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第4話
教えてもらったサイトから体験レッスンの申し込みをした翌日。
登録したメールアドレスにコーチと名乗る人物から返信があった。
日時と場所の指定、持ってくる物が書いてあり、最後に『永瀬一暉』という名前が添えられていた。
事務的な内容と、名前だけではどんな人物か全くわからないが同じ男性だということで何となくホッとする。
里都は少し緊張気味にその名前を見つめた。
習い事なんて小学校のそろばん塾以来だ。
記憶は薄らだが、あの時は親に無理矢理行かされていたという感じでやる気のやの字もなかったように思う。
そのせいか、習った事の内容なんか殆ど覚えていない。
きっと己自身がやるぞという気がないと何事も身につかないという事なのだろう。
しかし、今回は違う。
夫からの愛情を維持するためというあまり純とはいえない動機だが、頑張ると決めたのだ。
飛鳥彦 は、唐突にもかかわらず、里都の習い事の申し出に快く賛成してくれた。
飛鳥彦自身、ずっと家にいて家事ばかりしている里都の健康面やメンタル面を心配してくれていたらしい。
「何でもやってみたらいいさ。但し根を詰めすぎるの良くないからね」
飛鳥彦の優しい言葉は里都の心にますます火を着けた。
体力をつけ、若さを維持し、飛鳥彦の妻としていつまでも美しくい続けるために何が何でも頑張らなくては。
里都は心の中で気合いを入れたのだった。
体験レッスン当日。
里都は最寄駅近くのスポーツクラブへとやって来た。
受付で必要な書類を渡し手続きを済ませると、水着に着替えプールサイドに行くよう指示される。
更衣室で手早く着替えをすませると、緊張気味にプールサイドへと足を踏み入れた。
通路を抜けると、独特の匂いがして全長25メートルの透明度の高い室内プールが目に飛び込んでくる。
カナヅチというわけではないから大丈夫なはずと高を括っていたが、いざプールを目の前にするとやはり尻込みしてしまうものだ。
久しぶりに見る大量の水に、里都の緊張はますます高まっていく。
しかし、プールサイドどころかプールの中には人っこ一人見当たらない。
受付では確かにここにコーチがにいると言われたけれど…そう思いながら静かなプールサイドを見回していると、不意に背後から声を掛けられた。
「望月…里都さんですか?」
振り向くと、競泳水着姿の男がこちらを見下ろしていた。
「は、はい、望月です」
里都が返事をすると、男が首から下げたネームプレートを見せてきた。
「初めまして、今回望月さんの指導を担当させていただく永瀬一暉 です」
「………」
里都は思わず返事もせずに、男の姿をまじまじと見つめてしまっていた。
日に焼けた健康的な肌に、無駄な贅肉が全くない逆三角形が美しい躰。
若く瑞々しくハリのある肉体に目が奪われてしまう。
「望月さん?」
ぼんやりとしているとしていると、永瀬が不思議そうに里都を覗きこんでくる。
里都は更に言葉を失った。
近づいてきた顔が目鼻立ちが整ったすこぶる二枚目 だったからだ。
屈強な肉体の方に目を奪われて気づかなかった。
「あ、は、はい、あの、よろ、よろしくおねがいひます」
動揺のあまり、里都はどもりながら思いっきり噛んでしまった。
羞恥で顔が熱くなる。
バカバカ!
里都は心の中で自身に𠮟咤した。
まだ始まってもいないのにこんなに動揺するなんて余裕がないにもほどがある。
それに、いくら永瀬が若くてかっこいいからといって、人妻の身で夫ではない男に見惚れてしまうなんてあってはならない事だ。
里都はざわつく内心に「落ちつけ」と必死に言い聞かせる。
すると、永瀬の後ろからもう一人水着姿の背の高い男がひょいと顔をのぞかせてきた。
「かわいい〜!めっちゃ噛んでるじゃん!ね、永瀬コーチ、この人がもう一人の生徒さん?」
「あ、あの?」
突然現れたフレンドリーな話し方の男の登場に、里都は困惑の表情を浮かべた。
永瀬が横へとずれると、にやけ顔の男が里都の前に歩み出てくる。
男も随分背が高い。
しかし、体型も容姿も横に並ぶ永瀬と比べたら月とスッポンだ。
「望月さん、こちらは田中さんです。望月さんと同じ体験レッスンの方です。普段はマンツーマンなんですけど、今日は体験レッスンという事でお二人一緒なんです。ご都合悪かったでしょうか?」
「あ、いえ、全然…問題ないです」
里都は戸惑いながらも少しホッとした。
こんな大きなプールの中で、初めての人と二人っきりっていうのもかなり気まずい。
というか、正直永瀬と…というのが気まずいのだが。
田中という男の印象はあまり良くないが、むしろありがたい事だ。
里都は永瀬の顔をチラリと盗み見た。
しかしすぐに真っ赤になると視線をそらしてしまう。
ちょうど里都を見下ろしていた彼と視線がぶつかってしまい、再び心臓が高鳴ってしまったからだ。
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