2 / 26
第2話 清瀬 集
暖かい風が優しく頬をかすめる季節。
暖冬だったせいで桜はほとんど散ってしまったが、気持ちはとても前向きだ。
今日から、待望の高校生活が始まる。
新入生達はどの部活に入ろうか、部活紹介の冊子を見てはみんな悩んでいる、そんな風景が春の定番だ。
そんな中で、進は迷う事なくバスケットボール部への入部を決めていた。
進にとってバスケは小学生の頃からやってきたかけがえのないものだ。
背が思うように伸びなかったのは悲しいが、辞める理由にはならない。
しかし、背の事をすぐに馬鹿にされることには嫌気がさしていた。
高校生活では馬鹿にされないように強気な態度でいこう。
進は心にそう決めていた。
部活動初日、新入部員の一年生達は横一列に並んで自己紹介をした。
「鵜飼 進です。バスケットは小学三年生から始めました。パス回しには自信があります。一生懸命頑張ります、よろしくお願いします」
進は精一杯の堂々とした態度で話した。
しかし、案の定他の生徒より頭一つ分小さく下がったそこに、先輩達のクスクスとした声が聞こえる。
進は掌をぐっと握って悔しさをしまい込んだ。
その時だった。
「鵜飼は小学生からやってるんだ。頼りになるな!」
隣に立っていた清瀬 集が満面の笑顔で進に向かって話しかけてきた。
短めの黒髪に、漆黒の瞳。
すらっと伸びた手足はまさにバスケットボールをするための身体のようだ。
身長は進より二十センチほど高そうだが、不思議と視線がしっかりと合った。
進はその清瀬の言葉と朗らかそうな雰囲気に一瞬で心を掴まれた。
清瀬は優しくおおらかで、名前の通り清くそして周りに人が集まってくるタイプだった。
自分には持っていない清瀬の魅力に、進はどんどんと惹かれていった。
清瀬に認められたい。
肩を並べてプレイがしたい。
そんな風に思った人物は清瀬が初めてだった。
清瀬もまた、自然と進に惹かれていった。
進は自身の低い身長が弱点にならないように、自分の持てる力を最大限に発揮して周りをよく見て動いていた。
一年生の最初の頃は、ほとんどストレッチや基礎練習ばかりで経験者の中にはダルそうにやる者もいたりするが、進は一つ一つのことに一生懸命取り組んでいた。
バスケが本当に好きなんだな。
一見マスコットのような見た目の進だが、部活中はいつも真剣な眼差しでほとんど笑うこともなかった。
そんなギャップが清瀬にはなんだか可愛く見えた。
それに誰に対しても強気な対応をしているのに、自分にだけはどこか従順な感じがいじらしくも感じた。
二人は自然と仲良くなり一緒に行動する事が多くなっていった。
そんな二人の関係に変化があったのは、GWが明けて梅雨に入りそうな時だった。
進はクラスの女生徒に清瀬との仲を取り持ってほしいと頼まれた。
進はすでにこの時、清瀬に対して特別な感情を持っていることを自覚していた。
そのため気は進まなかったが、進にはどうすることもできない。
同性を好きなことを知られるわけにはいかない。
周りにも、もちろん清瀬にも。
もし清瀬に彼女ができても、きっと友達でいられる。
このポジションを守れればそれでいい。
進は自分にそう言い聞かせた。
しかし、清瀬に女生徒の話を持ちかけたところ、清瀬からは思いもよらぬ言葉が返ってきた。
「鵜飼は、俺に彼女ができてもいいの?」
清瀬の顔は真剣だった。
「別に・・そっちがそれで忙しくなったらこっちはこっちで他の奴と遊んだりするし・・そういう気の使われ方はいらねーよ」
思ってもいなかった反応だったので進は少したじろいたが、自分の気持ちを悟られないようになるべく素っ気無く答えた。
「本当、鵜飼って可愛くないね」
清瀬はフッと笑った。
「俺、鵜飼といるのが一番楽しいんだけど。多分・・そう意味で、好きなのかなって。鵜飼も同じように思ってる気がしてたんだけど俺の勘違いかな・・」
その清瀬の言葉に、進は口を開けたまま黙ってしまった。
どう答えるべきなのか、一瞬の判断ではわからず思考が混乱した。
清瀬が俺を好き?
本当に?
