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先輩 4

 次の週、家庭教師のアルバイトを休んだ。裕二くんからは〈先生風邪大丈夫?〉とLINEが入って来ていたので〈うん、休んでごめんね〉とだけ返しておいた。  本当は風邪じゃなくて、行ったら真っ先に彼を抱いて離せなくなりそうだから。  今の俺はそれほどに彼を求めている。だから頭を冷やすために休んだ。    あの日、結局先輩とはセックスはしなかった。  何度も抱いた人。俺にセックスを教えてくれた人。俺の心は揺れた。だけど、キスだけで留めた。やはり俺が今抱きたいのは裕二くんだけだから。 「先輩ごめんなさい。俺、出来ないです」  俺に覆い被さっている彼の肩を掴み、身体を離した。「……俺のこと、嫌い?」先輩は寂しそうな顔をして俺を見てくる。 「そういうこと言うのズルいです。嫌いじゃないけど、俺は今、あの子が好きなんで…すみません」  はぁ〜っと大きな溜息の後「やっぱり無理かぁ」ボソリと先輩が呟く。押したらいけるかと思ったのにー、と俺の身体に乗っていた彼は、ベッドにごろりと転がった。 「……どうして途中で俺を追い帰さなかったの? こんなギリギリで断られると傷つくんだけど」 「すみません……でも正直言って俺もセックスしたいなと思ってました。先輩にキスされるまでは」  裕二くんと出来なくて溜まっていた。だから、先輩とセックスしてもいいかなと思って部屋に入れた。本当に最低。でも、いざキスされたら悲しい顔の裕二くんが頭に浮かんだ。 「つまんない。久々に達哉と出来ると思ったのに」 「恋人、今はいないんですか」 「いたら元カレにセックスなんか迫らないだろ。あーやりたかったなー。ねぇ、達哉もあの子が恋人じゃないならヤルのは自由じゃん。ヤろうよ」  先輩は身体をまた俺に近づける。 「すみません。俺は、あの子以外としたくないです」 「うわー。完全にフラれた」先輩はそう言って笑った。 「……晶先輩は怖くないんですか。自分の気持ちを伝えること」 「えー? 何その質問」 「俺、怖いんです。フラれることも、付き合えてもいつか終わっちゃうこと……」 「もしかして、達哉の中で俺とのことトラウマになっちゃった?」 「いや、そんな訳じゃないですけど…高校の時も今も、先輩は自分から気持ちを伝えてくれるから…」 「ん〜、そりゃ怖いよ。でもさ、怖がってたら何も伝わらないじゃん。エスパーじゃないし」  俺は何も返せず黙る中、先輩は言葉を続けた。 「達哉、難しく考えすぎ。終わるの嫌なら、終わらないように努力すればいいの。それで無理ならしょうがないし、経験だよ。人生一度きりなんだから、死なない限りチャレンジするのみ」  終わらないように努力。俺は、先輩とのときそんな努力をしていたと言えるのだろうか。 「怖くなるほどあの子のこと好き?」  俺は無言で頷く。裕二くんと会えなくなるのは嫌だ。でも、怖がって彼に向き合えなくなるのはもっと嫌。余裕ぶったって、俺はまだまだ先輩に比べたらガキだ。 「……あ〜あ、悔しいな。やっぱり達哉と別れなきゃよかった…だったら今もきっと達哉は俺だけを見てくれたよね」  顔を上げると、先輩は寂しそうに笑って俺を見つめ返した。 「そんなこと今更言うの狡いですよ。先輩が俺から目を逸らしたんじゃないですか」 「まぁ、そうなんだけど。でも達哉がこっちに進学だって知ってたら我慢したかも。あの頃達哉は地元の大学行くって言ってたから」  先輩は俺が地元の国立に行くと思っていたらしい。だけど俺は、先輩が大学を卒業すれば地元に帰ると言っていたからそこを選んだだけで、正直どこだって良かった。 「じゃあ俺がこっちの大学にしてって言ってたら、達哉はその通りにしてたってこと?」 「そうですね…実際今はこっちにいるし」 「……何それ、じゃあ言えば良かった」と先輩は大きな溜息を吐く。そして、俺も同じ感想だった。 「達哉も身に染みてると思うけど、俺らの地元って結構古い考えの人多いでしょ? だから、色々考えてたら向こうに戻るのしんどいなって。達哉といても、ジロジロ見られるだろうし」  久々に会った先輩が大胆に手を繋いできたことに合点が行く。あれは、こっちに誰も知り合いがいないから出来ること。俺たちの地元でアレをすれば、男同士で付き合っていることを何かと言う人間がいる。 「あの頃は今よりも結構考え方が暗くってさ。なんか自分の性趣向とかぐちゃぐちゃ考えちゃって……。達哉のこと傷つけて自分も苦しんで…馬鹿みたい。何か言われたって、今なら跳ね返せるのに」  都会に出たばかりの先輩は、俺が遊びに行って帰る時、いつも泣きそうな顔をしていた。でも俺も泣きそうなくらい離れるのが寂しくて、彼が欲しい言葉を察することが出来なかった。 「折角思い出に昇華出来たと思ったらまた現れて、結果フラれるし……ねぇ達哉、俺は大好きだったよ。正直今でも好きって思えるくらい」  あの頃の俺がこの言葉を聞いたら、きっとこの人を悲しませないように頑張って毎週会いに行ったのに。でも時間は巻き戻せない。俺が今一番抱きしめたい人は先輩じゃなくなってしまった。 「あの時素直に会いたいって言えば良かったです。俺、大人ぶって我慢してバカみたいだ……」 「俺も大人ぶってた…達哉に〝大人ですね〟って言われるの嬉しくて。でも、それで別れちゃうなら、素直に言った方がよかったね。俺だけ見ててって、離れてて寂しいって…もっと伝えるべきだった…」  先輩は大人。だから俺もそれに合わせないとって思ってた。別れを言われた時でさえ、しがみつくのは子供なんだと思って、我慢していた。 「でも本当は先輩と別れたくないって、家まで押しかけてそう言いたかったんです。大好きだったから」 「あーあ、過去形かぁ……本当悔しいし悲しい。でも、達哉の気持ち聞けてよかった。これでやっと、次進めるかな」  ちょっと涙目になった先輩は「悔しいから最後にツーショット撮らせて」とお願いしてきた。写真なんか今更撮ってどうするのかなと疑問に思ったが、気持ちに応えてあげれない代わりだとしたらお安い御用だ。  画面に映った先輩は涙目から笑顔に変わっていて「いくよー」という声とともに、俺も笑顔でその画面に収まった。 「とりあえず、好きな子のこと頑張りなよ。ムカつくけど!」 「はは…頑張ってみます」 「フラれたら俺が慰めてあげるから。ま、上手くいってもご飯くらい行こうよ。達哉と喋るのは恋愛抜きでも楽しいからさ」 「はい、また連絡します」  先輩は「絶対連絡してよー!」と念押ししてその日は帰っていった。  あんなに先輩が好きだったのに、今は違う人が好きな俺。もしかして今こんなに裕二くんが好きな気持ちも、いつか別の人へ向いてしまうのかもしれない。でも、その時はその時。今の俺は裕二くんが好き。

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