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予備校の授業が増え、自習室にこもる時間も長くなり、全然あきと会わなくなった。
その代わり、少しだけ電話をするようになった。
予備校帰りに5分くらい、途中の乗り継ぎ駅の影で、誰にも聞かれないようにこそっと話す。
「いまから帰るよ」
『おつかれさま。どう? 公民の授業』
「楽しいよ。途中からだし、他のひとはもうラストスパートの段階だから、ついてくの大変だけど」
『そう、なら良かった。他の教科にも張り合いが出るんじゃない?』
「うん。大学でもっとやりたいなーって思ったら、英語の暗記とか何にも苦じゃなくなった」
とりとめのない話を少しして、おやすみと言って電話を切る。
本当に小さなことだけど、癒し。
電車に揺られてささやかな幸せを噛みしめていたのだけど、ふいに俺は気づき、思わずつぶやいた。
「俺、自分の話ばっかで、全然あきの話聞いてないや」
それから、最近少し、気になってることもある。
学校で三船先生とすれ違うとき、少し寂しそうにこちらを見ている気がする。
前までは、学校で会ってもお互い見もしない……いや、俺はチラチラ見てしまっていたけど、三船先生とはほとんど目が合わなかった。
ポーカーフェイスだと言っていたけど、まさにそのとおりだと思う。
そんな三船先生と、高確率で目が合う。そして先にそらすのは俺の方。
やっぱりあきはあきで、寂しいのかな。
そう思っていてくれてうれしいような、でも少し申し訳ないような。
仕方のないことだと割り切るしかない。合格発表を聞くまでは。
12月に入った頃には、俺の疑念は確信に変わっていた。
あきの、いや、三船先生の様子が変だ。
電話では元気そうだし、様子はどうかと聞いても、きょうも無事に仕事してきました、と言うだけ。
でも、学校で会うと、ちょっと見ている。
ふと、付き合いたての頃に聞いた話を思い出した。
あきが俺のことを好きになった理由。全然自覚がなかったけど、こんなことを言っていた。
――深澄が僕を見る目が、日に日に可愛くなっていった。
――すごく欲しそうな顔をするのに、はなから僕のことをあきらめてた。
確か、そんなことを言っていた気がする。
そして、いまの三船先生が、俺には同じように見える。
可愛く見える、というところは違うけど、どんどん寂しそうというか、悲しそうになっていくし、『欲しそう』と表現したあきの気持ちが、よく分かる。
いまきっと俺は、あのときの三船先生の気持ちを追体験しているんだ。
目は口ほどに物を言う、とはよく言ったもので、三船先生の、『会いたい』『話したい』『触れたい』という無言のメッセージが、ガンガン伝わってくる。
そんなことを考えながら廊下を歩いていたら、真正面から三船先生が歩いてきた。
真顔のままチラッとこちらを見た先生に、俺は思い切り体当たりをした。
「うわ!」
バランスを崩す先生の腕をつかむ。
「すいません。大丈夫ですか?」
目を見開いてしばしフリーズした三船先生は、ハッと我に返って言った。
「あ、うん。ごめんね、ぼーっとしてて。怪我ない?」
「いや、全然。すいません」
1歩踏み出そうとする三船先生と、わざと同じ方向へ踏み出し、もう1度ぶつかる。
「わっ」
今度は俺がしりもちをついた。
「ごめん、大丈夫?」
慌ててしゃがみこむ三船先生に、こそっと一言。
「あき」
「……うん」
先に立ち上がった三船先生が手を差し伸べてきたので、俺は手を握って体を起こしてもらった。
「足くじいたりしてない? 平気?」
「なんともないです」
「そう。良かった」
「すいません、じゃあ、失礼します」
頭をぺこりと下げて、通り過ぎる。
少し振り返ると、あきはちゃんと三船先生をしていて、こちらを振り返ることはなかった。
よかった。
こんな形でごめんと思いながら、少し安心してもらえたならそれでいいと思った。
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