黙ったままの進に見かねた清瀬は、続けてこう聞いてきた。
「鵜飼、鵜飼は俺のこと・・好き?」
清瀬の真っ直ぐな視線が進を捉える。
進はゴクリと喉を鳴らした。
そして、鼓動が速くなるのを感じながら小さく頷いた。
それからは、今まで以上に二人でいる時間が多くなった。
昼休み、部活動、放課後、時間が合えば二人で一緒に過ごした。
周りからも特に仲の良い親友と思われただろう。
少しずつ距離は縮まり、最初はぎこちなかったキスも自然とできるようになった。
そんな二人が初めて結ばれたのは六月の終わり。
休みの日、家族のいない清瀬の部屋で二人は過ごし、不器用ながらも初めて身体を重ねた。
清瀬と進の体格差から自然と進は抱かれる側になったが嫌ではなかった。
多分、昔から潜在的に進はそっちが良かったのだと思う。
「ねぇ、進って名前で呼んでいい?」
清瀬が服を着直しながら聞いてきた。
「えっ、やだよ!俺小学生の時進ちゃんて呼ばれてからかわれてたんだ。自分の名前好きじゃないし・・」
進は下を向いて答えた。
まだ上半身は裸のままだ。
「進ちゃんとは呼ばないよ、進ってさ!特別でいたいじゃん」
そう笑顔で言われてしまうと、進に断ることは出来なかった。
「俺の事も集って呼んでよ」
「いいけど・・二人きりの時だけな」
「えぇ、なんで?」
「下の名前で呼ぶの苦手なんだよ。なんか照れ臭いし・・」
進はベッドの上にあぐらをかいたままボソッと言った。
「ふーん、そっか。まぁそれでいいよ!」
清瀬はそう言うと、進の隣に座り優しくキスをした。
それは、とても甘くてくすぐったい時間の始まりだった。
進にとって何もかもが初めての経験。
この時間がずっと続けばいいのに・・
誰かに想われることの幸せを進は心から噛み締めた。
欲は沸いては溢れ、減ることはない毎日だった。
夏休みは部活以外はできる限り二人で過ごした。
そして場所を見つけては抱き合った。
そうやって過ごすうちに、二人はその快感に夢中になっていった。
少しずつ部活動をサボるようになり、親に嘘をついて外泊する回数も増えた。
バスケのことだけを考えて生活していたのが遠い過去のように思えた。
恋人といる時間。
恋人と抱き合っている瞬間。
こんなに幸せで楽しいことがバスケの他にもあったのか・・
進は初めて抱く恋の熱に浮かされていた。
しかし・・
そんな幸せな時間は長くは続かなかった。
何に対しても真面目で誠実だったはずの清瀬の変化に、周りが少しずつ不信感を持ち始めたのだ。
キッカケは二学期に行われた文化祭だった。
バスケ部は文化祭での校内清掃の係りになっていた。
しかし、進と清瀬はこの係りの仕事を途中でこっそりとサボった。
誰も来ない空き教室でセックスするためだ。
言い出したのは清瀬の方だった。
「学校の教室でやるのって夢だったんだよね」
教室に入るやいなや、清瀬はそう言うと電気を消して進を後ろから抱きしめた。
誰かが来るかもわからない状態でのセックスに、進は緊張感と背徳感で心が一杯だった。
清瀬は声が漏れないように進の口を手で塞ぎ、机に突っ伏した状態の進の身体を後方から押さえ込むようにして抱いた。
腰骨のあたりを掴まれ清瀬の強い動きに進はギュッと目を瞑って耐える。
「っつ・・」
進はなんとか声が出そうになるのを我慢した。
しかし清瀬の動きに合わせて、机の軋む音が大きく響く。
声を我慢する意味はあるのだろうか・・進は快感で思考がぼんやりとした頭で考えていた。
清瀬は自身の欲を進に吐き出した後、額に流れる汗を拭いながら言った。
「教室でやるのって思ってた以上に興奮する!ね、進!」
「お前、結構変態だな・・」
進は頬を赤らめたまま、乱れた制服を整えながら答えた。
「なんだよそれ!!」
清瀬は楽しそうに笑って言った。
その時が二人の甘い時間のピークだった。
バスケ部マネージャーの一宮 リカに進が声をかけられたのは、文化祭が終わってすぐの事だった。
「ねぇ、鵜飼君、清瀬君と仲良いよね。鵜飼君から清瀬君に注意してほしいことがあって・・」
部活動の途中、流しに顔を洗いに行った進に一宮が話しかけてきた。
「注意してほしいこと?」
進は首からかけたタオルで濡れた顔を拭きながら聞いた。
「清瀬君、最近ゆるんでると思うの。私中学から一緒だからわかるんだけど、清瀬君はもっと勉強も部活もしっかりきっちりとやる人だったのに・・」
進は自分達の行動を思い起こしてドキリとした。
確かにここ最近は特に二人でいることに夢中になっていた。
文化祭が良い例だ。
進は何も言えず黙ってしまった。
「清瀬君なら絶対来年キャプテンになれると思う。それくらい実力もあるし、性格も良いし。鵜飼君も仲良いからわかるでしょ?でも今のままだと心配なの。心ここにあらずみたいな時があるし。部活サボるなんて中学じゃ絶対なかったのに・・この間の文化祭の時も、係の途中で連絡つかない時があって・・先輩からも少しずつ不信感持たれ始めてると思う・・」
そう言った一宮の目頭は赤くなっていた。
あぁ・・そうか、この子は清瀬が好きなんだ。
そして今、清瀬の邪魔をしてるのは間違いなく俺だ。
進は出会った頃の清瀬のことを思い出した。
清瀬は誰にでも優しく穏やかで、そして何事にも真面目に取り組むやつだった。
高校に入って最初の中間テストも、初めての練習試合も、目標に向けてしっかりと取り組んでいた。
進が惹かれた清瀬とはそういう人物だ。
一宮の言う通り、清瀬はキャプテンになれる素質がある。
彼以外に今の一年でキャプテンに向いてる奴なんて誰もいない。
きっとみんなが清瀬を必要とする。
この先も、卒業したってきっと、清瀬の周りには人が集まってくる。
そう思った途端、進は足元に穴が開いたような気分になった。
この先に明るい未来はあるのだろうか。
二人でいることにデメリットは沢山あるのに、メリットは一つもないのではないか。
そんな事を頭でぼうっと考えた瞬間
「進?」
と清瀬が背後から声をかけてきた。
「一宮と進がなかなか戻ってこないから様子見にきたんだ」
清瀬は進と一宮を交互に見た。
「あぁ、ごめんね清瀬君。麦茶のポット洗うの手間取って。もう終わったから、先戻ってる」
一宮は泣き顔を悟られたくないのか、大きな麦茶ポットを抱え逃げるように駆けていった。
清瀬は一宮が見えなくなると、進に顔を近づけて迫った。
「何の話してたの?」
清瀬は怒ったような口調で聞いた。
「別に、たいしたことじゃない・・」
進はなんだか気まずい気持ちになり清瀬から視線を逸らした。
「本当に?」
清瀬の瞳には疑いの色が浮かんでいる。
清瀬は誤解しているのか?
