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その感情の名は(2)

 俺が決めた道を、碓氷に告げたのはその翌日の事だった。「――こっちで、就職する事にした」ベッドの中で眠りに就く少し前にようやく口にする事が出来た俺の言葉に、彼は「そっか」と頷く。その表情を見る事が怖くて、俺は彼に背を向けたまま「やっぱりあの男と数ヶ月生活するって考えると、しんどいなって」なんて言い訳みたいな言葉を口にすれば碓氷は小さな声で笑う。「直人らしいや」からりと笑った彼の言葉に、心臓が締め付けられるように痛んだ。「……就職して落ち着いたら、一人暮らししようと思ってる」ポツリと呟いた俺の言葉に「こっち来た時には泊めてね」なんて彼は俺の首筋へと唇を落として行く。――きっとそんな未来なんてない事を、俺だけが知っていた。話題を変えるように「卒業旅行なんだけどさ」と口にすれば、碓氷は少しだけ弾んだ声で「どうする?」なんて俺の背を抱きながら俺へと問いかけるのだ。ようやく彼の顔を見る勇気が出た俺は、ベッドの中で身動ぎし身体を彼の方へと向けて自身の希望を伝えるのだ。 「オーロラ、観たいんだ」  それが最初で最後の旅だと自覚していた狡い俺は、彼との最後の思い出を彼の心に刻みたかった。――手離す事を決めた相手に、忘れられない景色を見せたかったのだ。俺にとって恋というのは罪悪で、自分本位なエゴイズムによって彼を縛り付ける事など出来やしなかったのだ。碓氷は、女性とだって恋が出来る人間だ。これが、男相手にしか恋を出来ない人間だったのならば、未来は少し変わっていただろうか。――いや、それでもきっと俺は彼の手を離していたと思う。碓氷のような、暖かな陽の光が似合うような人間を、自分のエゴイズムだけで独占しようなんて出来やしないのだ。そんな俺の心の内など知らない彼は、「オーロラかぁ!」なんて嬉しそうに笑う。「北欧でさ、オーロラ見て、観光してって、良いんじゃないかと思って」今思いついたように俺が言葉を重ねれば、彼は「いいね」なんて微笑んで、俺に柔らかな口付けを落とす。それは触れるだけの軽いものだったけれど、そんな口付けすら恋を自覚した俺は嬉しくて。せめて今だけは――大学生というモラトリアムの中でだけは、彼をそのエゴの中に閉じ込めていたいと願いながら、俺も彼へと口付けを返したのだ。  色鮮やかな季節は過ぎ、街を白い雪が彩る頃。俺は碓氷の家で彼を待っていた。去年の今頃に買った揃いのマグカップの一つで、ぬるくなったミルクティーに似たアルコールを啜っていれば鍵を開ける金属音が耳へと届く。「ただいまぁ、何飲んでるの?」上着も脱がずに俺の持つマグカップの中身を問う彼へ「おつかれ」と声を投げた俺は、上着を脱ぎハンガーへと掛ける碓氷の姿を 見ながらその中身を説明する。「濃く出した紅茶にクリームリキュール。一対二」俺の説明を聞いた彼は、一口頂戴。なんて楽しそうに口にする。その言葉にマグカップごと彼に渡せばぬるくなったそれをごくりと飲み下す。「美味しいけど、飲み過ぎたら潰れるかも」そんな感想を口にした彼は、大学生活でアルコールに強くなれなかったらしい。相変わらずの下戸である碓氷からマグカップを取り上げて、残った中身を一気に呷れば彼は俺の隣に腰を下ろす。いつもより少し距離が近い場所に腰を下ろした彼は、そのまま俺へと手を伸ばし俺の口のなかに残ったアルコールを舐めるように舌を舌を挿し入れた。「んっ、」早急なその口付け受け容れた俺の身体は、自然と熱を帯びて行く。 「――っ待て、んっ、洋哉――ふ、ステイ!」  待てが出来ない犬に掛けるような強い言葉と共に、俺の服へと手を掛け始めた碓氷を引き剥がす。「せっかくのクリスマスだよ!?」俺から引き離された彼は不満そうな声を上げる。