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負けない
僕は彼女を教室の前まで引っ張って、目の前の大きな黒板に字を書いた。
『僕は衣装を縫える』
「……衣装?」
鳥口が怪訝そうに僕と僕の書いた文字を見た。
教室はしんと静まっていて、すべての注目が僕に注がれていた。
……負けない。
『力仕事や絵を描くことより裁縫の方ができる。そっちの方が力になれると思う。ミシンも使える。裁断もできる。刺繍もちょっとなら。アイロンがけもできる』
僕は鳥口の方をちら、と見た。
声が出ない口から息を吐き出した。
『きっと役に見合う素敵なドレスを作る』
鳥口は答えに迷っているようだった。僕の反応が想像と違ったからかもしれない。
「だけど衣装班の人手は間に合っていると思うよ」
彼女は苦しそうに僕にそう言った。
それと重なるように小さな声が後ろの方から聞こえてくる。
「それなら浅見くんはうちに頂戴」
全然知らない女の子が手を挙げてくれた。
鳥口が、エミリ、と呟いた。エミリって言うらしい。おさげで蜻蛉のように大きなメガネをかけている。縁が大きすぎて逆にオシャレだ。隣のクラスの女生徒なのかもしれない。
「メンバーが風邪で二人休んでいるの。私とアイリだけじゃ間に合わないし、そんなに裁縫に自信があるなら力を貸して」
エミリは僕に笑いかけてくれた。とても友好的な笑みだった。
腹の中で嫌な重苦しい風船がパチン、と割れたように胸の痛みが消える。声は出なかったけど、もし僕に声があったら、きっと声を出して笑っていたと思う。
僕は自分でも弾けるようにエミリに笑いかけてしまった。
ありがとう、と口を開く、声はない。
全員が僕に注目する。時間が止まったように教室が静まり返った。僕はそれで我に返る。少し馴れ馴れしすぎたかな、と焦りが這い出る大量の虫のように背中を駆け巡った。
一瞬俯いたら、レオと目が合ってしまった。
僕は思い切り彼と目をそらす。一人だけきょろきょろ動いて恥ずかしい。
そう思ったら隣で大きな破裂音のような音がした。
鳥口がパン、と手を叩いたんだった。
「それでは各々作業を続けましょう、浅見くんはエミリのところへ行って」
少し声が震えているのはどうしてだろう。僕は少し疑問に思ったけど、とりあえずエミリのいる机の方へ向かった。
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