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6. outside

「あ、あっ……もう……」  もうやめようって、何度も思っているのに。 「もうイくのか? 後ろ弄ってるだけだぞ」  澤田の指が千晴の内側をゆっくりと愛撫する。いっそ激しく乱暴にしてほしい。快感の逃げ場がなく、じりじりと袋小路に追い詰められていくような気分になる。 「可愛いな。自分から擦りつけてる」  知らず腰が揺れ、ずっと避けられていた内側の核を澤田の指に押しつける。 「あ、あ、ああっ」 「素質があるとは思っていたが、こんなにも育つとは思わなかったな」  澤田は指を引き抜き、薄い腹に滴る千晴の雫を指で伸ばす。へその周りをくるりと弄られるだけで、敏感になった千晴の身体がびくりと跳ねる。 「なあ、千晴。もう俺から逃げようと思うなよ?」  軽い身体は簡単にひっくり返されてしまう。押しつけられた硬い感触に千晴はすすり泣くように息をこぼす。澤田は焦らしながら時間をかけて千晴の身体を開いていく。 「迷子の仔犬みたいだったおまえを最初から今まで全部面倒見てやった。おまえが俺のもとを離れて、また弱っていたときにも俺だけが救ってやったんじゃないか。仕事も身体も、おまえはもう俺なしじゃ生きていけないんだよ」  やっぱり、そう……なのか。澤田さんがいないと、僕はなにもできない。イキテイケナイ。  千晴は朦朧とする頭で澤田の言葉を反芻した。一度奥を突かれただけで千晴は白濁を飛ばす。 「ほら……おまえの一番いいところをわかっているのも俺だけだ。おまえを満足させてやれるのも俺だけだ。おまえは俺だけを信じていればいい。そうすれば何もかもうまくいってたじゃないか。そうだろ?」  澤田さんだけ、サワダサンダケヲシンジテ―― 『チハル!』  誰かが名前を叫んだ。怒りとも、悲しみともつかない強い感情が千晴の霞んだ頭の中を吹き抜けていく。 「あ……」  千晴は驚きに目を見開いた。  澤田は千晴の変化に気づくことなく背後から千晴を追い立て続ける。 「ん、あ、イく、――」  シーツを強く握りしめ、歯を食いしばる。澤田が千晴の中でぶるりと震えた。  澤田は満足げなため息をこぼしている。千晴は茫然として、次々と溢れだす涙を止めることができなかった。  * 「コウ、いるよね?」  千晴はスノードームを覗き込んだ。コウがログハウスの中からするりと現れるようすは、いつ見ても魔法のようだ。 「……昨日はごめん」  何を言おうか散々考えたつもりだったのに、口からは短い謝罪しか出てこない。 「ちょっと待って、動かしていい?」  コウに呼びかけると一度首をかしげてマルを作った。千晴は慎重にスノードームを持ち上げ、そろそろと歩きだす。小さな揺れでドームの中の雪がふわりと浮かぶ。  ヘッドボードにスノードームを置いて、千晴はベッドに寝そべった。そのままうつ伏せで手を顎の下に置く。こうすれはコウとちょうど真正面から向き合えるのだ。 「きみにとってはつまらない話だと思う。でも……聞いてもらえないかな。嫌になったら止めてくれていいから」  大きくうなずくコウを見て千晴はほっと息をついた。 「澤田さんと出会ったのは、僕が大学二年生のときだ。通っていた美大を突然退学しなければならなくなって――親にも頼ることができなくて、とにかく自分ひとりで生きていく必要があった。そんなときに、広告制作会社で働いていた澤田さんが『一緒に仕事をしないか』って僕を拾ってくれたんだ」  遠く過去を見つめるように千晴が目を細める。 「他の会社もたくさん受けたけど、大した技術も知識もない状態ではどこからも見向きもされなかった。だから、澤田さんのところに誘ってもらえたのは本当に嬉しかったんだ。諦めかけていたデザインの仕事につくことができるなんて、思ってもいなかったから」  千晴の声がわずかに震える。コウが聞いていると言うようにうなずくのが見える。 「入社して、澤田さんは僕の直属の上司になった。アートディレクターをしながら自分もグラフィックデザイナーとして活躍していて、彼を指名して依頼が来ることも多くて、僕にとっては恩人であり……憧れの人だったんだ」  憧れの人。ただそれだけのはずだった。 『本当に?』  冷たい声がささやく。 『汚らわしい』  蔑むような母親の顔が鮮明にに浮かぶ。 『どうして普通になれないの?』 『新しいお父さんにも色目を使うつもりなんでしょう! 二度と近寄らないで!』 『大学? ああ、おじいちゃんが死んだから通えなくなったっていうのね。でも家には帰って来ないでちょうだい。私たちにも生活があるのよ。あなたが自分で家を出たんだから、自分のことは自分で面倒をみなさい』  呼吸が浅くなる。胸が痛くて、苦しい。コウが立ち上がり、ドームの壁に近づいてきた。  コウにはきちんと話したい。顔を覗き込むようなコウの仕草に、大丈夫だと目配せする。 「僕は……僕は小さい頃から、男の人が好きだった。でも、決して澤田さんと恋愛関係になりたいと思っていたわけじゃない。僕は誰のことも好きになってはいけないと思っていたから」  母親の言葉は千晴の心に絡みついて消えることはなかった。 