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第32話(大山目線)
この2ヶ月……ただの生ける屍だった。それは今も続いている。1人だけでは背負いきれない仕事を他の人に手伝ってもらいながら、あたしは杉本が戻ってきてくれることを願っている。
謝り倒したい。あたしの好きな香りに気付いていたのに、仕事を優先してしまったこと……
少しの香りならなんとかなると思ってしまったこと……香ってたのに1人にしてしまったこと……なんのためのバディだ……こんなことにならない為の対策で、Ωにはバティがついてるはずなのに、あたしはその責任を放棄したのと同じだ。謝って許される問題じゃない……
また、くだらないことを言い合って、知恵を絞り出して、一緒にいいものを作りあげたい……どんな仕事にも真っ直ぐに向き合って、どんなにあたしに罵られても笑ってあたしを宥めてくれた。こんな相棒には、もう巡り会えない……だから還ってきて……
あの時、『あたしの所為じゃない』と口だけを動かして出ない声を振り絞ろうとした姿……
涙で枕がびしょ濡れになってた。傷ついてボロボロになってたのに、あたしに気遣って……
時間を巻き戻せるなら……と何度願っただろう。誰もあたしを責めない、責めてくれない。彼の母親にまで自分を責めるな、と。
――なんで、誰もあたしを否定してくれないんだよ……
ご飯も咀嚼出来ないから離乳食みたいな食事を軽くもぐもぐして飲み込んでいる。水分も要求しないから定期的に時間を見て飲ませている。飲み込むことは出来るけれど、そこに本人の意思は全くない。リクライニングで起こしたベッドに座ったまま、開いている眸は何も映していない。規則正しい生活はしているようで、赤ちゃんと変わらない。下手な子供より手がかかってるのか、かからないのか分からない状態だ。
彼の母親はそれでも献身的に介護を続けている。彼が感情を露わにするのはαが近づいた時だけだ。可哀想なほどに脅え、悲鳴のような叫びをあげて暴れる。その度に鎮静剤を打たれるのが可哀想で、αを近づけないようにした。
そんな時に医師に告げられた言葉に冷水を浴びせられた気持ちになった。
「……妊娠……ですか……?」
寝耳に水……というのはこのことだろう。
念の為に行っていた血液検査に異常が出たので、尿で検査を行ったところ、妊娠が発覚したのだ。集団強姦 の上に妊娠とは、運命はどこまで非情なのだろう……
「今の状態では、どちらの命も守りきれません。堕胎を承諾していただけますか?」
医師から告げられる冷酷な言葉。彼の母親は悩みあぐねいていた。
「あたしは雅くんを失いたくありません。あたしは賛成です。今のままじゃ戻ってきた時に彼が可哀想です。本人のわからないところで可哀想ですが、あたしは雅くんを守りたい……守らせてください……お願いします……」
彼の母親の前で初めて涙を流した。これはあたしの罪だ。
「……お腹の子供に罪はありません。でも、私も父親が誰か分からない子供より、息子の命がかかっているのなら、息子を選びます。」
彼の母親も泣いていた。
「本当に……ごめんなさい……」
あたしはそれしか言葉が出てこない。
今なら術後も安静にしてられる。堕胎にはやはり負担がかかる。しかもΩだとはいえ、体の作りは男性なのだから。下手をすると次の妊娠は望めないかもしれない。それでも、あたしは、彼の命を守りたかった。
次こそは守らなければならない、と思った。
そんな頃、嶺岸 樹が病院を訪れてきたのだ。
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