26 / 39

第26話

 フユは小さくため息をつき、長い尻尾でパタン・パタン・パタンと三回床を叩いた。その瞬間、僕のスマホが鳴動し、社内チャットの通知が届く。 『おはようございます。今日の出社は何時ですか』  鮫島からのメッセージに最後の気力を奪われて、僕は心を決めた。 『今日は休む』 『具合悪いんですか』 『少しだけ』  そう返事をした瞬間に背筋が寒くなって、ぶるぶるっと勝手に身体が震えた。 「僕、暗示にかかりやすいのかな」  情報システム部のチャットルームにメッセージを送っていたら、鮫島からのメッセージが割り込んできた。 『風邪ですか? お見舞いに行きます!』  僕は文字だけでも圧倒されて、痛み始めたこめかみを階段の手摺に押しつけた。 『弟たちがいるから大丈夫』  送信ボタンを押そうとする僕の脇を、秋良が駆け下りていく。 「いってきまーす。また明日っ」 「え、泊まり?」  やたらリュックサックがふくらんでいるのは、勉強道具が詰まっているからだと信じたい。間違っても公共の場所で変な物をぶちまけるなよ。 「食洗機はセットしておいたから、あとよろしく」  在宅ワーカーの夏弥までが、キャリーケースを手に階段を降りていった。 「え、お前どこ行くの?」 「さっき言ったじゃん。二泊三日で取材。じゃあね」  靴の爪先をとんとんと打ちつけながら出て行ってしまった。 「そんなぁ」  悪寒が止まらなくて、僕は肩をすぼめた。 『駅に行く途中で、宇佐木さんっていう表札を見つけました。出窓にサバトラ模様の猫ちゃんがいるお宅で合ってますか?』  僕は立ち上がり、サバトラ模様のフユ越しに外を見た。門の前には紺色のスーツを着た鮫島が立っていて、僕に気づくと大きく手を振る。僕はめまいがして、出窓のふちに掴まったまま、階段にへたりこんだ。 『鍵開いてるから、勝手に入ってきて』 「おじゃまします」  鮫島が玄関のドアを開けて入ってくるときには、僕は完璧な病人になっていた。背中は寒気に襲われ、こめかみはボルトをねじ込まれるように痛く、口の中は乾いて熱く、勝手に涙がにじんで視界がぼやける。 「顔、真っ赤じゃないですか。熱は?」 「わかんない。急に具合が悪くなったから」 「とりあえず横になりましょう。部屋はどこですか」  身体を支えられ、自室のベッドに座らされた。 「着替えて休んだほうがいいと思います。部屋着はどこですか?」 「クローゼットの引き出し、二段目……」  答えるあいだにも体調は悪くなっていき、僕はベッドに倒れ込んだ。

ともだちにシェアしよう!