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第10話 リニューアルオープン②

 時間を前に招待客が続々を会場へと入って来るのを眺めながら暁人は少しでも心を落ちつけようと大きく深呼吸をした。  招待客で会場がいっぱいになり、いよいよレセプションパーティーが始まった。  社長による開会の挨拶に始まり、来賓客の代表が祝辞を述べる。最後に挨拶をする来賓客の祝辞が始まるとあらかじめサイドテーブルに用意された何種類ものドリンクの入ったグラスをトレイに乗せ、乾杯に向けて招待客にドリンクを配って回る。  進行は全部頭に入れた。  祝辞の邪魔にならないよう、大勢のスタッフで手際よく招待客たちにドリンクを配り、全員にドリンクが行き渡ったことを確認すると会場の袖で待機。ここまでが最初のひと仕事だ。  来賓の祝辞が終わると、再び社長がマイクを握り乾杯の音頭を取る。 《──それでは、松浜クラウンホテルのリニューアルオープンの前途を祝しまして、乾杯!》  ──乾杯! と会場にいる招待客もそれに続き、いよいよ宴会が始まった。本当に忙しいのはここからだ。  今回のレセプションパーティーは立食のビュッフェスタイル。会場の中央にある料理台には大勢の厨房スタッフがスタンバイし、客に料理を取り分けたり、切り分けたりしていく。 「圧倒されてぼけっとすんなよ? 頃合い見て空いた皿やグラス下げてくんだ。まず深呼吸しな」  いつの間にか隣にいた葉山が、暁人に囁いた。 「はい」  返事をした次の瞬間には、葉山はすでに場所を移動していて他の新人たちの仕事ぶりを見守りながら指示を出している。  暁人は葉山に言われた通り小さく深呼吸をしてから、動き出した。不思議だ。たったそれだけで随分と心が落ち着いた気がする。  約二時間にわたるレセプションパーティーはあっという間だった。大勢の人の中、言われたことをこなすので精一杯であったが、合間に化粧室の案内を頼まれ、戻って来るとまた次の用件で会場内を動き回り、時間一杯怒涛の接客に追われた。正直、初仕事は戸惑うことも多く、大事にはならないが、ああすればもっとよかったのかと思うような小さな失敗はたくさんしたし、反省点だらけであった。  元々、人と接するこういった仕事は苦手は部類であるし、あまり向いてはいないのだろうと思いつつもここに来たのは、どうしても環境を変えたかったからだ。  レセプションが終了して、会場から招待客が帰って行くのを見送りながら、休む間もなく会場の片付けに入る。  料理の残飯を大きなバケツに空けて回収し、料理台や皿、グラスを手分けして片づけていく。丸テーブルのフレアやクロスを剥がし、ステージを片付け、先程までの会場の形跡が跡形もなく消えて行ったかと思うと、今度は次の宴会のための準備に入り、さっきまでとは全く違ったセッティングが成されていく。  暁人が必要のない余分なテーブルを両手に抱え、宴会場裏の倉庫に片づけに行くと、そこに葉山が居て、新人たちが運んで来たテーブル整理して片づけていた。 「これで最後です」  暁人がテーブルを下ろすと、作業の邪魔になるからなのか、すでにタキシードを脱いだシャツ姿の葉山がそれを受け取った。 「初仕事は、どうだった?」 「圧倒されてあっという間でした」  暁人が思ったままに答えると、葉山が「ま、最初はそんなもんだ」と白い歯を見せた。 「ま。初めてにしちゃ、よく動けてたよ。その調子で頑張んな」  と葉山が暁人の頭をくしゃくしゃと撫でて「飯行くぞ」と促した。  ──まただ。人の頭撫でてくの、癖か何なのかよ。  なぜか、触れられた額が熱い。 「柴ぁー。何してんだ? ボケっとしてると置いてくぞ」  葉山がこちらを振り返ってまるで小さな子供を見つめるような目で暁人を見て笑った。  暁人がそのあとを慌てて追いかけ倉庫を出ると、会場で葉山の戻りを待っていたと思われる竹内が葉山に声を掛け、一言二言話したあと、葉山が竹内の頭をポンと叩いた。  見慣れたいつものじゃれ合いだ。なのに、そんな二人の姿を見ているとなぜか胸が重くなる。 「なんだ、これ……」  そっと胸を押さえていると、何気なく後ろを振り返った竹内が暁人に気付いてこちらにやって来た。 「柴くん。どうだったよ、初仕事!」  葉山と全く同じことを聞くんだな、と苦笑いをしながらも暁人は感じたことを素直に答えた。 「はぁ、まぁ……緊張でだいぶ疲れました」 「ははっ! のわりに結構堂々とサービスできてたじゃん。市村さんお客さんと接触してドリンク零してテンパってたときもお客さんにちゃんとフォロー入れてたし。初めてのときって緊張で視野狭くなってて周りが見えないもんだけど、柴くんちゃんと周り見て動けてたよ」 「え?」 「可愛い後輩の動きは把握してんの。何かあったとき先輩としてフォローできないとだろ? 柴くんこういう仕事初めてだって言ってたけど、案外向いてるかもね。ちょっと愛想に欠けるのがアレだけど、冷静に周りが見えてるってこの仕事では結構重要だからさ」  思いもよらない竹内の言葉に、暁人は驚いて竹内の顔を凝視してしまった。そんな暁人の顔を見て、竹内が笑った。 「自信持っていいと思うよ。ホント向いてるから。好きになれるといいな?」 「え?」 「この仕事だよ! まえの仕事がどうだったか知らないけど、仕事なんて嫌々するより好きでやれたほうが楽しいじゃん。それも楽しい仲間とさ!」  竹内の言葉は暁人にとって思いもよらないものだった。仕事なんてただ、毎日目の前にあるものを片付けていくだけという感覚だった。これまで楽しさなんて求めたこともなかった。  目の前の仕事を片付けていくという点はここでも変わりはないのかもしれないが、それを楽しみたいと思っている同僚となら、それも可能なのかもしれないなと思った。  職場が変われば人も変わる。環境が変われば考え方も変わる。ここでなら、以前とは違った過ごし方ができるかもしれない──。 「つか、腹減ったー! 柴くん、今日の従食の献立知ってる?」 「知りませんよ。つか、竹内さん、給食楽しみにしてる小学生みたいですよね」 「あ、当たってるわ! 小学生のころ給食一番楽しみだったクチだもん」 「なんか、思いきり目に浮かびます」  仕事を辞めたことを後悔したことはなかったが、正直いまのこの新しい職場に自分が馴染んでいけるのか不安で仕方なかった。けれど、今日初めてその不安が少し薄れた気がする。  好きになれるといい──この仕事を、ここで働く仲間を。  そうすれば、少しは生きやすくなるかもしれない。たとえ、この先誰とも愛し合えないのだとしても──。

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