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そっと隠した、愛のことば(2)

「――そういや、そろそろ就活って話が出てくんのかな」  俺がぼんやりとそう呟いたのは、舞島がシャワーから戻ってきた時の事だった。俺が使ったローションや彼自身が宙へと放った白濁――そして、俺が思わず彼に掛けてしまった欲をさっぱりと洗い流し、見慣れてしまったボクサータイプの下着だけを身につけた状態で彼は「あぁ」と声を漏らす。「夏休み終わったら、キャリア講座だかが必修だったな」ベッドに座る俺の隣にそのまま腰を下ろした彼は、テーブルに置いたままにされていた黒い棒に手を伸ばす。それは加熱式タバコというもので、舞島は俺の部屋にいる時だけそれを使っていたのだ。俺の家に居る時間が多くなってきた頃に「色々試してみたけど、これが一番臭くなかった」と言いながら、買ったばかりなのだろう白い紙袋を掲げて見せた彼は少しだけ恥ずかしそうに笑っていた事を覚えている。「部屋、臭いつくのはよくないと思って」何に対しての言い訳なのかもよくわからない言い訳のような言葉と共に俺の家に置かれたそれは、大抵コトが終わった後に使われていた。 「舞島はどういう業界目指してるの?」  興味本位で訊ねた言葉に、彼は少しだけ考えるように視線を宙に彷徨わせてから「考えてなかったな」と零す。「外資系は絶対に行かないけど」重ねられた言葉に俺が首を傾げれば、彼は小さく笑って「絶対に会いたくない人がいるから」と言葉を繋いだ。冗談のように笑ってさらりと口にしたその言葉は、きっと彼の本心なのだろう。舞島の表情よりも雄弁な瞳の奥で見え隠れしていたのは、嫌悪の色で。――一体、そこまでの嫌悪を抱く相手というのはどんな存在なのだろう。会いたくないのであれば、業界ではなく会社だけを避ければ何とかなるのではないかとか、同じ業界にも居たくないほどの事というのはどういう事なのだろう、なんて。聞いてみたいとは思ったけれど、それを口にして拒絶される事があったらきっと、俺は自分で俺を殺したくなってしまう。――俺にとってこの関係は砂上の楼閣みたいなもので、その城を崩すのはせめて舞島の手であって欲しいのだ。俺の不用意な言葉で砂の城が崩れてしまうなんて、俺には耐えきれないものだったから。だから、俺は「へぇ」とだけ言葉を口にする。「そういうお前は目指してるのあるのか?」自分の話題を切るように、俺に同じ問いを投げた彼へと俺はその答えを口にする。「出版社」昔から、本を作る人になりたいというのが俺の将来の夢で。物語を作る才能は爪先一つ分も無い事に気付いていた俺は、大学に入る前から第一志望は決めていた。それに潜り込めるかはともかくとして、目指す事なんて止める事は出来なかったのだ。 「そうすると、東京か」  何かを考えるように呟いた舞島の言葉に「そっち中身で考えてる」と言葉を返す。本当は東京の大学を目指していたけれど、家族の猛反対に遭って今の学校を妥協点として入学した事を彼に告げる事は出来なかった。この学校に来なければ、彼と出逢う事も出来なかったから。ふぅん、と小さく声を漏らした彼は、独り言のような言葉を零した。「東京も、考えてみるか」俺はそんな彼の言葉一つで幸せになれてしまう自分に気付きながら、緩んでしまう頬をそのままで「もし、お互い東京に就職したら、一緒に住もうよ」なんて言葉を返す。そんな俺の頭に軽い手刀を一つ落とした彼は、少しだけ呆れたような声色で「考えるだけだし、二人揃って東京行けるって決まった訳じゃないだろ」なんて俺から視線を逸らすようにそのままベッドへ倒れ込んだ。そんな彼に覆いかぶさるように俺も彼の隣に寝転べば「今日はもうしないぞ」と枕の中でくぐもる声が飛んでくる。「わかってるって」俺に背を向け寝転ぶ彼の背を抱きしめながら、俺は彼のパサパサとした金髪にひとつだけキスを落とす。「おやすみ」俺の言葉に、彼は小さな声で同じ言葉を返してくれた。付けっぱなしだった電気を消すためにベッドから起き上がりながら、俺は舞島の言葉を心の中でだけ反芻する。――東京での就活も、考えてくれるんだ。彼の考える未来に自分が居る余地があるらしい事を知った俺は、それだけで幸せで。この砂上の楼閣を、彼がどう思っているのかは分からないし――怖くて知る事も出来ないけれど。それでも俺は、彼の未来に自分が居てくれる未来を願ってやまなかった。パチン、という軽いプラスチックの音を立て部屋の中は夜の闇へと沈み、俺は幸せを抱きながら狭いシングルベッドの上で愛する男の体温に触れながら眠りへと就く。この夜が明けなければいいのに、なんて考えながら。  新学期が始まり、次第に夜が長くなっていく季節。俺たちは相変わらずの生活を続けていた。大学と、バイト先の往復にプラスして俺たちの学年に対して始まった就活セミナー。舞島の髪は相変わらずの金髪だったけれど、学外のセミナーに行く時だけその上に黒い人工毛を被っていた。見慣れない彼の姿にひとしきり笑った俺に「バイト先だけこれで通してたんだけどな」と彼は笑う。彼のバイトは塾講師と家庭教師の掛け持ちで、金髪で授業してるのかと思ってたと言えば「さすがにそれはマズいだろ」と真面目な顔で返される。