14 / 32

まだ、気づかぬままで(2)

「あ、やっぱり冷えてる」  ドアが閉まる重い金属音が響いた後、彼は俺の手を取りそんな言葉を口にする。そう言って俺の手を両手で握った彼は、俺の冷えた指先を温めるようにぎゅ、とその指先に力を込めるのだ。玄関で俺の手を握る碓氷の好きなようにさせていれば「あったかくなる事、する?」と期待を込めた視線を俺へと向ける。――俺がこの家に足を踏み入れている時点で、答えはイエスである事を知っているくせに、彼は時折そうやって俺の意思を確かめるような言葉を口にする。「いいよ――準備してくる」碓氷の手の中から自身の指を抜こうと手を引くが、彼の手は俺を離そうとはしなかった。「いや、離してもらえないと動けないんだが?」本当に振り切ろうと思えば力で何とか出来る事は知っていても、そこまで無理やりに離れたい訳でもなかった俺は言葉でやんわりと彼に離すように伝える。「準備、俺にさせて?」小さく首を傾げながらそう告げる彼の瞳は強い意思を持って俺へとまっすぐに向けられる。「それは……」流石に恥ずかしい、そう一言告げればきっと彼は俺を離してくれるのだろう。言い淀んだ俺の言葉に追い討ちをかけるかのように「だめ?」と重ねられた彼の声に俺はそれを否定する事が出来なくて。ぎこちなく頷いた俺を見つめる彼は、言葉もなく嬉しそうに笑みを浮かべていた。 「――や、やっぱりコレは流石に恥ずかしいぞ……?」  すぐ行くから先に入っててと言った彼は、本当にすぐに俺が普通にシャワーを浴びてる所にやってきた。二人が立ってギリギリな広さしか無いバスタブの中で、碓氷は俺の背をつうっと指でなぞっていく。バスタブと外を遮るシャワーカーテンの中で降り注ぐ湯の粒を二人して浴びながら、碓氷は俺を後ろから抱きしめて両の手のひらで俺の胸から腹にかけてを撫でていく。彼のものが硬さを帯び始めている事を、後ろから押し付けられるその感触で知った。フックに掛けられたままのシャワーヘッドに俺の背後から伸ばされた碓氷の指が掛かる。そのまま彼は俺の身体で遊ぶようにシャワーヘッドを俺へと押し付けるのだ。胸の頂を水流が刺激したと思えば、じっくりと腹筋を濡らしその下へと到達する。強い水流は俺の快感の呼び水となり、俺のものもゆっくりとその鎌首を擡げはじめていく。思わず漏れ出る微かな声に、俺が少しだけ非難の色を含んだ言葉を口にすれば、碓氷は俺の背後で「一回やっちゃえば慣れるって」なんて適当な言葉を吐くだけで、俺を逃してくれようとはしなかった。シャワーヘッドが外されたのだろう金属音が聞こえて、俺は水流と水温を調節する。いつも大体このくらいの目盛り、というのは俺の中で決まっていた。やわやわと指で周囲を触っていた彼の指は、俺が行った水流の調節を合図に中へと潜り込んでくる。入り口の辺りを広げるように指を動かす彼の動きに焦ったさを感じる。俺が自分で準備をするときは、出来るだけ快感を拾わないように雑に広げてからすぐに洗い始めるようにしていたのだ。碓氷の指によって丁寧に広げられていく俺の孔は次を求めるようにひくりと動いてしまう。俺の反応に小さな笑い声を漏らした彼は、ホースだけになった先端を俺のそこへと押し当てた。緩い勢いのぬるま湯が俺の中へと入り込み、その刺激に俺の口からは熱さを含んだ息が漏れる。「……っは、」ホースが離れた事を感じれば、俺は腹に力を込めて中に入り込んだ湯を吐き出していく。碓氷の目前でどんな色のそれが吐き出されているかまで確認する勇気は出なかった。何度か同じ行為を繰り返して、満足したらしい彼はそのまま手に持っていたホースをバスタブの床へと落とす。プラスチック製の床に、重いビニールが落ちる鈍い音がした。「このまま一回イこ」俺の耳元で囁いた彼の言葉の意味を考えてしまった俺に対して、碓氷の行動は早急だった。既に完全に勃ち上がっていた彼のものが、後ろから俺の尻の間を行き来する。「腿、締めて」彼の言葉に俺の身体は自然と従っていた。