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黙して語らず(1)

その日、昼休みに初めて環からのメッセージを受信した。 アイコンはピアノの鍵盤に置かれた緋色の薔薇。名前は『Olivier』。 環>>『今日の夜、空いてるかな?』 縁>>『はい』 環>>『じゃあ、ヒルサイドホテルの1506号室で待ってる』 縁>>『わかりました』 やりとりはそれだけだった。 普段、社内を放浪しているときの多弁さとはうって代わって簡素だ。 まりあに、今日はもしかしたら帰らないかもしれないとメッセージを送る。 まりあ>>『分かったわぁ』 語尾のハートマークに心ならずも戸惑いを覚えた。 ◇ ◇ ◇ 15時頃、ふらりと環が現れた。 「よう、色男。大阪はどうだった?土産くれよ」 「土産はないですが、土産話ならありますよ。報告書に書いたのでいずれ織江さんにもいくと思いますが…」 奏太と話しているのが聞こえる。縁は思わず聞き耳を立てたくなるのを我慢して無理やり仕事に集中する。 しばらくすると環はこちらにやって来た。 「やあ遠山くん、歓迎会ぶりだね」 「どうも」 どんな顔をしていいか分からず、縁はとりあえず笑顔を浮かべる。 「この間聞けなかったんだけど、愛媛支部に森崎さんっているだろ?今何やってた?」 環の心中は分からないが、少なくとも平然とした顔で仕事の話を始めた。 縁も笑顔で返す。 「ああ、前まではずっと○○社の担当でしたけど、ちょっと前に異動して今は管理部にいるはずです」 「えぇ、異動しちゃったのか…。頼ろうと思ったんだけどな」 「○○社の担当、今は浜野さんのはずですよ」 「あ、ほんと?浜野さんなら話せるわ。ありがとう、いいこと聞いた」 環は、じゃ、と片手を挙げるとまたふらりと立ち去った。 ◇ ◇ ◇ 18時30分。縁は会社を出た。 寸時迷ったが、Olivierに連絡を入れる。 縁>>『これから向かいます』 電車に乗った頃、返信があった。 環>>『待ってるよ』 環>>『着いたらノックして』 環の笑んだ口許が脳裏に浮かんだ。 家に向かう途中の駅で降り、ヒルサイドホテルへ足を向ける。 行きたいような、行きたくないような。 足取りは重くもないが決して軽くない。 ホテルは駅から数分で着いた。ロビーからエレベーターに乗る。 心の準備をする間もなく、15階に着いた。 部屋を探してドアをノックすると、かちり、とロックが外れてドアが開いた。 環がいつもの笑みで立っていた。 「来てくれてありがとう」 縁は首を傾けて微笑を浮かべた。 ◇ ◇ ◇ 「まあ、掛けてよ」 部屋は思ったよりかなり広く、ダブルベッドが2つと窓際にソファとテーブルがある。 既に飲んでいたらしく、テーブルにはシャンパンボトルとグラスが並んでいる。 「腹減ってる?レストランの予約が19時30分からしか取れなかったんだよね。悪いけどちょっと我慢してよ」 「いえ、まだ腹減ってないんで大丈夫です」 縁が答えると、環は首を振って縁の唇に指をあてた。 「ここでは敬語も丁寧語も要らないよ」 「分かっ…た」 環は優しく笑顔を浮かべた。 「良い子だ」 金色の輝きを放ってシャンパンが注がれる。 縁はソファに腰を落とした。 点り始めた街の灯が、グラスに反射してきらきらと輝いている。 環が飲んでいたグラスをテーブルに置かれたグラスに軽く当てる。 かん、と良い音がした。 「食前酒。まあ、飲んでよ」 縁はグラスを取り、発泡する液体を口に含んだ。 甘味が少なめで、すっと喉に落ちる。 「…美味しい」 縁が思わずほっと呟いたのを聞きつけ、環が大きく会心の笑みを浮かべた。 「俺グッジョブ。…これ選ぶために早退した甲斐があったな」 「え、早退したの?」 「もちろん。大事な用事だろ。仕事なんかしてられないさ」 縁の肩に腕を回すと、環もグラスを傾けた。 「アクセスのわりに景色もいいだろ?」 沈みかけた陽と、夜支度を始めた街が互いに輝いている。 端には電波塔が見える。もう少ししたらライトアップされるのだろう。

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