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先輩 3

 土曜日の午後の時間帯、電車内は少しだけ混み合っていて、俺は降車側じゃないドアに背中をつける。 「あの時の理由、嘘だったんだ。好きな人が出来たなんて、嘘」  ビルが沢山建ち並ぶ景色が、どんどん住宅街に変わっていく。俺が高校三年生で、先輩が大学一年生の頃、何回かこうやって二人で電車に乗った。 「遠距離が耐えられなかったから、寂しくて。達哉に会えても、次の日には帰っちゃうのが辛くて」  外の景色を見る俺に、先輩は少しずつ俺に近づいてくる。いつも見ていた距離。この人が俺に笑いかける度に抱きしめたくなったあの頃。 「だから今日、心臓が止まるかと思った。達哉がいるって」  俺たちを乗せた電車は短い感覚で止まり、ドアが開く。その度に先輩に「帰ってください」と言いかけて、飲み込む。 「昔、よくこうして二人で電車乗ったよね。あの頃は誰も見てない時に手をこっそり繋いだりキスしたりさぁ…楽しかったよね」  楽しくて嬉しくて、でも苦しくて。あの頃は、先輩が俺の世界のすべてだった。  ドアがまた開く。俺が降りるすぐ後を、先輩が追う。人が沢山降りる駅なので、改札へ向かうまでに俺たちの間には人が入り込む。その瞬間、先輩の手が俺の手を掴んだ。 「はぐれそうだから、いいでしょ?」  達哉、と俺の手を握る力を強めて先輩は嬉しそうに笑うと同時にスマホが震えた。見なくてもわかる、きっと裕二くんだ。でも俺の右手は先輩の手と繋がっていて、ポケットのスマホは取り出せない。その手は改札を出ても離されることはなく、道ゆく人は俺たちの手に視線を向けてくる、だが俺がその視線の方へ向くと、気まずそうに顔を逸らされた。  男同士が手を繋ぐのは、一般的にはまだ当たり前じゃないのだと気付かされる。同性を好きで何が悪いのだと思う一方、好奇の目に晒されるのはやはり気分は良くない。 「先輩、そろそろ離してください」 「いいじゃん、このぐらい」 「男同士で手を繋いでたら人に見られます…」 「そういや昔はこんなの出来なかったよね。地元なら尚更。でも今時はこうなんだよって見せつけてやろうよ。男女が繋ぐのと何が違うのって」 「先輩は……強いですね。俺はまだ面白おかしく見られるのは苦手です……」 「お前は考え過ぎだって。美形同士が手を繋いでたら思わず見ちゃうでしょ。みんな目の保養したいんだよ」  その言葉に俺は思わず笑ってしまった。 「達哉すっごく格好いいもん。入学してきた時、一番に目をつけたもんねー。俺の目に狂いは無かった、なんちゃって〜」  先輩はそう言って笑っている。なんだか初めて声をかけられた時のことを思い出す。あの時も先輩は笑って「君、すっごい格好良いね。一年生?」と言った。そこから少しずつ話すようになって、ある日突然キスをされた。それまでも少しだけ意識していた気持ちはそれをきっかけに膨らみ、彼のことしか考えられなくなった。 「だから、今も自慢させてよ。達哉のこと」  高校生の時は隠れて繋げていた手を、今の先輩は堂々と人前で繋ぐ。あの頃ドキドキしたこの人の手。ずっと離して欲しくなかった。いつまでも彼の隣にいたかった。あんなに好きだった人。その人が、俺をまた好きだと言ってくれている。  鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開ける。「もっと古い部屋かと思ったら綺麗なんだねー」先輩の声が背後からする。結局、彼の手を離すタイミングを失い、自宅まで連れてきてしまった。  一体何をしているんだ俺は。好きだった人に好きだと言われて、簡単に家に上げてしまうのか。昔の恋人を家にあげてすることなんて、大体ひとつしかない。  俺はスマホを取り出し、枕元に置いた。裕二くんに返信する気力はなく、楽しそうに部屋を散策する先輩を横目に俺はベッドにごろんと横になった。 「達哉、充電器差さないのー? 俺借りちゃお」  コンセントに刺さったままの充電器の先端を先輩は自分のスマホに差し込む。 「シャワー浴びないでそのままする?」先輩はベッドに腰掛け、上から俺を見下ろす。何度も彼とセックスをしてきたからわかる。これはそういう流れだ。俺か先輩、どちらかが行動すれば、簡単にそうなる。  そういや裕二くんと昨日出来なかったな、なんてことを考える。  裕二くんとは、家でしか会わない。会ってもセックスだけ。何だかよくわからなくなってきた。裕二くんは俺の何が好きなのだろう。俺がセックスをしなくても、彼は俺を好きなのだろうか。 「なーに難しい顔してんの? 達哉……」  俺と先輩が付き合っていたなんて思っていない裕二くん。言えば、嫉妬してくれるかな。それとも何も思わないかな。俺が先輩と付き合っていたことを知ったら、君は何て言うんだろうか。  ぼんやりしていたら、いつのまにか先輩の顔が俺の目の前に迫っている。唇が触れると、昔何回も絡めた舌が俺の口内に侵入してきた。懐かしい感覚は、無意識に俺の舌を激しく動かす。 「キス上手くなったね。セックスはどうかな?」  熱を孕んだ先輩の目。セックスしたい時の顔。昔は何度もこの距離で彼の顔を見ていた。 「先輩、俺……」 「今は俺のことだけ考えてよ。あの頃みたいに気持ち良いセックスしよ」  先輩の手が俺の頬にまた触れ、彼の身体が俺に覆い被さる。自分の手が勝手に動いて、目の前の先輩に絡みつく。  裕二くん、俺が今先輩をベッドで抱きしめてるって知ったら、君は何を思うだろう。 「『先生、寝ちゃった?』だってさ。可愛いね」  近くにあるスマートフォンが音を立てると、先輩は顔を上げて画面を読み上げた。 「ねぇ〝達哉先生〟。返事してあげないの? そのakiさんと、今からセックスするよって」 「せんぱ……」 「俺はまだお前のこと、好きだよ」  先輩の香水の匂い。あの頃俺が好きだった匂い。笑った先輩の唇が、また俺に触れた。

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