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第3話 出会い③

 出社二日目は、昨日部署ごとに集まったパールの間で研修が行われた。  研修が始まる前にひととおり社員同士の自己紹介をしたが、料飲サービスの社員の七割が閉館前からの復職組で、新卒や暁人のような他所からの転職組はその三割にとどまった。  分厚いテキストを配布され、基本的な料飲サービスの説明を受けたが、真剣にメモを取っているのは新卒や転職組で、復職組は少し退屈そうにパラパラとテキストを捲っていた。 「では、午前はここまで。午後からは少し実践的な研修に入ります」  長々と説明をしていた課長の葉山が掛けている眼鏡のブリッジを押さえながら立ち上がり、午前の研修を終えた。  昼食は隣の宴会場のペリドットの間に弁当の用意があり、皆そこで食事を取るよう指示されている。  テキストを閉じ、隣の宴会場へ移動しようと立ち上がったとき、ふいに後ろから肩を叩かれ振り返ると、そこにいたのは竹内だった。昨日とは違う席に座って午前の研修を受けていたため、今日彼と顔を合わせるのは初めてだ。相変わらずの人懐っこい笑顔がやけに眩しい。 「柴嵜くんさ、いま手空いてる?」 「はい。空いてますが」 「だったら、ちょっと手を貸して欲しいんだけど。男手が欲しくて」 「ああ、はい」  そう返事をして小さな台車を両手に抱えて歩いて行く竹内のあとに付いて行くと、エレベーターを降り地下の搬入口付近に部署ごとに分かるよう目印の紙が貼られた弁当が用意されていた。 「これ昼食ですか?」 「そう。俺、弁当係押し付けられちゃってるんだよね」  深めの番重(ばんじゅう)にみっちり弁当が入ったものが五箱と、ペットボトルに入ったお茶が二ケース。確かに竹内一人で運ぶのは大変だろう。 「これを運べばいいんですか?」  そう訊きながら台車に弁当とお茶の入った段ボール箱を積み込み、竹内と共に再び昼食会場となっている宴会場に戻ると、そのまま流れで配布まで手伝うことになった。  弁当が皆に行き渡ったのを確認すると、竹内が「手伝ってくれてありがとな。助かったよ」 と労うように暁人の肩を叩いた。 「そーいや、柴嵜くん、昼一人? もしよければこっちで一緒にどう?」  こっちで、と竹内が言った場所には復職組の社員たちが数人集まっていて、その中には研修担当の葉山もいた。 「あー……」  会場内を見渡すと、すでにグループで食事を取る者、まだ誰とも馴染めず一人で食事を取る者など様々であったが、声を掛けて貰っておいて断るのもと思い竹内に従った。 「お、竹内。早速新人ナンパか?」  そう人懐っこい笑顔で訊ねたのは葉山だ。 「まぁ、そんなとこです。これから一緒に働くんだし、取り敢えず親睦深めておきたいじゃないっすか」  竹内の言葉は暁人にとっても渡りに船だった。付き合いの距離感と言うものは大事だが、右も左も分からない新しい職場で頼りにできる人間がいることはありがたい。 「柴くん、ここどうぞ」  竹内が席を確保してくれたので暁人が礼を言ってそこに座ると、それを見ていた葉山が訊ねた。 「柴っていうのか? 悪いな、まだ全員分の名前覚えられてなくて」 「あ──いえ、柴嵜です。よろしくお願いします」 「ああ。俺は葉山だ。よろしく」  そう言って笑ったときに寄る目尻の皺がとても優しげで、見た目ほど怖い上司ではなさそうだと暁人はほっと胸を撫で下ろした。一緒に食事をして感じたことだが、暁人の予想通り復職組の社員たちは皆仲が良く、上下関係などは暁人がいた以前の職場に比べ随分と緩い。 「柴くん、そういえば転職組って言ってたろ? 以前はどこ勤めてたの?」  竹内の言葉に、復職組の面々が興味深げに箸を止めて暁人を見た。他所からきた人間がそんなに珍しいのかと思いながら「オザキ部品ですけど……」と暁人が答えると、竹内が目を丸くして驚いた。 「ええっ⁉ オザキって言ったら結構大手じゃん。