67 / 80
9-6
2月8日 10:05。
重田からひとこと、メッセージが来た。
[受かった!]
きょうは、重田の第1志望の合格発表だった。
時間的に、ネットで合否発表を見て、すぐに送ってきたのだろう。
予備校で自習中だったので、すぐにこう返信をした。
[おめでとう! 電話していい?]
すぐにOKという返信が来たので、自習室を出て、自販機などがあるちょっとした休憩スペースに移動し、電話をかけた。
「もしもし」
『なーるせええええ! 受かったあ!』
「おめでとう!」
当たり前だけど、すごい喜びようだ。
『あー……ほんと、良かった……』
叫んでいたと思いきや、今度は脱力している。思わず笑ってしまった。
「咲良ちゃんは? 喜んでたでしょ」
『いや、咲良にはまだ。っていうか、成瀬に1番に報告したくて』
「えっ」
びっくりしていると、重田はへへへと笑った。
『成瀬がめちゃくちゃ勉強してるの見て、俺も頑張ろうって思ってたからさ。成瀬のおかげだと思ってる。ありがとな』
「いやいやいや、俺何もしてない」
『ほんと、まじめな話、成瀬のおかげなんだって』
なんだか、じーんとしてしまった。
友達の合格もうれしいし、同じ予備校で学んだ戦友みたいな意味でも誇らしいし、俺をモチベーションしてくれていたなんて、考えもしなかったから。
『別に受かったから余裕発言とかじゃなくて……マジで、頑張れよ』
「うん。ありがとう」
俺の試験が終わったらゲーム三昧しようということで約束をし、電話を切った。
本番まで、あと7日。
緊張しないと言えば嘘になるけど、少しずつ明らかになっていく友達の合否には、案外心を乱されたりしない。
焦りもないし、プレッシャーもなく。
試験前日まで、いつも通りに勉強して過ごすだけ。
2月に入ってから、3年生は自由登校になったので、俺はずっと予備校にカンヅメで、あきの姿を1週間以上見ていない。
メッセージのやり取りはちょこっとするけど、電話は会いたくなったり集中できなくなる気がするので、それもやめている。
勉強して新しい知識を蓄えるというよりは、上限まで詰め込んだ知識を試験日まで維持する。
平常心で居られるよう努める。
そんな感じで、入試前日の夜を迎えた。
お風呂上がり、部屋に向かう更紗に声をかけられた。
「お兄ちゃん、あした、頑張ってね」
「うん」
それ以上、何か励ましたりするわけでもなく、にこっと笑って部屋に戻っていく。
普段はうるさくて、余計なお世話みたいなことをばかり言う妹だけど、本当に応援してくれているんだなということがよく分かった。
部屋に戻り、充電器に差しっぱなしのスマホを手に取る。
そしてベッドにもぐり込み、頭まで羽毛布団をすっぽりかぶる。
連絡先一覧から、あきの電話番号をタップした。
『もしもし』
「俺。みすみ」
『……電話くれないかなって思ってたところ』
その声色で、恥ずかしそうに笑うあきの顔が、目に浮かぶ。
「声聞きたくなっちゃって」
『うん』
「あ、ナーバスになったりしてるわけじゃなくて、普通に。あきの声が聞きたかっただけだよ。聞くとほっとするから」
『そっかそっか』
短くあいづちを打つだけなので、聞き役に徹してくれようとしているのかなと思った。
「きょうはもうこれで寝ようと思ってて。まだ21:00だけど」
『それがいいね。眠れそう?』
「あきのこと考えて寝る」
『そのくらいがちょうどいいかも』
思い詰めたりするよりはね、と付け加えて、あきは笑った。
ほっとする。
ピリピリしていたつもりはなかったけど、やっぱり無意識に気を張っていたのだろうか。
なにか、自分を覆っていた氷のようなものが溶けていって、ナチュラルでニュートラルな自分が顔を出していく感じ。
あきの声は、そんな不思議な力を持っている気がする。
「あしたは天気いいみたい」
『そうだね。交通機関で遅れたりしなさそうだし、そこは安心かな?』
「ああいうのは平常心と集中力を削ぐから」
『いつも通りの深澄でね』
「ありがとう。いつも通りでいられれば、受かる。あ、あきにもらったお守り持っていくよ」
『うん』
短い会話だけど、満たされた感じがする。
「それじゃあ、おやすみ」
『うん、おやすみ』
あきは『頑張れ』とはひとことも言われなかった。
たぶん、ずっと、俺の頑張りを見ていてくれたからだと思う。
本当に俺は、ひとに恵まれた。
友達や家族は本気で励ましてくれて、勇気づけられたし、恋人は、俺に寄り添ってくれた。
寝よう。これが俺の受験勉強の、最後の課題だ。
そして、朝。
予報通りの、清々しい快晴。
玄関で、靴の爪先をトントンとして、室内の方へ向き直った。
「それじゃ、行ってきます」
「忘れものはない?」
「うん」
玄関まで見送りに来た母親と、その後ろにくっついている更紗。
「気をつけてね」
「お兄ちゃんファイトー!」
「ありがとう。じゃ、頑張ってきます」
あとはやるだけ。
深呼吸をひとつして、玄関ドアを開けた。
あえて、あきにメッセージを送るのはやめた。
行ってきますより、できましたの報告がしたかったからだ。
結論から言うと、全教科、びっくりするくらい解けた。
ちょっと緊張したりするかなとか、周りのことが気になるかなとか思っていたけど、全部無用な心配で……テストが終わっての感想は、手応え云々よりも、こうだった。
[俺、生まれて初めて、集中し過ぎて周りの音が聞こえない状態になったよ。漫画みたいだった]
できたとかできないとかの報告よりも先にこれが言いたくて、何の前振りもなくあきにこう送った。
ややあって、ひとことの返事。
[僕のヒーローだものね]
電話番号をタップする。1コールで出た。
『もしもし。おつかれさま』
「ありがとう。あき、なんかね、簡単だった。いや、簡単じゃないな。えーと、楽勝? 違う。うーん……魔法がかかったみたいに解けた。いつもの俺じゃ解けなかったんじゃないかみたいな問題まで、何故か解けた」
そう、魔法という表現が1番しっくりくる。
たぶんすっとぼけた声で話していたと思うけど、あきは安心したようにふふっと笑った。
『それは深澄が自分でかけた魔法だよ。本当に、よく頑張りました。えらかったです』
「あー……もう、勉強しなくていいんだ」
合否はともかく、きょうからはもう、何もしなくていい。
全部から解き放たれた感じ。
『しばらくゆっくりしてね。落ち着いたら会おう』
「うん。あの……会うの、合格発表の後でもいいかな?」
『もちろん』
本当はいますぐにでも会いに行きたかったけど、なんか、最後のゲン担ぎみたいな。
あきも理解してくれて、良かった。
「メッセージとか電話はするね」
『うん、いつでも。待ってます』
優しい恋人で良かった。
ともだちにシェアしよう!