そんな彼に「分かってる、だからこそだ」とだけ口にして、ベッドの上に放ってあった小箱を彼へと渡す。「このままだと渡すの忘れるから、絶対に」そんな言葉と共に渡したのは、昨年とは違いちゃんと俺が自分で選んだ贈り物だった。それを渡された彼は、ハッとしたように「俺も!」と声を上げて壁際に置かれた棚から何かを持ってきて、俺が渡したものと似たような大きさの箱を俺へと差し出した。それを受け取り、並んで包装紙を開けていけば同じタイミングでその事に気付いたらしい俺たちは声を上げて笑う。――俺たちは互いに腕時計をプレゼントしていたのだ。 「これから社会人だから、スーツに合いそうな時計とか良いかなーって」 「それな」  それを選んだ理由を口にする碓氷に、俺は同意する。同じ事を考えて、同じプレゼントを贈るなんて可笑しくて――嬉しくて。この瞬間だけでも同じ気持ちを共有出来た事に、俺は後ろ暗い歓びを感じていた。今だけは、隣に座るこの男が自分のものであるという事実が、罪深くて――嬉しかった。同じ腕時計でもデザインが違うそれは、互いの嗜好を感じさせて。「直人なら、シンプルな方が格好いいと思って」と告げた彼が俺へと渡したものは、ベーシックなデザインのもので。逆に俺が渡したものは、シンプルな中にもいくつかの針が回るものだった。「アイアンアニー、飛行機のコックピットをモチーフにしてるんだと」その時計がどのようなものかを告げた俺に「これ、自動巻ってやつだろ? 高かったんじゃ」と歯車が見える時計の裏を見た彼は、驚いたように俺へ視線を向ける。「ちょっと狂うらしいけど、普通に使ってたら電池要らないって便利そうだろ?」と何でもない事のようにそれを選んだ理由を告げれば、彼は少しだけ唸って――小さく微笑んだ。「ありがとう、大事に使う」俺のエゴイズムが滲みているだろうそれを、彼は宝物を扱うように箱に戻してテーブルへとそっと置いた。そんな彼に倣うように、俺もそっと彼から渡された腕時計をテーブルに横たえさせた。 「――いい?」  気を取りなおすかのような彼の言葉に、少しだけ笑ってしまった俺は「いいよ」と言葉を返す。俺の言葉を合図に、彼は俺の服へと再び手を掛けた。するりと俺の纏う布地を剥がして行く彼の手を甘受する俺に、彼は微笑みを浮かべながら剥き出しになった肌を触っていく。柔らかなタッチで触れる手と、器用に手早く片手だけで俺の服を脱がして行く彼の手はどこかミスマッチで。そんな彼の手にされるがまま――そして自分でも纏うものを脱ぎ捨てていけば、ベッドの上では一糸纏わぬ俺ときっちりと服を着たままの碓氷が見つめ合う。 「――早く脱げよ」  荒く口から零れた俺の言葉に、彼は静かに笑って「うん」と頷いた。自身が纏う布を脱ぎ去った彼の中心は既に緩く勃ちはじめていて、俺は無意識にゴクリと喉を鳴らしていた。ベッドの上で座りながら、互いを見つめていた俺たちは互いのものを触れようと手を伸ばす。動き始めたのは、俺の方が早かった。 「――直人、」  俺の名を口にした彼の声は甘い色が滲み出していて、俺は彼の中心へと舌を這わせていた。「ひろや、好きだ」嘘でも、彼がそれを求めていたからでもない愛の言葉を口にして、俺は彼の屹立を口の中へと呑み込んでいく。自発的に口から零れたその言葉は、俺の心の中にも沁みていって。――あぁ、好きだな。と、改めて自分の恋心を、手離さなくてはいけない熱を自覚する。呼吸ができなくなるくらい、奥まで呑み込んだ彼の欲は俺の喉の奥までその熱を伝えてきて。手離したくなんてないというエゴと、手離さなくてはいけないという理性が脳内で混ざって行くのを感じていた。碓氷の手が俺の髪を撫でるのを心地よく感じながらも、酸素が減り始めた脳はその欲を求め続ける。「ん、ぐっ」奥で、彼の欲が爆ぜた。それをそのまま奥へと流し込んだ俺は、彼の陰茎から顔を上げ彼の瞳へと視線を向ける。