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第39話 裏腹な想い④

「あれ……もしかして豆柴くん?」  聞き覚えのあるハンドルネームで呼ばれたことに驚いて声のしたほうを振り返ると、そこには見覚えのある眼鏡を掛けたスーツ姿の男性が立っていた。以前、一度だけ会って関係を持ったことがあるマナトという名の男だった。 「ああ、やっぱり! ……あれから何度か連絡したのに、全然返事くれないから」  そう言った男性が柔らかく笑いながらこちらに近づいて来て、暁人は思わず身体を硬くした。 「まさか、こんなところで偶然会えるなんて。どうしてたの?」  隣に葉山がいることも気にせず親し気に話し掛けてくるマナトに、さすがに他人のふりはできなかった。 「なに? 柴の知り合いか?」 「あ……いや、まぁ、ちょっと」  そう答えながら、我ながら誤魔化しかたがヘタクソだな、と心の中で呆れた。  知り合いというほどでもないし、全く見知らぬ相手というわけでもないが、ノーマルな葉山にはきっと受け入れがたい関係を知られたくはない。  すると、マナトが暁人にそっと耳打ちした。 「もしかして、その人が今夜の相手? 酷いなぁ、僕のメッセージには返事もくれないくせに。あの夜、てっきり僕のこと気に入ってくれたんだと思ってた。きみのこと忘れられなくてまた会いたいって思ってたら、本当に会えるなんて驚いたよ」  どうやら彼は、葉山のことを暁人の今夜の相手だと思っているようだ。 「この人はそういうんじゃ……職場の上司で……」  前回、会ったときにマナトは普段はゲイであることを隠して生活していると言っていた。葉山が同じ職場の人間だと分かれば、これ以上なにか言ってくることはないのではと期待してあえてそう紹介した。マナトは葉山を上から下まで見定めるようにしてから、少し安心したように柔らかな物腰のまま葉山に訊ねた。。 「職場の方……ああ、そうでしたか! 失礼しました。ちなみにお二人はこのあと何かご予定が?」  「いや。ちょうどここで別れるところで」 「そうでしたか。じゃあ、ちょうどよかった!」  と言うと、暁人に訊ねた。 「このあと少しだけどう? 久しぶりに会ったんだし」  正直、気乗りはしなかったが、暁人は少し考えてから静かに頷いた。マナトがどういうつもりでわざわざ声を掛けてきたのか分からないが、このままメッセージを無視し続けるよりも、一度切りのつもりだったと彼にはっきり伝えたほうがいいような気がしたからだ。 「分かりました。少しだけなら……」 「じゃあ、行こう」  そう言ったマナトに促されるまま「それじゃ、お疲れ様でした」と葉山に挨拶をしてそこで別れた。少し面倒なことになったと思ったが、そのまま駅のほうへ向かって歩いて行くマナトの隣に並んだ。 「どうして連絡くれなかったの? 僕、あれから何度もメッセージ送ったんだよ」 「すみません。俺……あそこで知り合う相手とは一度限りって決めてるんで」 「どうして? 知り合った相手を気に入って好きになったりしたことないの?」  そんなふうに思うこともなかったわけじゃない。でも、本気になったのは自分だけだった。 「誰かと付き合いたいとか思ってないんです。身体だけの後腐れないのが性に合っているというか」 「だったら後腐れなく僕と身体の関係を続けるのは? 僕はきみのことが気に入ったし、きみが本当にそう望むなら割り切ってっていう条件呑んでもいいよ」  そう言ったマナトがふいに暁人の腕を掴んで、そのまま細い路地へと引っ張って行ったかと思うと、道沿いの店と店の間の細い隙間に暁人を追い詰めて強引に唇を塞いだ。 「んん……っ、待っ」  抵抗できたのは、はじめだけだった。 「可愛いね、その顔。快楽に弱いとか最高だ。このままホテル行こっか」  一度限りだと決めていたのに、熱を煽るようなマナトのキスに次第に流されていく。こうやって相手の甘い言葉に本気になって苦い思いもしてきたくせに、懲りずに同じことを繰り返す自分に呆れてしまう。  結局、ホテルに行きマナトと寝た。快楽に弱い──その通りだ。気持ちいいことは好きだし、自分を求めてくれる相手に弱いのは、誰かに本気で必要とされたことがないからだ。 「ほんと、意思弱っ……」  こんなんじゃ、胸の奥に灯ってしまった気持ちをいくら抑え込もうとしても、自身でコントロールできるはずもない。

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