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第15話

 彼が口を開いた、その瞬間。  まるで僕達の喧嘩を止めるかのように、唐突にパトカーのサイレンが響いた。  藤堂君は口を開いたまま、僕は彼を見つめたまま、2人共、動きを止める。  まさか僕達の怒鳴り合いで、なんて事はないだろうが、その音は段々と近付いてきていた。  どうしてだか、僕等に無関係だとは思えない。  このドキドキが、何故なのか解らない。  お互いに見つめ合いながら、神経を耳に集中する。 「うそ。停まった」  それは正に、僕達のマンションの前で停まったようだった。  弾かれるようにして、藤堂君がベランダへと走り寄る。窓を開け、ベランダから身を乗り出した。 「このマンション?」  ベランダ用のサンダルを彼に取られた為、窓から首を伸ばす。 「よく判んない。でもマンションの前で停まったのは、間違いないみたいだ」  マンションの正面側ではない為よくは見えないが、パトカーの回転するランプがチラチラと周りに反射していた。 「――俺達じゃ、ないよね?」  ピシャリと窓を閉めながら、藤堂君が確認してくる。  隣や上下の住人に声は聞こえていたかもしれないが、れっきとしたマンション。警察を呼ばれる程響いてはいなかった筈だ。 「違うと思うけど」  答えながらも落ち着かない。  嫌な予感を、拭い去る事が出来ないでいる。それは、藤堂君も同じなようだった。  2人共、ただ突っ立ったままでいた。ゾクリと寒さを感じて、暖房を入れていない事に気付く。  リモコンを持ち上げ、ピッと電源を入れると同時に、今度は救急車のサイレンが響きだした。 「な、なんだよ」  又もや近付いてくる。不安を煽る音に、藤堂君が擦り寄るように身を寄せてきた。  もう、喧嘩どころではない。  訳の解らない重圧が、圧し掛かってきているようだった。 「――見に行ってみる?」  案の定。マンションの前に停まったらしい救急車に、堪らず藤堂君に訊く。 「う……ん…」  迷っていたようだったが、決心したように「よし」と頷くと、玄関へと向かった。  玄関を開けた途端、人の話し声が聞こえてくる。それは決して大きな声ではなかったが、時間が夜中だった事もあり、ここまで聞こえてきていた。 「まさか……」  手すりから身を乗り出し、上を見上げた藤堂君が、駆け出す。目の前の階段を駆け上がった彼の後を、すぐさま追った。  階を上がって行く途中で、彼の呟きの意味が解ってくる。話し声は12階、彼の家がある階でしていた。 「母さんッ!」  12階に着いた途端、藤堂君が声を張りあげた。  夜中だというのに、人や警察で溢れ返っている廊下。その人達が一斉にこちらを振り返った。  その中に、救急隊員に挟まれるようにして、女性が1人立っていた。  ぼさぼさに乱れた髪。血に塗れたタオルを、額に押し当てている。 「お前ッ! なんて事してくれてんだッ!」  彼女の姿を見止めた途端、1人の男性に飛び掛かっていく。 「ちょっ……、藤堂君っ!」  間に合わなかった僕の代わりに、男性の隣にいた警官が、藤堂君を押し留める。 「孝太! やめなッ」  女性の鋭い声が、辺りに響く。  驚いて女性を振り返った藤堂君の左頬を、さらりと優しい手が撫でた。 「腫れてるじゃない」  その言葉を聞いて、藤堂君が一瞬泣きだしそうな顔をする。 「これは……。また、友達とケンカ、して――」  俯いた藤堂君の台詞を遮るように、頬を撫でていた手がポンッと頭へと移った。 「バカだね。母さんに任せときな」  そして余裕に微笑むと、僕へと顔を向け、母親の顔で頭を下げた。藤堂君の頭を撫でてから、歩いて行く。  救急隊員と共に、女性がエレベーターへと乗り込んだ。 「えーっと、息子さん?」  僕と同年代の、藤堂君を押し留めた警官が彼に話しかける。 「――はい」  返事をしながらも、再び戻って来たエレベーターへと乗り込む男性を睨みつけている。  よく見れば、男性の手には手錠が嵌められていた。挟むように、2人の警官に付き添われてドアが閉まる。 「君は、怪我とかはしていない?」  確かめるように藤堂君の体に視線を投げる。その視線はやはり左頬で止まり、ボードに挟まれた用紙へと何かを書き込んだ。 「はい。……家に、いなかったので」 「そう。あのね、ご近所の人から通報があって。お母さん、知り合いの男性から怪我負わされてしまったみたいなんだ」  優しい声。藤堂君を動揺させぬようにとの、気遣いが伝わってくる。 「さっきお話伺ったら、意識もしっかりしておられるし、すぐに病院で診てもらうから。そこは心配いらないからね」 「はい」  藤堂君の、下ろされたままの拳が震えている。  少しでも彼の支えになればと、隣に並んだ。 「今から君にも、少し話聞かせてもらう事になるけど。お母さんの病院にも、一緒に行くから」  ゆっくりと、言い聞かせるように言って、僕へと視線を向けた。 「――あなたは?」 「僕は……」 「この人は、関係ないんです。僕が通ってる歯医者の先生で、さっき偶然、廊下で会ったから」  だから、関係ないです、ともう1度藤堂君は繰り返した。 「このマンションに住んでおられます?」 「はい。612号室の久坂宙と言います」  警官はボールペンで用紙に記入すると、再び藤堂君へと視線を戻した。 「1人で大丈夫? 先生に付き添ってもらうか、もし、近所に親戚の方とかおられるようなら……」 「いえ。1人で大丈夫です」  僕の方は、付き添っても全然構わなかった。だが彼が、それを完全に拒絶した。 「先生、ご迷惑かけてすみませんでした。失礼します」  ペコリと僕に頭を下げて、警官と共に歩いて行く。エレベーターのドアが閉まるまで、彼は1度も僕を見ようとはしなかった。

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