「それなのに、澤田さんは僕が作った壁を簡単に越えてきた。好きな人に『好き』って言われるのがどんなことか……僕にはわかっていなかった。きっと、浮かれていたんだと思う。初めてだったんだ。自分を受け入れてもらえたと思えたことなんて、一度もなかったから」  ゲイであることは千晴にとって解くことのできない呪いだった。友人とも深く付き合えなかった。ゲイだと知られたとき、母親と同じように突き放されたらと思うと、どうしても心を開くことができなかった。  澤田は真逆だ。部下やクライアントからも好かれていて、自由で、強引で、千晴のことを好きだとためらいもなく言う。 「澤田さんと一緒にいると、僕も人を好きになってもいいんだって思えるようになったんだ。生きていてこんなにも幸せなことがあるんだって。でも――」  * 「澤田と別れてください」 「え?」  会社を出てしばらく歩いていたとき、知らない女性から名前を呼ばれた。綺麗なひとだった。話があると言われても普通ならついていくことはない。だが、その女性がまとう空気から深刻な話であることは容易に想像できた。 「あなたと……あの人がどういう関係か、わかっています」 「それは、どういう――」 「しらばっくれないで! いったいどういうつもりなのよ。私とあの人の間には娘がいるの。まだ小学校に上がったばかりよ! それなのに……男と……あんたなんかと……」 「まさか、そんな……」  がらがらと音を立てて何かが崩れ落ちる。 「人の家庭をぶち壊しておいて、知らなかったなんて言わないでしょうね?」  知らなかった。本当に何も知らなかったのだ。会社でも澤田の家庭について話題にのぼることは一度もなかった。なにより澤田自身が、千晴のことを一番大切だと言っていたのに―― 「澤田はああいう性格だから、私が何を言っても聞いてくれないわ。私がしつこく問い詰めれば離婚すると言いかねない。でも、娘はどうなるの? あの子が将来、父親が男と浮気して出ていったと知ったら、どれほど傷つくかわかってる?」  何一つ言葉が出なかった。父親がいない辛さも知っている。自分が犯した罪の深さに心の芯から震えていた。 「本当に……ごめ、んなさい……」 「謝れば済む話じゃないの。泣きたいのはこっちよ? 澤田とはもう二度と関わらないと誓って」 「もう、二人では会いません」  澤田の妻は苛立たしげに首を振る。 「違うわ。『二度と関わるな』って言ってるの。会社にいたらどうやったって関わるでしょう?」 「で、でも……」 「あなたが辞めないっていうなら、あなたがゲイであることも、あなたがやったことも全部会社に話すわ。クライアントにもね。どう? まだ会社にいたいって思う?」  * 「一度転がり始めたら、あとは落ちる一方だった。当たり前だよね。人を傷つけた報いを受けないはずがないんだから」  千晴は自分を恥じるように目を伏せた。 「すぐに仕事を辞めて、連絡先も変えて、引っ越しもした。また仕事を探して、これからはひとりで静かに生きていこうと思っていたんだ。でも、次のところでもうまくいかなかった」  転職した先は、前の職場よりも小規模の広告制作会社だった。無給残業は当たり前。ろくにデザインの仕事も回してもらえず、毎日怒鳴られながら雑用ばかりさせられる。その上、上司から受けるセクハラは日々エスカレートしていった。 「もう人と関わるのが怖くなった。でも仕事はしなければいけない。フリーランスでやっていこうと思ったけど、そう簡単に行くはずもない。そんなときに、また澤田さんが現れたんだ」  仕事がなくて困ってるんだろう?  澤田は自信ありげに言った。   「一度嘘を吐いた人を、僕はなんで信じたんだろう? 妻とは別れたって、最初はそう言った。あのときの僕は、人と関わりたくないと言いながら、誰かを信じたくてたまらなかったんだ。でも、違うと気づき始めてからも澤田さんを拒否することができずにいるのは、僕が弱くて、卑怯な人間だからなんだ」  涙がこぼれおちるのを止めることができなかった。泣く資格なんてないのに。 「澤田さんと離れて、きちんと自分の足で立って生きていきたい。いつだってそう思ってる。でも心が折れてしまうんだ」  弱い自分が嫌いで、嫌いで仕方がない。 「ねえ、コウ。僕はどうしたらいいんだろう。どうやったら、自分ひとりで生きていけるんだろう」  涙でぼんやりとした視界の中で、コウがゆっくりと動いたのが見えた。壁に両手をあてている。ガラスの壁越しに小さな手のひらが千晴へ向けられている。  千晴はその手のひらに向かって人差し指をあてた。コウが何か言っている。 「ごめん、何を言ってるかわからないんだ」  コウは首を横に振る。微笑んだ気がした。心の中で、何か暖かいものが灯ったように感じる。自分に都合がいいように見えているだけだろうと千晴は思った。でも今はコウの存在がなによりも心強く感じる。 「僕も、きみのところに行けたら――」  ガラスに沿って細い指が滑り落ちる。口の中のつぶやきはそのまま静かな寝息へと変わっていった。

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