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第53話 怯えた猫の扱い方④
見渡した柴嵜の部屋はカウンターキッチン付きの広めのワンルーム。
壁際にベッドがあり、その手前には小さなソファとローテーブル。ナチュラルな木製のテレビ台や本棚に、多過ぎない小物や本がきちんと整頓して収納されている。本棚を見るとその人が分かるなどと言うが、謎が多い柴嵜らしくミステリーものの小説が多く並んでいる。その中の一つを手に取ってパラパラと捲ってみた。
「難しそうな本だな。柴、こういうの好きなのか?」
「まぁ……そうですね。ミステリー系の作品はけっこう読みます」
「俺は小難しいのは苦手だからあんまり読まないジャンルだな。俺が読むのは実用書ばっかだ。──他は? 漫画とかも読むのか?」
「ああ、はい。読みますけど、増えると場所取るんで漫画は電子で読むことが多いです」
「なるほど」返事をしながら場所を移動するとテレビ台の隅に置いてあるゲーム機が目に留まった。
「おまえ、ゲームとかするんだっけ?」
「暇つぶしに少しだけ。飽きっぽいんであんまり続かないです」
「なぁ、格闘系のやつある?」
「あ、はい。あることはありますけど……だいぶ古いですよ」
「古くてもいいよ。やろうぜ、対戦するやつ」
そう提案したのは、こういったゲームを通してなら職場では見られない素の柴嵜を見られるかもしれないと思ったからだ。一応、上司と部下という関係上、プライベートな時間といえどもその関係性はどうしても引き摺ってしまう。
「葉山さん、普段ゲームするんですか?」
「いや。あんまりしねぇな」
柴嵜がこちらにやってきて、テレビ台の上のゲームのコントローラーを手に準備を始めた。
柴嵜も少し時間が経って葉山が部屋にいることに慣れてきたのか、さっきまでの挙動不審さがなくなり、葉山が知っている普段の彼の様子に戻ってきた。
「弟が格闘系のやつ好きでやってて、たまに会うと付き合わされるんだよ。弟は結構やり込んでて上手いから俺が勝ったことはないけどな」
「意外ですね。あ、準備できました」
コントローラーを手渡され、簡単な使い方をレクチャーされたあとソファに並んで座ってゲームを始めた。始めのうちは遠慮がちだった柴嵜が、次第に格闘ゲームに夢中になり「やった!」とか「くそ!」などと声を上げている姿はとても新鮮だった。
「あー! また負けたっ! おまえ、結構上手いじゃねぇか。たまにやる程度だっつってたから俺でも余裕で勝てると思ってた」
「いや。俺、ほんと下手なほうですよ。葉山さんがなんていうか……その」
「センスねぇって? 弟にもよく言われるわ! ほっとけ」
葉山が自身のゲームセンスのなさを素直に認めると、柴嵜が「ははは」と珍しく声を出して笑った。
「なんだ。柴も普通に声出して笑えんじゃん。今の顔、めちゃくちゃ可愛かったぞ」
葉山がそう言って何気なく柴嵜の髪をかき混ぜると、彼の目が大きく見開かれて頬がみるみる赤くなった。
──ああ、そうだ。
思い返せば、初めて会った頃からこんな反応をしていた。ただシャイなやつなのだと思っていたが、もしかしたらあの頃から意識されていたのか。
「すいません、変な反応して……。葉山さんのそれ、少しは慣れたつもりだったんですけど、ふいに来るとちょっと……」
柴嵜が恥ずかしそうに赤くなった頬を隠そうとする姿を見て、葉山は思わず彼の手を掴みながら、ふとあることに気付いた。
「──よく考えたらさ。おまえ以外にはしてないんだよな、これ」
「え?」
「まぁ、竹内にも軽くデコピンとか背中小突いたりしてんだけど。なんでだろ? 柴のことはいつも撫でてんな。おまえ、なんか猫みたいで」
自分でもいまのいままで無自覚だった。
思わず撫でたくなる、触れたくなる──そういった意味では自分もどこか柴嵜を特別に思っていたのだろうか。
掴んだままの腕をゆっくりと下ろして柴嵜の顔を見つめた。
自分と同じ男ではあるが、きめの細かい肌に整った顔立ち、ほんのり赤く染まった頬と湿った瞳には色気さえ感じる。そっと彼の顎に手を添えると、柴嵜の目が小さく泳いだ。
「あの、葉山さ……」
「なぁ。もう一回試してみてもいいか?」
「え? なにを、っ」
柴嵜に返事をする隙すら与えないまま、葉山は自分から柴嵜に顔を近づけてそっと唇を重ねた。唇と唇が触れるだけの軽いキスだったが、柴嵜の唇の感触はやはり悪くはなかった。
「やっぱり、なんの抵抗も嫌悪感もないな。それどころか、もっとしたいかもっつったら、おまえ引く?」
葉山が訊ねると、柴嵜が静かに目を伏せた。
「……引かないですよ。ただ──葉山さんこそ、ちゃんと分かってますか。俺は、あなたが今まで相手にしてきた柔らかくて可愛らしい女の子じゃないってこと。俺が、あなたと同じ男だってことを」
柴嵜が顔を上げて、こちらを真っ直ぐに見つめたまま冷静に念を押す。
「もちろん、分かってるよ」
目の前の柴嵜は綺麗な顔立ちのうえに体つきも少し華奢だが、彼の身体には柔らかそうな胸も折れそうな腕も、細くくびれた腰もない。平坦な胸に全体的にごつごつと骨張った身体は自分と同じ種のものだということは分かっている。
「分かってておまえに触れてる」
柴嵜に対しての好意がどういった種類のものなのかは、正直自分でもよく分からない。
後輩としてただ可愛いく思う気持ちもあれば、もう少し踏み込んだ好意がないとも言えない。過去の恋愛と比較して、相手に──つまり柴嵜に対する独占欲のようなものはないが、彼が好きでもない男とどうこう……などと考えると、それはそれで腹立たしく嫉妬に似たような感情も全くないとは言い切れない。
ただ、知りたいと思う。自分はどこまで柴嵜を受け入れられるのか。
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