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第3話 雪明り
桂紆は、嵬にとある老人の邸(やしき)に案内された。
「お話はわかりました。此所は私の隠居所。妻はおりますが、口の硬い媼です。侍女と下男は長く仕えておりますので、下手な事は語りますまい。」
老人は恭しく礼をして、桂紆を室内へ誘った。四季の草木の植えられた庭は小ぢんまりしているが、趣味が良い。
「此方をお使いください。」
示されたのは、離れの一画、枝振りも見事な橘が雪の花を抱いて佇んでいる。
「まずは一献、差し上げましょう。」
老人がぽんぽん------と手を叩く。弁えた体の年増の女が皿と酒器を捧げ持ってやってくる。
桂紆は頭を下げて、ささやかな饗応の客となる。
「腹が減っては戦が出来ぬと申しますから......」
よくよく見ると、老人はそれとは思えぬ筋骨隆々たる体躯。白眉の下から眼光鋭い眼がじっと桂紆を見た。
「季瑛さまから伺っております。......必ずお国に帰れるよう、力を尽くしますゆえ、しばしご辛抱を。」
老人の言葉に、桂紆は深く頷いた。
そして、さりげなく問うてみた。
「あの方は......季瑛さまは、何故あそこに?」
「籠められておいでなのです。我らが、先帝の臣が良からぬ計を謀れぬよう。」
宮の外れ、宮女も通えぬ塀に隔てられた小さな庵に籠められて、外出も侭ならぬ身と老人は嘆く。
先帝の御子は六人。皇子は謀によってお命を失い、公主は蕃族の国に嫁がされた。まだ小さかった瀞(せい)は、お母君の嘆願で助けられた。
「先帝の嬪であった季瑛さまの母君は、嫦娥如き美姫でした。先帝の死後、今上の帝の後宮に入れと迫られて......」
叛逆者から我が子を護るため、泣く泣く後宮に入った季瑛の母は、悪し様に謗られ、酷い扱いをされながらも十年を耐え、季瑛が十三の年に身罷ったという。
それ以来、瀞(せい)は、宮の片隅に打ち捨てられている......。
「何故、誰もお救いあそばさぬのだ......」
あの青女の如き美しい人を清らかな人を。
「それは......」
范央の残虐で執念深いことを老人は切々と語った。幾人もの清廉な官吏が范央の讒言によって惨たらしく処刑されたこと。一族の末まで根絶やしにされたこと。
けれど......
老人は堅く口を閉ざしていることがあった。
范央が、瀞(せい)に一方ならぬ執着を持っていること。そして、瀞(せい)が、市井では生きられぬ身であることを......。
桂紆は、雪明かりにほんのりと浮かび上がる紅椿の花を見つめていた。瀞(せい)の紅い唇を思い出していた。
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