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まだ、気づかぬままで(1)

「舞島の黒髪とかめっちゃ違和感あるなぁ!」  白く冷たい季節を越えてやってきた新学期、最初の授業で顔を合わせた割と仲の良い同期はそう言って俺の姿を見て笑う。「そうか?」俺が首を傾げて問えば「舞島って、入学した時からずっと金髪だったもんな」と碓氷が静かに笑って口を開くのだ。そんな彼らの言葉に乗るように、他の同期達もそうだそうだと首を縦に振る。「金髪もサマになってたけど、黒くすると真面目そうに見えるよな。イケメンは何してもイケメンってか」違和感があると騒いでいた男はそう言って恨めしげな視線を俺へと向ける。そんな事を言われたところで自動で顔が変われる訳ではないのだが。曖昧に笑って言葉を流した俺に、碓氷は静かに笑みを浮かべたままで口を開いた。 「でも、また女の子にモテるでしょ。黒髪の舞島くんも格好いいってさ」  その調子は親友だと思っていた頃のそれと同じ調子を装って、それでも少しだけ覇気がないもので。碓氷の言葉に乗った同期達は「そうだそうだ」だの「ずるいぞ」だのと勝手な事を口にしていく。そんな時に、思い出したように声を上げた同期の一人は「そういや、舞島に彼女出来たって本当?」と口に出す。彼の言葉に俺は一瞬碓氷へと視線を向ける。彼は、形容し難い感情を瞳に宿しながらも表面上は笑みを浮かべてた。――それって、お前の事なんだけどな。心の中でだけ碓氷への言葉を呟いて、俺は「あぁ、」と相槌とも肯定とも付かない声を上げる。「こないだ告白された時、相手いるからとは言ったな」女に興味ないという言葉を断り文句に使い続けていた俺が、相手が居ると断り始めたのは半年ほど前からで。他の友人達が居る前では友人の距離感で居ようと決めたあとに口にし始めた言葉だった。俺にとってはその想いを真正面から俺に伝えてくる彼女達の存在というのは不可思議に思えるものであり、彼女達が俺に対してどう感情を変化させようがどうでも良かったのだ。碓氷が望んでいるから、相手が碓氷である事は口にしない。けれど、恋人と名のつく相手はいるという事だけなら口にしたっていいだろうと、この時まではそう思っていたのだ。――それは、俺の誤算だった。碓氷の瞳に浮かぶ色をチラリと見ながら、他の同期達が口にする「どんな子?」だとか「キレイ系?」だとか「写真ないの?」だとかいう疑問を耳に通しながら、俺は口元に意識して作った笑みを浮かべてから「秘密」という一言だけを口にする。俺は別に、碓氷との関係を口にしたって構いはしないのだ。他者からの勝手な評価程、適当で無責任である事を俺は知っていたから。けれどもそれで碓氷が嫌な思いをしてしまう可能性がある以上、俺は彼がそうしたいと口にする迄は口を噤む事を決めていた。友人達の言葉を聞き流しながら、俺はポケットから取り出した携帯をそっと操作する。メッセージの送信先を設定し、短い一文を打ち込んで送信した先は俺の隣で笑顔を貼り付けながら同期達と言葉を交わす碓氷の携帯。机の上に置かれた携帯が震える低いバイブレーターの音が静かに鳴って、彼はちらりと画面に視線を落とす。彼の瞳には、安堵の色が浮かんでいた。 『お前の事だよ』  それ以外の言葉を全く入れなかったそのメッセージは、正しく彼へと届いたらしい。友人達には見られないように、こっそりと彼の膝が軽く俺に当たる。そんな碓氷の仕草に俺は同じように膝を当てて返した。始業の鐘が鳴り、教授が講義室へと入ってきた所で、俺たちは一斉に口を閉じて壇上に立つ教授へと視線を向けたのだ。  まだまだ春には遠く感じる時期、俺は碓氷の家にほど近いコンビニに置かれた灰皿の前でぼんやりとタバコを咥えていた。校内でも飲み会でも吸わないタバコをここで吸っていたとして、誰かに見咎められても法律的には問題無い。元々多少法律よりも早く吸い始めてしまった頃からの習い性であまり人前で吸わないようになっていただけだったし、今は何となく碓氷以外の誰かの前で吸おうとは思えなかっただけの話で。去年のクリスマスの少し前に碓氷から贈られたオイルライターの蓋を片手で開けて、そのままフリントを擦る。オイルの燃える匂いとともに赤い炎が上がり、俺はその先端に咥えていた紙筒を近づける。バニラの香りが微かにした。彼の贈り物はシンプルなデザインのそれで、金属製のケースの表面に刻まれたのは俺のイニシャルだけ。そのくせ、スチール製の中身の表面には短いメッセージが入れられていた。:I truly love you.(本当に愛してる)それだけがこっそりと刻み込まれたそれは、碓氷の確かな気持ちなのだろう。手の中に収まる四角く冷たい金属を握りながら、気づけば俺は小さく笑みを漏らしていた。彼から与えられるそれらの感情というものは、俺にとっては居心地の良いものになっていた。もっと欲しいと思ってしまうくらいには。長くなってしまっていた灰を灰皿に落とせば、耳に馴染む声が俺へと届く。 「舞島、お待たせ」  少しだけ駆けるようにこちらへと向かってきた碓氷は、俺の前で足を止めて笑みを浮かべる。「バイト、お疲れ様」ふわりと嬉しそうに笑みを浮かべて言葉を繋げた彼に「お前もだろ」と言葉を返す。俺の方が早くバイトが終わり、彼が帰ってくるのを此処で待っていたのだ。これまでにも何度かあったこんな待ち合わせは、何故か嫌いではなくて。多分他の相手であればそんな事は思わないし、最悪自分の家に帰ってる。そして俺は、この感情の理由に名前を付ける事が出来ずにいた。それに名前を付けてしまう事が、何故だか恐ろしく感じていたのだ。「おつかれ」俺の短い言葉に嬉しそうに笑った碓氷は、俺のタバコが灰皿に落ちていくのを見つめてから「帰ろっか」と言葉を重ねる。そうして俺たちは碓氷が暮らし、俺が週の半分以上を過ごす家へと足を向けた。

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