カチリと合った俺と彼の視線はそのまま引き寄せられていき、俺は彼の肩へと両手を乗せていた。磁石の両極が引き寄せられるかのように、俺と碓氷は何も言わずに唇を寄せ合って互いの口腔を貪るのだ。生臭い欲が混ざり合う接吻は、深く長く続いていって。腰の奥では熱が燻っていく。ざわりとする快感が背筋に走り、彼の指は俺の入り口を掠めた。「ん、はやく……」キスの合間に零した俺の言葉に笑みを零した彼は、それでもゆっくりとした動作で俺の孔を解していく。入り口を触る焦れるような快感で自然と腰を揺らしてしまった俺に気を良くしたらしい彼は、勃ち上がった熱を俺の熱に押しつけるように腰を揺すっていた。前と後ろ、どちらに与えられる快感にも焦れた俺はゆるゆると首を横に振る。俺は、優しく包まれるような快感よりも、決定的で激しい快感を求めていた。「もう欲しい?」その言葉と共に彼の指は俺の中を広げるように動き、俺は食いつくようにそれを求める声を上げる。「はやく――ッ」重ねた声は、背中に感じたシーツの感触に消えていった。ベッドの上に転がされた俺の上で、彼は雄の欲を瞳に湛えて俺を見下ろす。まざまざと伝わる男の欲に満ちた視線に晒された俺は、彼の頬へと手を伸ばして再び彼を求める言葉を紡ぐのだ。 「――ちょうだい」  一言だけ口に出来た言葉は、彼にしっかりと届き。碓氷はその言葉に欲にギラついた瞳を細めて俺の入り口へと先端を押し当てる。俺と彼の間に、薄い隔たりはもう無かった。俺の中を割り開く熱を感じながら、俺は譫言のように嬌声の間から愛の言葉を口にする。今だけは真実として彼の元へ届く事を願いながら口から溢れ出していくその言葉は、中を拓いていく熱と共に俺の身体を熱くさせて。彼の唇を求めて伸ばした舌は、彼の中へと呑まれていった。荒々しい抽送と彼に貪られていく口腔の快感を貪欲に追っていった俺の身体はビクリと震え、彼を離すまいと彼の腰に巻き付けてしまっていた両脚は強張って。彼の欲を奥の奥まで得ようと、俺は身体の全てを使って彼を離そうとはしなかった。俺の胎内で硬さを増す碓氷の脈動が、欲を放った事に笑みが溢れていく。「ん、たくさん」快感が続く思考の中で、言葉は自然と口からこぼれ落ちていく。俺の胎内で硬さを取り戻していく彼を感じながら、汗ばむ肌を触れ合わせていた俺たちは。この瞬間、確かに幸せを感じていたのだ。 「大丈夫か?」  未だに快感が抜けきらない思考回路を持て余しながら、ぼんやりと碓氷を見つめていた俺に彼は眉を下げながら言葉を掛ける。「んん、」是とも否とも付かない音を漏らしながら、俺は自分の意識がある事だけは彼へと伝えた。「中、ちゃんとしないとお腹壊すから」そろりと白濁が残る場所まで伸ばされた碓氷の手をやんわりと制した俺に「掻き出すだけだよ」と彼は笑いながら告げる。「――じゃなくて、洋哉にされたら俺がまた欲しくなる」このまま彼に続けさせた後に起こり得る事実を告げれば、彼の頬は紅く染まる。そこで照れるのか、もっと凄いコトしてるくせに。なんて口に出さずに心の中だけで呟いて。「癖になってんだよ、気持ち良くて」それだけを口に出して、漸く身を起こす事に成功した俺は彼の頬へと口付けを落とした。ベッドから立ち上がって腿を伝う残滓を感じた俺は、始末を付ける為にこの部屋にあるユニットバスへと向かう。俺一人だけが立つ浴槽で手慣れてしまった動作でシャワーヘッドを取り去った俺は、俺の奥深くまで放たれた精をぬるま湯の緩い水流で洗い流していく。すっかり快感を得る事が出来るようになった腸の中で放たれた生命の素が湯と共にゴポリと俺の外へ出ていく事を感じながら、俺は一人でいく粒かの涙を零していた。俺が得た筈の碓氷のものと俺の零した涙は、共に混ざり合って排水溝へと消えていった。

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