62 / 80

9-1 解放

【名  前】成瀬 深澄 【フリガナ】ナルセ ミスミ 【志望学部】政治経済学部 【志望学科】政治学科  緊張しながら、マウスをクリックした。  ウェブ出願完了。ついに受験が始まった。  12月24日、冬休み初日の晴れやかな朝だ。  入試本番までの2ヶ月、俺は、1日最低11時間のノルマを自分に課した。  休みは、予備校が休みになる元旦だけ。  家族は父方の実家に1泊するけど、俺は留守番すると言って断った。  正月くらいいいだろうと言われたけれど、無駄にダラダラして集中力が途切れたら嫌だ。  ……というこの言い訳は、半分本当で半分嘘。  祖父母宅で無意味にお笑いを見る暇があるなら、あきと初詣に行きたい。  合格祈願とデートを兼ねる。  それくらいは許してほしい。  予備校の帰り道。  クリスマスイブに浮き足立つ乗り換え駅の隅で、いつも通り電話をかけた。 「もしもし」 『おつかれさま』 「今朝出願して、予備校にも報告してきた。政治学科」 『うん。頑張ってね』  少し沈黙する。 「いま目の前、カップルだらけだよ。あと、イルミネーションがすごい」 『クリスマスイブだものね』 「女の子みたいに、クリスマス絶対一緒に居たいとか言うわけじゃないけど……なんかみんな楽しそうにしてると、俺もあきと会いたいなあとかちょっと思っちゃう」 『僕は全然思わないけど』  つれない返事に、拍子抜ける。 「あきはそういうイベントとか気にしない派?」 『いやあ。受験生相手にそんなこと思わないよ。そんなこと言い出したら、君の入試前日にチョコレートを持って押しかけることになっちゃう』  これは、前みたく俺に合わせて我慢をしているわけではなく、本心でそう思っているんだろうなという感じがした。 「あー、あのさ。あき、元旦は何してる? 実家に帰るの?」 『元旦は家にいるよ。両親は姉夫婦とハワイに行くみたいで』 「友達と会ったりは?」 『忘年会があるから、お正月には会わないかな』 「えっと……じゃあさ。初詣行かない?」 『え?』  あきは、びっくりしたように声を上げて、そのまま会話が止まってしまった。 「予備校が元旦だけ休みなんだ。家族はばあちゃんの家に泊まりだけど、俺は行かないから。その、あきが良ければ」 『行きたい。行こう』  即答だった。すごくうれしそうに。  行き先をどこにするかとかは、あきが全部お膳立てしてくれることになった。  もちろん、勉強に支障が出ないようにという、あきの配慮だ。 「体力的な負担を考えると近場がいいのかなと思うけど、ひとに会ったら困るからなあ。いい塩梅のところがないか、探しておくね」 「うん、楽しみにしてる。じゃあね」  メリークリスマス、とは、あえて言わなかった。  言ったら、会いたくなっちゃうかなと思ったから。  毎日11時間。正直、きつい。  なぜそんなノルマを課したかというと、すごく単純な話で、テレビに出ていた有名大学のクイズチャンピオンが、大学受験の時に1日10時間勉強していたと言っていたから。  チャンピオンが10時間かかったなら、凡人の俺は11時間やらなきゃな、という、ぼんやりした理由だ。  昼ごはんは、校舎内の飲食エリアでお弁当やコンビニ飯を食べるか、近くのお店で食べるかのどちらかで、何にせよ、混む。  いつもは菓子パン1つで済ませてしまうのだけど、12月30日、晦日(みそか)のきょうは、どうしてもお腹いっぱい食べたくて、牛丼屋に来た。  食券を買う。たまの贅沢は許して欲しいということで、大盛り、温泉卵つき。  カウンターの適当な席に座ったら、偶然隣が、重田だった。 「おー、成瀬。久しぶりじゃん」 「思ったより会わないよね」  通常授業では週に何コマかかぶっているのでちょろっとした会話はあったのだけど、冬休みは冬期カリキュラムになって、全然姿を見ていなかった。 「調子どうよ」 「んー、ぼちぼち?」 「成瀬のぼちぼちは信用なんねえよなあ。絶好調だろ?」 「いや……疲れてる、かな」  つい、本音をぽろっとこぼしてしまった。  重田は、おや?っという顔をしながら俺の顔をのぞき込んだ。 「珍しい、成瀬が弱音なんて。お前、見た目とは違って意外とスポ根なのにな」 「スポ根……?」 「勉強時間は嘘をつかない、努力すれば必ず目標は達成できる、みたいな」 「そんなこと1回も言ったことないけど」 「いや、勉強の仕方と結果の出し方が」 「ふーん」  まあ確かに重田の言う通りで、11時間とかいう根拠のない数字を考えたのも、スポ根と言えばスポ根だ。  地頭の良さとか要領の良さとか、そういうのは十人並みだと自覚しているので、それなら量やるしかない……というのが、中学生くらいの時点で思ったことなのだけど。 「ま、きょうとあした頑張れば、休みだから。正月何すんの?」 「初詣」 「へえ、それも意外だな。成瀬なら『人混みで風邪もらいたくないから家で寝てる』とか平気で言いそうなのに」  にひひと笑う重田を、じとっと見る。 「どんなキャラだと思ってるんだよ」 「んー、分かんないけど。なんか変わったな、お前」  言われてドキッとする。そして、あきの顔がチラついた。  あきのことはあまり考えないようにしているのだけど、こういう思い出し方は、会いたくなってしまうから困る。  タイミングよくふたりの牛丼が届いた。 「まあさ、あんま根詰めず。お年玉で何買うか妄想したり、エロ動画見たりさ」 「バカ」  水を飲んで、話を終わらせた。

ともだちにシェアしよう!