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第51話 怯えた猫の扱い方②

 柴嵜のマンションに着くと、葉山は駐車場の隅に車を停めた。彼のマンションは単身者向けの一台分の駐車スペース付きで、柴嵜の部屋の駐車スペースは一番隅と決まっているらしい。 「それじゃあ、またな。……ああ、腹いっぱいだ。さっきちょっと食い過ぎたな」  立ち寄った定食屋で少し食べ過ぎてしまったようだ。  葉山が腹を撫でながらそっとシートベルトを緩めると、それを見た柴嵜が何か言いたげな表情を浮かべ、少し迷いを見せながらも遠慮がちに言った。 「あの……もしよかったらなんですけど。葉山さんがよければ、うちで休んでいきませんか」  これまでは葉山が強引に同意を取り付けるばかりで、柴嵜のほうから誘ってくることは初めてだった。  柴嵜の自分に対する気持ちを知って──ぶつかって来いと言ったのは葉山自身だった。  正直、そんなことを言った自分に驚いていた。柴嵜のことは入社当時から気に掛けていたし、部下として可愛い存在であることは確かだったが、自分が彼に恋愛対象として見られている──まして好意を持たれているなどとは考えてもみなかったことだ。  同じように柴嵜を気に掛けている竹内や他の同僚たちに比べて、彼が葉山にとりわけ塩対応であったことから、好かれているどころかウザがられているのだろうと思っていたくらいだ。  それでも柴嵜に構うことをやめなかったのは、彼の持つ張り詰めた危うさのようなものが心配だったこともある。唯一彼の秘密を知っている立場から彼が誰かに傷つけられるようなことがあってはならないし、守ってやらなければならないと考えていたからだ。  ──あの夜、駅で二人組の男に絡まれている柴嵜の姿を目撃し、次の瞬間には身体が反射的に動いていた。  葉山は以前、彼が仕事中に偶然出会ってしまった以前の職場の上司に傷つけられる現場を目撃している。もっと早く駆けつけてやれたらと酷く後悔もしたし、あの日の彼の涙は数カ月たったいまでも忘れることができない。  正直、柴嵜の気持ちを受け止められる──と自信を持って言えるわけではなかった。  けれど、柴嵜が自分の気持ちを抑え込もうと必死になって、それでも抑えきれず零してしまった本音に酷く心が揺さぶられた。ただ純粋に人が人を想うという感情に、性別の壁は感じなかったし、向けられる好意に対して嫌悪感など少しもなかった。  気持ちに応えられるのならば応えてやりたいと思ったし、頭では理解しようとしていても柴嵜がその日初めて会った相手に身体を預けることを繰り返している事実にも納得できてはいなかった。結果、そんな相手にさえ傷つけられそうになっている現場に遭遇し、その危険な状況を黙って見過ごせるはずもなかった。  ──それならば、いっそのこと。  自分が受け止めてやればいいのではないか……そんな結論に辿り着いた。 『……好きです。葉山さんのことが』  蚊の鳴くような頼りない声ではあったが、堪えていた感情をすべて絞り出すように吐かれたあの夜の柴嵜の言葉に心が震えた。  受け止めきれるかも分からないのに、彼が自分に気持ちをぶつけることを許した。  誰かの気持ちを受け止めてやりたい、応えてやりたいとこれほど強く思ったのは葉山にとっても初めての経験だった。  助手席に座ったまま俯きがちに唇を噛む柴嵜が、いまの一言にどれだけの勇気を振り絞ったかが伝わる。そんな姿を見ているだけで堪らない気持ちになるこの感情は自分にとっても未知だ。 「初めてだな、柴が俺を誘うなんて。明日、雪でも降るんじゃないか?」  いつものくせでつい茶化してしまったことを後悔したのは、柴嵜の表情が葉山の言葉によって一瞬凍り付いたからだ。 「……やっぱりいいです。確かに俺らしくないですね。いままで散々誘いを断っておいて」  勇気を振り絞ったであろう柴嵜にこんな顔をさせてしまうなんて失敗した、と思ったが、やけにしおらしく素直な柴嵜が葉山の目にとても新鮮に映った。 「誰が寄らないって言った? 寄らせてもらうよ、おまえがどんな部屋に住んでるか興味ある」  そう笑って答えながら、葉山は車のエンジンを切った。  

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