俺と一宮のこと。
馬鹿だな、一宮が好きなのはお前なのに。
何でだろう・・何で清瀬はこんなバカな嫉妬をしてるんだろう。
俺のことを好きになる奴なんて、そうそういるわけない・・
進が黙ったままでいると、突然清瀬は進の顎をグイッと引き上げ、唇を重ねてきた。
進は思わず慌ててそれを払ってしまった。
「誰かに見られたらどうすんだよ!」
「別にいいよ。俺、進とのことなら人に知られてもかまわないよ」
そう言って清瀬は笑った。
その瞬間、サァッと波が引くような冷めた感情が進の心を支配した。
ダメだ、清瀬と俺はこのままじゃだめだ。
清瀬は先の事が何も見えてないんだ。
このままじゃ清瀬がダメになる。
清瀬の未来がダメになる。
それから、進は勉強を理由に少しずつ清瀬と距離をとることにした。
もう少しで期末テストの時期だったのがちょうど良かった。
「俺んちで勉強すればいいじゃん」
清瀬はそう言ったが
「それじゃ集中できないから」
と進は断った。
少しずつ、少しずつ元に戻ることは出来ないかを考えた。
間違わない距離感を、楽しく笑いあっていれば良い距離感を。
でも、それは無理だった。
期末が終わり、いよいよ清瀬を避ける口実が難しくなった。
「ねぇ進、どうしたんだよ?俺、進と二人になりたいんだけど・・今日部活サボってさ、家来れない?」
清瀬は部活に向かおうとしていた進の腕を掴んで言った。
もう進には限界だった。
「あのさ、俺やめるわ。こういうの、なんかもう飽きたって言うか、いっつも一緒っていうのもつまんなくなってきたし・・」
進は俯いたまま、声が震えてしまわないように早口で言った。
「え?」
清瀬は一瞬何を言われたのかわからない様子で、ジッと進を見た。
「清瀬、女子にモテるじゃん。勿体無いし彼女つくれよ。いいよなぁ、俺も女子と付き合ってみたくなったなぁ。だからさ、もうおしまい。俺も清瀬もただのチームメイトに戻ってさ」
「何それ?本気で言ってんの?嘘だろ?」
「嘘なわけあるか。本当もう終わり」
「進!!」
清瀬は進を無理やり抱き締めようとしたが、進は力ずくでそれを振り払った。
「そういうの・・もう、本当無理だから・・」
そう言うと、進は逃げるようにその場を走り去った。
清瀬の顔は一回も見なかった。
見ることができなかった。
それから進は部活には一度も顔を出さなかった。
冬休みに入り、清瀬から何回か連絡がきた。
『冬休みの練習には来ないのか?』
というメッセージが入っていたが無視をし続けた。
清瀬がちゃんと部活に出てるならそれでいい。
三学期になって進はすぐに退部届けを出した。
清瀬とは学校で会っても話すことも目を合わすこともしなかった。
清瀬も進の頑なな態度に諦めたのか、次第に距離を置くようになった。
ほんの数ヶ月。
周りが見えなくなる恋をした。
幸せで、楽しくて、地に足の付いていなかった危なげな恋。
しかし、それはもう終わった。
自分から終わらせてしまった。
自分のせいで清瀬がダメになる。
それが恐かった。
でも、本当に恐かったのは・・
いつか清瀬に『進と付き合ったせいでダメになった』と思われることだった。
だから、先に手を離したのだ。
清瀬のせいにして。
もう二度とバスケットボールも恋もしない。
進は大切にしてきたものを失ったが、それは逃げた自分への代償だと思うことにした。
ともだちにシェアしよう!