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第50話 怯えた猫の扱い方①
12 怯えた猫の扱い方
「葉山さん、パールのスタンバイ終わりました」
翌日の案件のスタンバイを後輩に任せ葉山がパントリーで仕事をしていると、やって来た柴嵜に声を掛けられ手を止めた。
「おお。サンキュ。じゃ、今日は帰るか。皆にもあがるよう声掛けてきてくれ」
世間でいうところの夏休みが明けて繁忙期を過ぎたホテルは、今週に入って全体的に稼働率が下降傾向だ。先週末まで予約でいっぱいだった宴会場には空きができるようになり、スタッフも交代で少し遅い夏休みを取り始め、誰よりも賑やかな竹内が連休を取っていて不在だ。
一足先に女性スタッフを帰したあと、最後に各会場の施錠に行っていた柴嵜がパントリーに戻って来た。
「戸締りありがとな。おまえもそのまま帰るだろ? 今日車で来てるから家まで送ってやる」
今日は昼前に自家用車で来週予約のケータリングサービスの現場の下見をしてから出勤していた。ケータリングサービスは現場によって会場の広さが異なるため、予め下見をして当日不足物がないよう準備をしておく必要がある。
自宅から職場まで交通機関の便がいいということもあり、普段は電車通勤である葉山が車で出勤することは稀だ。
仕事を終えた柴嵜を連れ従業員用の駐車場まで歩いて行くと、すでに他のスタッフたちが帰宅したあとの駐車場の隅に葉山の車がぽつんと残されていた。
「ほら、乗れ」
葉山が促すと暁人が少し遠慮がちに助手席に乗り込んだ。柴嵜を車に乗せるのはこれで二度目だ。以前、駅前で偶然怪我をした柴嵜に会って、お節介ながらに手当をしたあと自宅まで送って行ったことがある。
送る流れで飯に誘うと、いままでこの手の誘いにいい顔をしなかった柴嵜が珍しく素直に頷いた。
柴嵜とは松浜クラウンホテルのリニューアルオープンに伴う人員補充で新たに加わったスタッフの一人として出会った。
宴会部に配属され、葉山の直属の部下となった柴嵜は二十六という年齢のわりに妙に落ち着いた雰囲気の物静かな青年だった。全体的に整った綺麗な顔立ちにスラリとしたスタイルの持ち主であったが、派手さはなくあまり目立つほうではなかった。物静かなわりにコミュニケーション能力は決して低くはなく、宴会サービス課の皆と馴染むのも比較的早かった。
仕事に対する姿勢もとても真面目で、飲み込みも早い。ただひとつ気になる点と言えば、同僚たちと必要以上に打ち解けず、一定の距離を取りたがっているように見えるところだった。
いまどきの若者は、仕事とプライベートの線引きをきっちりしたがるとも聞くし、そこまで気に留めてはいなかったが、淡々として見えて誰よりも繊細そうな柴嵜は葉山にとってどこか気に掛かる青年だったことは確かだ。
他人を拒絶しているわけではないが、見えない壁のようなものを作って決して素を見せたがらない、踏み込ませない。それでも同僚たちとの雑談の最中にふとした拍子に崩れて垣間見える年相応の表情は普通に楽しそうに見えて、そういった表情をもっと引き出せたらと思うようになった。
彼がそうである理由を知ったのは、数カ月前のこと。
秘密を知っている葉山を警戒しているのか──表面上は上手く取り繕っているように見えたが、その態度はまるで近づく者を威嚇する怯えた猫のようだった。
そんな態度が実は、彼なりの感情を制御するための唯一の方法だったと知って酷く心揺さぶられたのはごく最近のことだ。
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