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第2話 雪華

 しんしんと辺りは静けさを増していた。  瀞(せい)は、黙って男を見つめていた。  寄せられた眉、固く結ばれた唇....嘆きの中にあってなお、凛として美しい。  男の雄々しさを体躯にまといながら、端然として己れを律する。躍動を宿した静謐の緊張。  張り詰めた琴の糸を鳴らすように、瀞(せい)は語りかける。  「さぞや、お苦しゅうございましょう......」    瀞(せい)は、おずおずと躊躇いながら、男のしっかりとした大きな手に指を触れる。    「帝は......何を望んでおいでなのか。」   男の唇から絞り出すような呻き声が漏れた。  男の国は、海の向こう。小さな島国。  この国に辿り着くまでに千里の海を渡るという。  男の国の大君は、大陸の殆どを被う瀞(せい)の国に貢ぎ物を捧げ、恭順を誓ってきた。  「帝は......悪い夢を見ているだけ。いずれ醒めます。」    ようやく作った微笑みを、男に投げ掛ける。  眼裏に、無念に散った兄達の青ざめた無念の面が、母の括れた横顔が浮かぶ。  謀り事の裡に失われた、幾つもの笑顔が行き過ぎる。  「嵬(かい)...」  瀞(せい)は、傍らに控える召し使いの少年に声を掛けた。  「あちらの様子を視てきてください。......それまで、桂紆さま、此方にお留まりください」  「いや、御身にまで累が及んでは......」  男は青くなる。先帝の血筋。畏れ多くも、些細な所以からでも罪科に問われやすい。この美しい仙女のような方まで巻き込んではならない。  「ご案じくださいますな......」   瀞(せい)は寂しく笑う。  「此方には誰も参りませぬ。ましてや今日はこの雪模様。散策には向かぬ空模様。」  男は僅かに口元を歪めて苦笑する。そして、目の前の麗人の顔をしげしげと見る。  花の顔(かんばせ)。長い黒髪は紫めいて、白磁の肌に紅い小さな唇。黒曜石の如く漆黒で奥深い光を湛える玻璃の瞳に細く形の良い眉。細い肩は楊柳の質ゆえか。   男の真っ直ぐな眼差しに瀞(せい)は僅かに眼を伏せる。匂いやかな優美な所作は、露に濡れた白梅の花のよう。まるでこの降り頻る雪の如く清らで美しい人。  「季瑛さまは、まこと麗しくていらっしゃる---」  感嘆の吐息が男の唇を吐く。  「男子と生まれながら、馬にも乗れぬ......。  不甲斐ない身です。」     長い睫毛が伏せられる。愁いを帯びて面差しがなお艶めく。緋の花弁がひそと呟く。  「瀞(せい)とお呼びください.....。桂紆さま」  字(あざな)は親しき者にしか明かさぬもの。呪詛を怖れるこの国では、まずは禁忌。  けれど瀞(せい)は思った。叶うならば、いっそ此の男に縛られたい、と。  男はごくりと唾を呑んだ。  「主さま......」  嵬が足早に戻ってきた。一礼して報告する。まだ息が荒い。  「着けられてはおりませぬ。主さま。」  瀞(せい)は、ほっとして小さな笑みを浮かべる。    

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