そこまでして彼が金髪に拘るのは何なのだろうかと思っていれば「まぁ、四年になったら流石に黒染めしないとな」と彼は面倒くさげに呟いた。 「でも、パンチあったよな。普通染めるってなっても入学した後じゃない? 学校見学会の時点で金髪なの、俺びびったもん」  俺がそう口にすれば、彼は少しだけ遠くを見つめてから「あれな」と口を開きながら俺に焦点を戻した。「何ていうか、衝動的にやったんだよな。真面目に生きてきたと思ってたのに、それが無駄だったのかもなって思ってさ」俺の知らない過去を思い起こしたのだろうか、曖昧に笑った彼はどこか居場所がない子供みたいに見えて。きっと、スーツを着て黒い髪を被る彼の耳朶に小さく存在を主張するいくつもの穴も同じ理由なんだろう。流石に開ける場所が無くなったのか最近は増えていないピアスも、最初に会った時は両耳に一つづつだけだった筈だ。数ヶ月に一度程度の頻度で増えていった彼のそれが落ち着いたのはいつだっただろう。あまりにも彼によく似合っていたから、ある程度の個数が開いた後は増えている事に気付かなかっただけという可能性もあるけれど。 「しっかし、スーツの男が二人連れでクリスマスマーケットってのも中々にシュールだな」  セミナーの帰り道、俺たちはこの時期になると催されるこの街の風物詩ともなっているクリスマスマーケットに足を運んでいた。辺りにはアーモンドの焦げる香ばしい香りが立ち込め、明るい調子のクリスマスソングが流される。俺はホットワインを舞島はビールを手に、開いている席を探したけれど人でごった返す会場内でちょうどいい場所は見当たらずに俺たちは結局皿に盛れるような料理を頼む事も出来ず、飲み物を片手に二人並んで人が行き来する姿を視界に入れていた。「季節感は大事だろ」ビールを呷りながら小さく笑って零された彼の言葉に俺がそう返せば「まぁなぁ」と彼は言葉を返してくれる。「うちの母親、昔っからあのアーモンド菓子が好きでさ。あれが売られる度に大量に買ってくるもんだからクリスマスマーケットと雪まつりは大体アーモンドってイメージになってんだよな」冬イコールアーモンドってどうなんだか。と彼は空になったビール瓶を振りながら肩を竦める。「っていうか、この寒い中でビールとか寒くない?」既に冷え始めたホットワインをぐい、と飲んで俺は彼に疑問を投げる。「今めちゃくちゃ寒い」不本意そうに口にした舞島の言葉に俺は小さく吹き出して「じゃぁ、帰ろっか」と告げる。そんな俺の言葉に頷いた舞島は「あ、そうだ」と思い出したように声を上げる。「もうすぐクリスマスだろ、ここでクリスマスプレゼント何がいいか選んで」あまりに唐突な彼の言葉に、俺は「え?」と訊き返してしまった。そんな俺に舞島は言葉を考えるように視線を彷徨わせてから、再び形の良い唇をゆっくりと開く。「クリスマスプレゼント、選ぶ時間無かった。流石に渡せないのは格好付かないだろ? 恋人としてはさ」肩を竦めて少しだけバツが悪そうに笑った彼に、俺は「クリスマスとかちゃんと考えてくれてるとは思わなかった」と正直な感想を口にする。元々舞島はそういうのに無頓着な方である事は知っていたし、去年はクリスマスの予定を女子から訊かれて一言「バイト」とだけ言っていたくらいだから。俺の感想に少しだけふてくされたように「一応、考えるだろ。付き合ってるんなら」なんてボソリと呟いた。「そういうとこ、本当好きなんだけど」思わず溢れた俺の言葉に、彼は小さく笑って「ならよかった」と言葉を返す。そうして俺たちは食べ物を扱う屋台が並ぶ場所から雑貨を扱う通りへと足を向ける。煌びやかなクリスマスの雑貨が並ぶ中で、俺が選んだのはクリスマスの街並みが描かれたマグカップで。「こんなので良いのか?」と首を傾げた舞島に俺は詳しい希望を彼へと伝える。「その代わり、色違いで二つ欲しい。うちで一緒に使おうよ」俺の希望は「わかった」という一言で叶えられて、店員から舞島へと渡された紙袋はバケツリレーの要領ですぐに俺へと到達する。二つ分の陶器の重さを手に「今日は家帰るの?」と彼へ問いかけた俺の言葉に「帰った方がいいなら帰るけど」と不思議そうに彼は首を傾げる。普段は舞島から何も言われなければ大体俺の家に二人で帰るのが常だったからだろう。「いや、これ渡したって事はウチには来ないのかなぁって」疑問の理由を俺が口にすれば、彼は少しだけ表情を硬め深く息を吐き出してから「何も考えてなかった」と言葉を吐き出す。なにそれ可愛い。それはつまり、プレゼントを買えたから早く俺に渡そうとしたという事なのだろう。まるで犬が飼い主の投げたボールを拾って戻ってきてすぐ渡すようなその行為に、俺は頬を緩めて言葉を返す。「すぐ俺に渡したかったんだ」そんな俺の言葉に、舞島は俺から視線を外して少しだけ先を歩くように歩調を早めた。それが照れ隠しである事くらいなら、俺でも何となくは分かるようになっていた。普段は冷静で淡々としている彼が時折見せるそういうところは、相手が俺であるからなのだろう。ふとした瞬間に見せる、友人であった時には知らなかった舞島のそんな一面を見る度に俺は心のどこかで優越感を感じていた。彼が俺へ持つ感情が、確固たる恋であるかは分からないけれど――そんな一瞬だけは、ちゃんとした恋人同士のように感じていたのだ。

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