54 / 80
8-2
おなじみになりつつある、ギリシャ神殿みたいな見た目のラブホテル。
きょうは会議室みたいに入るのだから面白い。
ベッドに腰かけ、靴下を脱ぎ、リラックスした状態で話を始める。
「僕個人の意見だけど、深澄の進路の選び方は、ある意味理想的だと思う」
ちょいちょいと手招きされてちょっと距離を詰めると、肩を引き寄せられたので、そのまま体重を預けた。
「ほとんどの子は、なんとなくネームバリューとか偏差値とかで選んで、入学してから何の授業を取ろうかとぼんやり考えてフィーリングで決めて、ゼミもなんとなくやれそうっていうだけで入って、それで義務的に単位を取る……そういう過ごし方をすると思うんだ。でも深澄は違う。学びたいことが先にあって大学を選べるって、幸運なことだと思うな」
頭をなでられると気持ち良くて、軽く目を閉じた。
「深澄はラッキーだよ。その著者がたまたまハイレベルな学校で教鞭 をとっていて、深澄自身にも成績的にポテンシャルがある。それに、人並み以上に努力できる根性もあるよね。学校選びとしては、理想的だと思う。信じて突き進むべき」
「そうかな」
「僕はそう思うよ。だって、そのひとから教えてもらえないんだったら勉強したくない、って思ってるくらいでしょ?」
「うん」
「じゃあもう、そこへ行くしかないじゃない」
進路相談に乗りながらおでこにそっとキスを落とす先生なんて、この世に居ない。
大事にされてる感じがする。
「就職は? できるかな?」
「どうとでもなるよ。その本、問題解決の魔法って書いてあるじゃない。そういうことができる人材が欲しい企業、いっぱいあると思うなあ。どこへでも行けるよ。もし専門性を活かしたいなら、シンクタンクとかコンサルタントみたいな、何かの経営や運営のお手伝いをする仕事かな」
「ありがとう三船先生」
「こら、先生じゃない。あき」
「だって先生っぽかった」
ちょっと笑いながら、あきの胴体にむぎゅむぎゅと抱きつく。
「まあ、実際に入学して勉強しながら、こういう仕事があるんだなって分かってくるだろうし。先のことはあまり身構えずにね」
ねこみたいに頬ずりをする。あったかくて、ずっとこうしていたくなる。
「ねえ、あきはどうして高校の先生になろうと思ったの?」
「ん? そういえばその話はしたことがなかったね」
あきの高校生時代の話。わくわくする。
「僕は、高3の国語の授業で、人生狂わされちゃったんだよね」
「人生が狂う? って?」
「森鷗外の『舞姫』。こんな物語があるんだって、衝撃的だった。それまでは本なんてロクに読んだことがなかったけど、狂ったように読み始めた。将来の夢も、工学系のつもりだったのに、気づいたら教員を目指してた。教えてくれた先生みたいになりたいって、前が見えなくなるくらい憧れちゃって。家族も担任も全力で止めにかかってきたけどね」
「先生に、先生になることを止められたの?」
「そう。もったいないって。笑っちゃうよね」
そう言って肩をすくめた。
「じゃあ、あきは元々理系なんだ?」
「うん、バリバリの理系。3年の1学期で文転するなんてバカじゃないのかって、すごい怒られた。動機も不純だし」
たしかに、文転するというと『数学で点が取れなくて泣く泣く』みたいなケースが多いし、もったいないという周りの意見は分かる気がする。
「どうやって説得したの?」
「1学期の期末テストで、国語を満点取った」
「満点!?」
「そう。2年の学年末では70点くらいだったんだけど。古文は夢に出るほどやったかな」
布団のなかで苦しそうな表情をしながら、『ありをりはべり……』とか寝言を言ってる秋人少年を思い浮かべる。
「親に何も言われたくなくて、全然口聞かなくて、ずーっと勉強したり本読んだりしてた。変な風に反抗期が来ちゃったみたい。意地になってたかな」
「親としては最高の反抗期の迎え方だと思うけどね」
そう言えばあきは、2年生の時に少しだけ不登校になったことがあったと言っていた。
順風満帆に先生の夢を叶えたのだと思っていたけど、全然違ったんだなと思うと、心の底から尊敬できた。
「あきはやっぱりすごいなあ。生き方がかっこいい」
「行き当たりばったりだよ。でもまあ、深澄に会えたから全部正解だったと思う」
とんと肩を押されて、ぱたっと後ろに倒れた。両手をベッドに押し付けられる。
「あとは? 何か聞きたいことある?」
「あき、全然聞く気なさそうに見えるけど」
「終わったら聞くから」
「特にないよ」
それが合図のようになって、静かに、深いキスをされた。
ともだちにシェアしよう!