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第30話
キッチンでコーヒーを落とし、牛乳と混ぜて一気に飲んだ。
「何だよ。僕は鮫島の気持ちなんか知らない。僕は恋人でも何でもないし。っていうか、別に何も言われてないし、僕が自意識過剰なだけなんだけどっ! あー、もう!」
シンクのふちを掴んで息を吐き、コーヒーメーカーを見て、僕は冷蔵庫から卵を取り出した。
「コーヒーメーカーで温泉玉子が作れるなんて、初めて知りました」
鮫島の機嫌はすっかりよくなった。
「あーん」
なんて開ける口にスプーンを押し込んであげて、僕は仕事の合間に何をやっているんだろうと思う。
「親父を思い出します」
ぽつんと鮫島が呟いた。
「台湾に帰りたくなった?」
「いえ、鮫島の父ではなくて、実の父親です。酒を止められなくて、本人も苦しかったと思いますけど、家族も大変でした。いろいろダメな人だったけど、温泉玉子を作るのが上手かったんです。いい思い出が少ない中で、温泉玉子はいい思い出です。……すみません、変な話をして。熱を出してうわごとを言いました」
僕は気の利いたことは何も言えなかったけど、少しでも鮫島の気持ちに寄り添ってあげたくて、温泉玉子を最後まで食べさせてあげた。
「ずいぶん懐かれたな」
大きな公園の桜並木を見下ろすバーで、蒲田さんは吉野というカクテルを飲みながら片頬を上げる。
「懐かれた? 誰に?」
「鮫島」
「ああ、鮫島」
窓の外に見える公園の桜は盛りを過ぎ、しきりに花びらを散らしていた。
「一気に詰めてこられると戸惑うよね」
僕は相変わらずラムネ味のカクテルだ。思い出の中の灯に自分の気持ちを引き止めて欲しいから。
花びらが枝を離れて風に乗る。蒲田さんは、くるくる渦巻く風を睨んだ。
「宇佐木の寝顔をみたのか、あいつは」
八重桜の塩漬けが揺れるカクテルを、蒲田さんは一息にあおった。酒の中では美しかった桜の花が、グラスの底に醜く貼りついた。
「……蒲田さん、ひょっとして嫉妬してくれたの? そんなはずないよね」
蒲田さんは何も言わず、僕の頭を抱え込んだ。
ワイシャツはクリーニングに出しているんだろうけど、その下のアンダーシャツや靴下なんかは、自宅の洗濯機で洗っているんだろうな。きっと家電量販店を一緒に歩いて、奥さんと相談しながら選んだ洗濯機で。洗剤や柔軟剤は誰が決めているんだろう。
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