狭いユニットバスの壁に押し付けられて、彼がどんな表情を浮かべているのかも分からない俺は、ただただ彼の早急な行為に興奮を高められていて。入り口を掠めて中に入ってくれない焦ったさと、いつもよりも激しい動きに翻弄された俺は荒くなった呼吸のまま「挿れて」と喚く。締められた足の付け根で自身を擦り上げる碓氷は「一回イったらね」と優しい声で囁いて、勃ちあがり始めた俺のものを扱きあげる。「っ、ぁ……」小さく吐き出された俺の声と共に、二人分の生命の材料は混ざり合って排水溝へと消えていった。快感に染められはじめていく脳内で、その無残にも消されていく生命の残滓を見つめながらこの行為の無益さを知る。どう足掻いても何も生み出す事など出来ないこの虚ろな営みに、意味などあるのだろうか。口には出さないその想いは、現実に上げられる俺の嬌声に掻き消えていく。彼のものがようやく俺の中へと入ってきた事で上げられた歓喜の声は、彼の動きと共に喉から漏れ出ていって。俺は力が抜けそうになる足に力を入れながら、壁にしがみつく。碓氷の表情を見る事が出来ない行為なんて初めてで、俺は壁に両腕を押し当てたままで必死になって彼を見ようと視線を後ろへと向けるのだ。いつもよりも興奮の色を帯びた彼の視線が俺の視線と絡み、彼は俺の身体に腕を回して俺を支えながら俺の唇へとむしゃぶりつく。「んっ、っふ……っ! ん……っぁ…」俺の声は彼の口の中へと消えて、その隙間からくぐもったように息が漏れていく。ずしり、と奥の――その先を目指す彼のものは、更に質量を増しているように感じて。これ以上の先に入り込もうとする彼のものへと、快感と恐怖が混ざって――何も考えられなくなっていく。「やっ……ッ! いやだっ」知らない快感に拒絶の声が出たその瞬間、ぐぽり、と何かを越えて俺の最奥は碓氷の陰茎に支配される。「っぁ、あ――ッ!」自分の耳へと届いた俺自身の甲高い嬌声をさいごに、俺の思考は白くスパークした。  気が付けば、ベッドの上で俺は枕に顔を埋めて腰だけを高く上げた状態で彼の欲を受け容れていた。喉からは嬌声しか出せず、俺の中心は男としての役目を果たせそうには無いほどに彼の抽送に合わせて揺れていた。今まで知らなかった過大な快感に、脳が焼き切れるような感覚を知る。「も、イキたくない……ッ」自然と喉から溢れる嬌声の合間に、ようやくそれだけを口にすれば彼は言葉を返す事もせずに奥深くを狙い撃つように深い抽送を繰り返す。ごり、と前立腺を削られその先の今まで知らなかった快感を抉る。ぼた、と精ではない何かが勢いもなく尿道から零れ落ちていった。深く激しい快感に身を震わせるしかなかった俺は、快楽を教え込むように最奥を犯す男のされるがままになっていた。シーツを掴みながら声にならない声を上げ、ようやく激しい行為が終わりを迎えたのはずいぶんと後の事だったように感じる。彼が俺の中から出ていった筈なのに、身体に残される快感の残滓に俺は身を震わせ続けていた。ひくひく、びくりと蠢く俺の入り口と胎内は、あれだけの快感を得ても尚碓氷の硬い男の象徴を求めているかのようで。俺はもう、この男に全てを作り替えられてしまっているのだと言う事を知る。行為の余韻が強く残る身体を身動ぎさせて、俺は漸く俺の男の顔を見る事が出来た。「ごめんね、」後悔と満足がぐちゃぐちゃに混ざったような顔で、その男は俺へと言葉を落とす。俺は上手く力が入らない身体を――腕を持ち上げて、彼の顔へと指を伸ばす。じっとりと汗ばんだ彼の頰をするりと撫でて、俺は自然と口を開いていた。 「お前になら、何をされてもいい」  俺の言葉に、碓氷は驚いたようにその瞳を開いてから、甘く柔らかな色を浮かべてゆっくりと細める。彼の目尻から零れたひとしずくは美しく彼の頰を流れ、俺の上へとポトリと落ちていった。「――愛してるんだ」懺悔のように吐き出された碓氷の言葉には、いつものように俺もだと返す事が出来なかった。ゆっくりと降ってきた彼の口付けを受け容れながら、俺はその理由を見つける事が出来ず――違う、その理由を見つけたくないと、そう思っていた。

ともだちにシェアしよう!