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第26話
フユは小さくため息をつき、長い尻尾でパタン・パタン・パタンと三回床を叩いた。その瞬間、僕のスマホが鳴動し、社内チャットの通知が届く。
『おはようございます。今日の出社は何時ですか』
鮫島からのメッセージに最後の気力を奪われて、僕は心を決めた。
『今日は休む』
『具合悪いんですか』
『少しだけ』
そう返事をした瞬間に背筋が寒くなって、ぶるぶるっと勝手に身体が震えた。
「僕、暗示にかかりやすいのかな」
情報システム部のチャットルームにメッセージを送っていたら、鮫島からのメッセージが割り込んできた。
『風邪ですか? お見舞いに行きます!』
僕は文字だけでも圧倒されて、痛み始めたこめかみを階段の手摺に押しつけた。
『弟たちがいるから大丈夫』
送信ボタンを押そうとする僕の脇を、秋良が駆け下りていく。
「いってきまーす。また明日っ」
「え、泊まり?」
やたらリュックサックがふくらんでいるのは、勉強道具が詰まっているからだと信じたい。間違っても公共の場所で変な物をぶちまけるなよ。
「食洗機はセットしておいたから、あとよろしく」
在宅ワーカーの夏弥までが、キャリーケースを手に階段を降りていった。
「え、お前どこ行くの?」
「さっき言ったじゃん。二泊三日で取材。じゃあね」
靴の爪先をとんとんと打ちつけながら出て行ってしまった。
「そんなぁ」
悪寒が止まらなくて、僕は肩をすぼめた。
『駅に行く途中で、宇佐木さんっていう表札を見つけました。出窓にサバトラ模様の猫ちゃんがいるお宅で合ってますか?』
僕は立ち上がり、サバトラ模様のフユ越しに外を見た。門の前には紺色のスーツを着た鮫島が立っていて、僕に気づくと大きく手を振る。僕はめまいがして、出窓のふちに掴まったまま、階段にへたりこんだ。
『鍵開いてるから、勝手に入ってきて』
「おじゃまします」
鮫島が玄関のドアを開けて入ってくるときには、僕は完璧な病人になっていた。背中は寒気に襲われ、こめかみはボルトをねじ込まれるように痛く、口の中は乾いて熱く、勝手に涙がにじんで視界がぼやける。
「顔、真っ赤じゃないですか。熱は?」
「わかんない。急に具合が悪くなったから」
「とりあえず横になりましょう。部屋はどこですか」
身体を支えられ、自室のベッドに座らされた。
「着替えて休んだほうがいいと思います。部屋着はどこですか?」
「クローゼットの引き出し、二段目……」
答えるあいだにも体調は悪くなっていき、僕はベッドに倒れ込んだ。
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