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第6話 海雪

 五日の後、桂紆は東へ向かう船の上にいた。  朋輩の亡骸を目にして後、何とか仇をと思い詰めたが、老人に強く諌められ、ただただ臍を噛む思いでいたところに嵬がやってきた。  船の手配が出来たから.....と伝えてきた。向かう港は、この宮のある城から十里の南。因果を含めた護衛もつく......と言われた。  「出立は、明日の朝です」  桂紆は、驚きもし、憂いもした。大使のこと、朋輩のこと......大君に如何に伝えれば良いのか、思案に暮れた。それでも.......  「生きて帰ることが第一です」  と老人に諭された。瀞(せい)が手を尽くしてくれたのだから......と言葉少なに言った。  桂紆は黙って頷いた。嵬が、旅の支度と金子を渡してくれた。     「瀞(せい)さまが......どうかご無事で......と。」  見事な彫りの象牙のついた飾り紐が添えられていた。枝に遊ぶ鶯の姿が何か哀しかった。    旅立ちの朝、桂紆は老人に深く頭を下げ、門を出た。   そして、護衛の者達に言った。  「しばし待ってくれ。逢わねばいけない方がいる」  桂紆の足は、宮に向かっていた。 『瀞(せい)に逢いたい。逢わねばならない。』  射干玉の絹の御髪、透ける肌、楊柳の佇まいもそのままに、かの麗人はひっそりと立っていた。庵の傍らの木の側に、かつて桂紆が佇んでいたその場所に。青ざめて憂いを帯びた顔(かんばせ)が、ひたすらに雪を抱いた枝葉を見つめていた。  「瀞(せい)どの......」  桂紆の声に振り向いた顔は、一瞬驚き、綻び、そして深い愁いに沈んだ。  「来てはなりません......」  薄紅の唇が、声が震えていた。  尚、歩み寄ろうとして、桂紆の足が止まった。薄衣のはだけた胸元に、紅梅の如き紅い痣。二つ三つ......と花弁が散り敷くように色づいていた。桂紆は息を詰まらせた。  「瀞(せい)どの......」  「どうか、お元気で。無事にお国に着きますように...祈っております」    凛として、だが言葉は消え入るほどに儚く...一筋の涙が頬を伝っていた。  「瀞(せい)どの......。」  桂紆は思わず駆け寄り、雪の中に消え入りそうな身体を抱き締めた。  「必ず......必ずや、お迎えに参ります」  驚いたように見上げる瀞(せい)。桂紆は、その淡雪の如き唇に自分の唇を重ねた。胸の裡に滾る思いを生命を吹き込むように、強く吸った。  「桂紆さま......」  桂紆は透ける頬の涙を指先で拭い、瀞(せい)の玻璃の眼をじっと見詰めた。  「待っていてください。必ず......」  言い置いて、背(そびら)を向ける桂紆の眼に映る景色もひどく潤んでいた。  護衛に護られ、街道を走り抜けた。  桂紆を乗せた船が港を出たのは、瀞(せい)との惜別(わか)れから二日の後。潮に任せて東へと船は大陸を離れていった。  船上で、范央が配下の将軍に弑されたとの噂を聞いた。何やら痴情の縺れとも。民は誰も同情せず、帝は後ろ楯を失い、病に伏した。  「瀞(せい)どのは......」  消息は、誰も知らなかった。存在すらも、誰も知ってはいなかった。  海雪が哀し気に鳴く鷗の背に冷たく降りかかっていた。

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