8 / 28
黙秘
小鳥を愛でるのは難しい。
ましてそれが野鳥であればなおさらだ。
運良く樹の枝に止まってくれればいいが、今度はいつ飛び立ってしまうかと気が気でない。
かごの中から空を眺める小鳥だと思って飼い始めたが、かごは環の見間違いで、実際は空に恋い焦がれる野鳥だったらしい。
しかし、今さら手放すには情が移りすぎていた。
大人しく鳥かごに入ってくれる小鳥であれば、こんな苦労はしないのに、と環は焦っていた。
考えた末、空へ一通の手紙を飛ばした。
◇ ◇ ◇
「よう、香住。すまなかったな急に呼び出したりして」
「いえ、暇ですから」
環と奏太はスペインバルの喧騒の中にいた。
「暇かぁ。そりゃ営業としてはもうちょい頑張らねえとな」
環は腕捲りをして奏太をからかう。
「あ、いや。すみません。定時後は暇、ということです」
奏太は苦笑して訂正した。
「それはともかくとしてだ。この間の土産話、ありがとな。おかげで大口の話を取ってこれそうだ」
「お役にたてたなら何よりです」
「なんで、二課の色男とは仲良くしておいた方が何かとお得だと思ってな。今日誘ってみた」
「プレッシャーかけてきますね」
「まあ、気楽に適当に飲んでくれ。何がいい?」
「ビールをいただきます」
「俺はシェリーかな。……おい、兄さん!」
適当にオーダーをして、話を戻す。
「しかし、香住はずいぶんとあちこちに便利に飛ばされてるな」
「いろんな現場が見れるので、勉強だと思ってます」
「それにしても、もうお勉強も十分だろ。そろそろ部長に媚売っといた方がいいんじゃねえのか?」
「どうもそういうのは苦手で」
「いやいや、そんなこと言ってると、そのうち沖ノ鳥島とか飛ばされかねねえぞ」
「護岸工事でも請け負いますか」
下らない話をしているうちにオーダーした品が運ばれてきた。
「乾杯」
「お疲れ様です」
「実際なあ、香住がいないと二課の士気が駄々下がりだぞ。特に女の子」
「代理の平坂さんがうまくやってくれてますよ」
「でもおっさんだからなぁ。女の子にとってはおっさんからの仕事より、美形から振られた仕事の方がやりがいがあるってもんよ」
「そうですか?」
奏太が苦笑すると、環はオーバーな仕草で答えた。
「香住がいないときの二課を見せてやりたいよ。俺のつまんない冗談ですら笑ってくれるんだから」
「織江さんは本当に神出鬼没ですよね」
「いやいや、俺はうまい話が転がってそうなところに行ってるだけよ。……うまい話っていえば、香住、ヘッドハンティングもしたそうじゃないか」
織江はシェリー酒を一口含んだ。
「え?何のことです?」
心当たりがない顔をする奏太に、環が指を突きつける。
「ほら。あの……一課の」
「え、遠山くんですか?」
「そうそう。香住、愛媛に行って引っ張って来たんだろ?」
「はは。違いますよ。たまたまタイミングよく遠山くんが異動しただけです」
「ん?俺が聞いた話じゃ、香住を尊敬してるって言ってたぞ。一緒に向こうで仕事してきたんだろ」
「異動した動機の細かい内容までは知らなかったんですが……そうですか」
「愛媛で重宝されてたらしくて、だいぶ無茶言ってこっちに来たそうだぞ。やるな、この色男」
環が奏太を肘でつつく真似をする。
「実際、遠山がこっちに来てからも仲良くしてんだろ?」
「え、ええまあ、昼食食べたりはよくしてますけど」
奏太が一瞬視線を泳がせる。
「どうせなら二課に入れてやればよかったのに、何で一課なんだ?」
「一課の方が人手不足が逼迫してたみたいですよ」
「ふーん。落ち着いたらそのうち二課に引っ張ってやれよ。遠山くんだって香住の下で働きたいだろ」
「そうですかねぇ」
奏太が微かに警戒するような顔をみせた。
「なんだよ、香住は乗り気じゃないのか?」
「いえいえ、正直に言えば、遠山くんのスキルは喉から手が出るほど欲しいですよ」
ビールジョッキを空にすると、首を傾けた。
「なんだかいやに固執しますね?今日のメインは遠山くんですか?」
「いや、話の流れでたまたまだよ。分かった、話を変えよう。営業一課で最近結婚したやつがいてな……」
環はポケットの中で汗をかいた手のひらを握りしめた。
◇ ◇ ◇
その後は無難な世間話をして、二人は別れた。
環はイライラしながら自宅へ帰る。
こんなに物事が思い通りに運ばないのは久しぶりだ。
結局分かったことと言えば、奏太は縁と仲良くはしているが何か思うところがあるらしいこと、そのわりには、縁の話をしている時、奏太が笑顔だったこと。
環の知っているところでは、奏太には付き合いの長い彼女がいたはず。なのにこの反応はどういうことだ?
「畜生」
罵りながら酒瓶の並んだ棚の前に行き、スコッチをグラスに注ぐ。
立ったままグラスを空け、次を注ぐ。
悪口雑言が止まらない。
椅子に腰掛け、頭を整理する。
奏太は女がいながらも縁に対してある程度の好意を持っている。それがどこまでのものかはさっぱり分からない。
縁は環に体を許してはいるが、奏太に恋い焦がれている。
「そして俺ときたら、縁に首ったけときた。クソッ」
机の足を蹴るが、自分の足が痛むだけ。
今夜は眠れそうにない。
ともだちにシェアしよう!