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 食事が片付いて、まったり飲み物を飲んでいたところで、急にあきがふふっと笑い出した。  顔をのぞき込むと、なんだか、ちょっと苦笑いみたいな。  あきは、ふうっとため息をついて笑った。 「卒業したら、僕の知らない深澄になっちゃうんだね」 「何が?」  唐突な話題にぽかんとしていると、あきは、苦笑いのまま言った。 「僕はブレザー姿の可愛い深澄しか知らなくて、でも大学生になったら、知らない深澄だ。僕の知らないところで日常を送る、知らない深澄」 「寂しいの?」  首をかしげて聞くと、あきは眉根を寄せて笑いながら、首を横に振った。 「教師としては喜ばしいよ。でもなんだろう、手の届かないところにいっちゃうような。いまは深澄が何してるのか、学校でのことが分かるけど、大学生になったら、ほとんどの時間何してるのか分からない」  なんだ。やっぱりあきの、寂しがりの大爆発か。  あきの頬をつんつんとつついた。 「ふつうに勉学に励むよ」  あきはくすぐったそうに首をすくめつつ、困ったように笑った。 「……モテちゃったりしない?」 「え、そこ?」  まさかの方向の心配に、ちょっと笑ってしまう。  でもあきは、全然冗談を言っているような感じではなかった。  ちょっと恥ずかしそうに、上目遣いで聞く。 「まじめな成瀬くんだって、大学に入ったら少し髪を染めたりオシャレするでしょ?」 「えー? うーん、まあ、大学デビューで大幅イメチェンとかは考えてないけど……まあたしかに、ちょっとくらいはおしゃれするかも?」  というか、いままで、ファッションというものに疎すぎた。  この感じのまま大学生になったら、あきと並んで歩くのに気が引けてしまう。  しかしあきは、そんな俺の心の内など知る由もなく、うーんと首をひねっている。 「どうしよう。コンパで飲まされちゃわないかとか、心配でしょうがない」 「飲まないよ、未成年だもん」 「変な新歓コンパとか行かないでね。未成年に一気飲みとかさせるんだから」  心配の仕方が、山奥の村から初めて都会へ出る息子を見送る母みたいだ。  思わず大笑いしてしまった。 「飲まない飲まない。初めてお酒飲むのはあきと一緒にって決めてるんだから」 「えっ……」  あきは、目を丸くして驚いたまましばらく固まったあと、ぎゅうぎゅうと俺を抱きしめて、頬ずりした。 「もう、どうして深澄はそういう可愛いことばかり言うの?」 「ほんとにそう思ってるだけだよ」  ちゅ、と口づけてみる。はにかむあきが、とんでもなく可愛い。  ……と思っていた、その時。コンコンとノック音が響いた。 「失礼します。ラストオーダ……」  入ってきた男性の店員が、イチャイチャする俺たちを見て、固まったきり言葉を失った。  なんていうタイミングで入ってくるんだ。  しかし、慌てる俺とは対照的に、あきは、ゆるく抱きしめたままにっこり笑って、のんびりと「なにか頼む?」と聞いてきた。  店員はすぐに立て直していて、さわやかな笑みを浮かべている。  俺がぎこちなく首を横に振ると、あきは店員に向かってにっこり微笑んで、「いまあるもので大丈夫です」と答えた。  店員が出て行ったあと、俺は、ふーっと長く息を吐いた。耳まで熱い。 「あー、びっくりした。よく平気だったね」  さすがポーカーフェイス、と思いきや、あきはのほほんとして言った。 「あのひとにごまかしたって意味がないじゃない。それで何か吹聴されるわけでもないし」 「え?」  あきは、俺の手を握った。 「僕たちは、深澄の卒業とともに、嘘から解放されるんだよ。少なくとも僕はそう思ってる。いま僕が嘘をついたり隠しているのは、立場に問題があるからであって、同性だということは問題にしていないよ」 「えっと……」  うまく答えられずにいると、あきは、いいこいいこと頭をなでてきた。 「もちろん、深澄が同性だということを隠したかったら、それは尊重するよ。でも、強制的に嘘をつかざるを得ないこの状況がもうすぐ終わるのは、確かなこと。それで、自分たちで自由に選べるようになる。どういう風に付き合っていくか、ふたりでゆっくり考えていこうね」  優しい、それでいて真剣な目でそんなことを言われたら、泣きそうになってしまった。  じんわり目に涙を溜める俺を見て、あきは、眉根を寄せて笑う。 「深澄は泣き虫さんだね。でも、そういう可愛いところは、大人になってもずっと変わらないでいて欲しいな」  そう言って目尻の涙をぺろっとなめてくれるあきに、しどろもどろになりながら言う。 「俺だって、あきに、ずっと……こういう風にして欲しいよ」  何言ってんだと思いながら真っ赤になってうつむくと、あきは、あははと笑いながら俺を抱きしめて、顔をのぞき込んで言った。 「もしも深澄が、お酒を飲むと泣き上戸になるタイプだったら大変だ。飲んでる間じゅう、ずーっと深澄の目元にキスしてることになっちゃう」  クスッと笑うあきを見て、俺はもう、本格的にダメだと思った。  こういうことを天然で言うひとと一生一緒にいるって……心臓が何個あれば足りるのだろうか、と。 <9章 解放 終>

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