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第16話 仕事と人とその距離と②
暁人の夜の担当はサファイアの間で、とある企業の研修を兼ねた二十五名の会食だ。
すでに夕方四時からの研修はペリドットの間で行われている。研修は午後八時までで、間に挟む六時からの夕食をサファイアの間で担当することになっている。時間の六時より少し早い時間に和食レストランまで仕出し料理を取りに行き、会場にセットし、客の案内とお茶や水などの簡単な給仕をするだけの仕事だが、今夜はそれを暁人が一人で任されている。
今夜は八つの宴会場のうちの五つが稼働していて、新人の暁人は普段はベテランスタッフのサブに就くことが多いのだが、簡単な料理出しと案内ならば暁人一人でもという葉山の判断でこの部屋の担当を任されることになった。
食事時間の少し前に料理を取りに行き、セットを完了させると、ペリドッドの間の向かいにあるサファイアの間へ予定通りお客を案内した。夕食時間の間、葉山が一度様子を見に来たが、暁人が一人で大丈夫だということを確認するとすぐに別の宴会場へと移動して行った。
担当部屋の夕食が終わるとすぐに片づけをして、翌日の会場のスタンバイをする。こういったことにも慣れてきた。明日は昼間にこの会場で会議が行われるため、会議用の長テーブルやホワイトボードなど必要なものの準備を整えた。
「サファイアのスタンバイ終わったんですが、ペリドットが終わるまで何かやることありますか」
各会場を見回っていた葉山を見掛けて声を掛けると、葉山が腕時計を見て「お、マジか」と感心したように呟いた。
「簡単な案件なら、もう一人でも平気そうだな。柴は」
「あ、はい……弁当出しと案内程度なら」
「そーいや、竹内に訊いたけど。休憩中にサービスの練習なんて随分仕事熱心だな」
葉山がどこか嬉しそうに白い歯を見せて暁人に言った。
「べつに、そういうわけじゃ……テーブルマナーは初めてなんで。大勢の前で失敗したらまずいと思っただけです」
暁人の言葉に、葉山が微笑んだ。
「まぁ、動機は何にせよ、熱心なのは結構なことだよ。竹内喜んでたぜ」
「え?」
「柴から何か頼まれたの初めてだって。おまえクールキャラだし、あんま竹内に頼ったりしないだろ? 相当、嬉しかったみたいだぞ」
「……嬉しい?」
そう言われたのは意外だった。以前の職場でももちろん暁人に仕事を教えてくれる先輩はいたが、忙しい現場だったこともあってか、分からないことを聞くと本人は無意識なのかもしれないが嫌な顔をされた。
こちらも何度も先輩の手を煩わすのもと思い、何でも一度聞いてあとは自力で努力するのが当たり前のようになっていた。
「嬉しいって変か? 後輩が仕事覚えたいって分からないこと聞いて努力しようとしてる姿見て嬉しくないやついるか? もっとできるようになりたいって努力してんの手助けしたいって思うの普通だろ」
葉山が当然のことのように言うのを、暁人は少し不思議な気持ちで聞いていた。
職場環境が違うと、考え方もここまで違うものか。
「よく……分からないです。以前のとこは、何か聞いたら嫌な顔されることのほうが多かったんで。分からないこと聞けば『何回言わせんだ』って嫌味を言われ、同僚同士で醜い足の引っ張り合いみたいなのがまかり通っていた職場だったんで……」
暁人が答えると、葉山が何ともいえない表情を浮かべ目を伏せるとそっと暁人の肩に手を置いた。
確かに名の知れた企業に勤めてはいたが、それなりの給料と休暇が貰えること以外、そこで働いていることを誇れることなんて正直ひとつもなかった。
「それでおまえはそんななのか……。いいか、柴。ここはおまえが前にいた職場じゃない。場所が変われば、人も変わる。ここでは、誰かを頼ったり甘えたりしていいんだぞ」
そう言うと、葉山が再び腕時計に視線を移した。
「ペリドット終わるまであと三十分だな。それまでパールのヘルプ入るか。時間見て、少し早めに会場戻れよ? 終わったら片づけてあとはそのままおいとけ。スタンバイは明日でいいから」
「分かりました」
そう返事をすると、暁人は葉山に一礼をしてパールの間へと向かった。
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