。  すれ違いざま、先生は他の生徒と話していたし、俺は3人の方を向いたので、お互いを見もしなかった。  夕食を食べて、入浴も済んで、修学旅行最後のお楽しみ、自由時間。  大体の男はトランプ……なんかをすることもなく、携帯ゲームで大人数対戦をしたりしている。  修学旅行の前日、『2日目の自由行動は卓球でもしてようかな』と言った三船先生対して、俺は『部屋のみんなを誘って行くよ』と答えた。  でも、そんな感じじゃない。  ゲームに何試合かは混ざってみたけど、一向に終わる気配もなく。  どうしようかと思ったけど、まじめな成瀬がゲームから離脱するのは別に不自然なことではないので、普通に「外でフラフラしてくる」と言って、部屋を出た。  エレベーターを降り、ロビーへ。廊下を抜けたら遊戯室だ。  ……といったところで、ふいに名前を呼ばれた。 「成瀬くん」  振り返ると、高岡さんだった。 「ちょっといい?」 「ん? いいけど」  本当は、全然よくない。  ホテルの外へ連れ出されて、玄関横の喫煙スペースのあたりに来た――間仕切りがあって、誰もいない。 「成瀬くんってさ、純粋な感じでいいよね」 「え? そんなことないと思うけど」 「んーん。なんか、他の男子みたいに調子乗らないし、頭いいし、優しい」 「えっと……ありがとう」 「あと、まじめだから、彼女がいたら大事にしそう」  何を言われるのか、さすがの俺でも分かる――どう断るかより、どうごまかすかを考えていた。  高岡さんは、足元を見てすうっと深呼吸して、照れながら言った。 「あたし、成瀬くんのこと好きになっちゃった。よかったら、付き合ってください」  とりあえず、面食らった反応をしてみる。まじめな成瀬は、そんなこととは無縁だからだ。  そして、「え……」と言ったきり、フリーズしてみる。これはただの時間稼ぎ。  高岡さんは少し上目遣いでこちらを見ていた。  たぶん普通に彼女がいたことない男だったら、すぐにOKすると思う。 「えっと……ごめん。付き合うとかは、受験に集中したくてっていうのと、その、高岡さんのことあんまり知らないから、無理かな。ごめんね」  高岡さんは、口をきゅっと結んだあと、明らかに無理をして笑った。 「そうだよね。同じ班って決まってからちょっと話しただけだし。でも、好きでいてもいいかな?」  ……やっぱり。  そう言われるかもしれないと思って、どうごまかすかを考えていた。  好きでいられては困る。  他に好きな子がいるとでも言えば話は早いのだけど、まじめな成瀬に好きな女子がいてはいけない。  キャラを崩せば、ボロが出る。  いつもどおり、いつもどおりで3月までの学校生活を終えられる方法。 「好きでいていいかとかは言える立場じゃないけど……でも俺こんな感じだし、話も合わないと思うから、高岡さんは別のひとの方がいい気がする」  言い訳ではあるけれど、事実でもあるし、申し訳なく思いながらもそう告げた。  高岡さんは、少し寂しそうに、ちょこんと首をかしげた。 「んー、そっか。そうだよね。急にごめんね。でも、これからもクラスメイトとしては話しかけたりしてもいいかな?」 「うん。いいよ」 「ありがとう。じゃあ、ほんとごめんね。おやすみ」  高岡さんは、早足でホテルに戻って行った。  俺はそれを見送ってから、再び遊戯室に向かった。  あきに会いたい。  ほぼ駆け足で大浴場の横を通り過ぎようとした、そのとき。 「……三船先生?」  マッサージチェアで、目の上にハンドタオルを乗っけたまま溶けている三船先生がいた。 「深澄だ」 「は?」 「遅いよ。疲れちゃったから逃げてきた」  タオルを取らないまま、空中に向かってつぶやいている。  誰かに見られてやしないかとキョロキョロしたけれど、誰もいなかった。 「何試合したと思ってるの。男子は本気で負かそうとしてくるし、女子はダブルス組みたいって言って列を作るし。僕、短距離走者だよ? そんなに体力ないよ」 「あの、三船先せ」 「あき」 「えっ?」 「あき」  すねてる? 怒ってる?  タオルのせいで、表情が分からない。  ウィンウィンとマッサージチェアが音を立てて、Tシャツにジャージ姿の三船先生の背中を、ぐーっと反らせる。 「あの子、ずいぶん好かれてたね」 「あ……ごめんね、変なとこ見せちゃって」 「深澄とは違うタイプの子に見えたけど。一緒にいたら好きになっちゃったのかな」 「…………ごめん。あの、実はさっき……」  ちょっとした沈黙のあと、とても平坦な声で言った。 「だから遅かったのかあ」 「ごめんね。ちゃんと断ったよ」  また沈黙。  三船先生は、ひざの上に置いた財布を持って、ひらひらとさせた。 「マッサージしすぎて100円玉が切れちゃった。ジュースが飲みたかったのに。ロビーで両替してこなくちゃ。それと、トイレにも行きたい気がしてきた。そういえば、ロビーからまっすぐ行った先の目立たないところにあったなあ」 「……はい」  元来た道をとぼとぼと歩き出す。  三船先生はそのまま動く気配がないので、俺はひとり、ロビーの先のトイレとやらを目指して行った。  個室にこもっていると、コンコンとノックされた。 「入ってます」 「僕も入りたいです」  鍵を開けると、するりとあきが滑り込んできた。  そしてほとんど聞こえないくらい小さく、耳元でささやく。 「僕はダメな先生みたい。みんなでワイワイなんて言ったけど、ほんとはこうしたかった」  そっとくちびるを重ねてくる。  心臓がどうにかなりそうなくらいドキドキして、たまらず、あきのTシャツの裾を握りしめた。 「なんて言われたの?」 「他の男子みたいに調子乗らないし頭いいし優しい、あと彼女がいたら大事にしそう」 「見る目あるね、その子」  のぞき込むと、いつもの優しいあきだった。  何度もなでられる。 「でも、深澄がこんなキスするなんて、誰も知らない」  あきは口をあーんと開けて、ほんの少し、赤い舌を見せる。  俺はその舌をちゅるっと吸って、そのままあきの口のなかに舌を差し込み、あちこち探った。  あきは俺の舌を押しのけて、俺の口のなかに侵入してくる。 「……っ」  声が出ないよう、息だけで逃す。耳が熱い。ぽわっとする。  唾液の絡む音が鼓膜を刺激して、目をうっすら開けると、あきの目もトロッとしていた。  何てことをしているんだろうと思うと、たまらなくゾクゾクして、背中に回した手をぎゅっと強く握った。 「みすみ、かわいい」  永遠にこうしていたかったけど、あきはそっと体を離して、時計を見た。  優しく微笑み、頭をなでる。 「時間だね。僕もたくさん言い訳しなくちゃいけないことがあるから、代休の日にうちにおいで」 「うん」  名残惜しそうにもう1度キスを落としたあきは、三船先生になって、トイレを出て行った。

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