なんで全く違う業種のうちに? だってああいう大手って給料とか休みとかちゃんとしてんだろ?」 「いや……その」  当然こういうことを訊かれることもあるだろうとは思っていたが、予め考えていたありきたりで不自然でない転職理由はすらすらと暁人の口から出てこなかった。 「──まぁ、いろいろ考えることありまして」  暁人が言葉を濁すように答えると、竹内がはっと顔色を変えた。 「まさか、柴くん! 何かやらかしてクビになったとか⁉」  と言った竹内の頭をすかさず葉山が持っていたペットボトルでポカと叩いた。 「痛ってぇ!」 「おまえってやつはホントデリカシーがないな! 思ったことすぐ口に出さずに考えてから言葉吐けって言ってんだろが。悪いな、柴。こいつ悪気はないんだけどお(つむ)のほうがちょっと残念で」 「ちょ、残念ってなんすか! 残念って!」 「この話は終わりな。転職理由なんてべつに何だっていいだろう。転職なんていまどき珍しいことじゃねぇ」 「……そうっすけど」 「つか、おまえは早く飯食っちまえよ。午後から使う皿とかグラスとかおまえ用意しとけ」 「えー! また俺っすか!」 「当たり前だ。復職組ではおまえが一番下っ端だろが。おとなしく俺に使われてろ」 「酷でぇ、葉山さん」  口ではそう言いつつも、本気で嫌がっているふうには見えない竹内の態度に二人の良好な関係性が窺え、暁人はそれを羨ましいと思った。  ──こんな上下関係、あそこではあり得なかった。  葉山に言われた通り早々に食事を終え、午後の研修の準備をするために宴会場を出て行った竹内をどこか微笑ましい気持ちで見送っていると、葉山が暁人に視線を移し「おまえはゆっくり食ってな」と白い歯を見せて笑った。  休憩時間中ということで、少しリラックスした様子の葉山はジャケットを脱ぎ白いシャツを少し腕まくりしている。シャツの上からでも分かる学生時代に何かスポーツでもしていたような筋肉質な身体は男の暁人からみても羨ましいくらいだ。  賑やかな竹内がいなくなったこの場はなんとも居心地が悪く、このまま沈黙が続くのも耐えがたかった暁人が珍しく話題を探して口を開いた。 「あの──竹内さんは、ここ長いんですか?」  そう訊ねると葉山がすでに空になった弁当の容器を横に避けながら表情を緩めた。 「ああ。大学出てからずっとここだからもう五年くらいだな。ああ見えて仕事はできるから先輩として頼りにはなると思う」  そう答えた葉山が少しだけ声を潜めて言葉を続けた。 「さっきの──許してやってくれよ」 「え?」 「竹内が──」  葉山が言葉を濁したことで彼が何を言いたいかは察することができた。 「本当悪気はないんだけどな。久しぶりに歳の近い同性の後輩できたからテンション上がってんだと思うわ。あいつ誰にでも遠慮なくグイグイ行くタイプで……」 「いえ……それは全然。それに、クビじゃありませんから」  暁人が答えると今度は葉山のほうが眼鏡を押さえながら分かりやすいくらいバツの悪そうな顔をした。 「なんだ。俺のほうが余計なことしてたか」 「いえ」  あの時、竹内の会話を遮ってくれたのは葉山なりの気遣いだということくらいは暁人にも分かった。転職理由を訊かれて言葉に詰まった暁人に気を利かせ話題を変えてくれたのだろう。そんな小さな気遣いが暁人にとって嬉しく感じられるのは前の職場の環境が劣悪過ぎたからだ。  退職して随分経つのに、あの頃のことを思い出すといまだに動悸が激しくなることがある。 「あの。食事の片付けって、さっきの場所に空箱片づけるんで良かったですか?」 「ああ……用意、柴も手伝ってくれたんだったよな。竹内はいま他の用事でいねぇし、頼めるか? ていうか、一人で平気か?」 「大丈夫です」  暁人が答えると「んじゃ、頼むわ」そう言って暁人の頭をくしゃと撫でて葉山が席を立った。

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