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第37話(樹目線)

「あ〜、あ〜、だぁ〜」 25歳の男性が赤ちゃんのような話し方しか出来ないのは、手のかかる赤ちゃんのようだが、少しずつ、回復に向かっている証拠でもあった。そんな姿を見てるのも、実は可愛く思ってることなどは、周りに悟られてはならない。恋は盲目になると言うけれど、まさにその状態だ。 生きることにさえ頓着してなかった、数週間前とは大違いだ。少しでも生きる希望になってくれることを願いながら通った。 「嶺岸さんが来てくれた時だけ、声を出してくれるんです!!」 嬉しそうにしてるのは彼の母親だ。 少しずつ咀嚼もできるようになり、ご飯もお粥の段階を踏んで白米までたどり着いた。 リハビリも始めた。車椅子でリハビリルームにで歩行練習を行う。オレが行けない日はそこで腕の筋肉を取り戻すトレーニングに励んでいるようだ。まだ、オレがいないと無機質に動いているだけのようだが…… オレと一緒にリハビリをしてる時には楽しそうに過ごしている。心を許せる人間とそうでないと無意識に見分けているらしい。 少しでも生きる方向に気持ちが向いてくれているのなら、自分が通う価値がある、というものだ。変わらず、αの看護師が試しに近づいてみるが、そこは変わらないらしい。 何も映していなかった眸はゆっくりだか、うつろな眼差しから、光を取り戻してるようにも見える。動いたりするのがオレの前だけだと言う。時折抱きしめてやると嬉しそうに微笑む。 彼の母親か、オレにしか見せない顔だった。そこに大山が来ても、その光景に驚くばかりだった。いつもはにかむようにしか笑わなかった雅が、子供のように無邪気に笑う姿はオレと一緒に生活してた時にも見せたことの無い表情(かお)だった。それが嬉しかった。 誰かを慈しみ、今まで面倒だと思っていた介護や子供に対しての気持ちは、雅には関係の無いことらしい。愛情とは(ぜつ)にしがたいとは言うが、いつもシールドで固めていた雅が無防備になる姿も悪くない。 言葉のリハビリも必要になってくるだろうが、急ぐ必要は無いだろう。 そんな生活を繰り返して行くうちに 「たちゅき!!たちゅき!!」 と迎え入れてくれるようになった。初めて言葉を発した時のような感動を彼の母親はしていたが「パパ、ママ」ではなく、オレの名前が最初、というのは複雑だろう。 「嶺岸さん、雅をよろしくお願いします……」 ――これほど感動したことはあっただろうか…… 心が揺さぶられるとはこういうことか…… 「雅がこれだけ回復して、嶺岸さんに懐いてるのを見て、気づかない親はいません。雅があなたを必要としています。正直言いますと、雅にはそう言ったお相手が現れないと思っていたので、ホッとしてるんです。ただ、雅は一般人です。これから辿る道はイバラの道かもしれません。でも、それも運命だと思うんです。 2ヶ月間のあなたの努力を見てあなたなら大丈夫と確信しました。」 その言葉に不意をつかれたのは確かだ。驚きはしたが、表情を変えたつもりは無いのに、ポロポロと涙が頬を伝う。これも初めての経験だ。演技で泣いたことは多々ある。 ただ、彼の母親の言葉が嬉しかった…… 心の底からの涙はこんなふうに流れるものだと知った。ただ、ただ、本当に嬉しかったのだ。 「この先どんな事があっても、雅さんを守ります。オレの……ただ一人……愛してる人です」 こんな言葉しか出てこない。雅がこんな状態になって4ヶ月も経過してたのだと実感する。あと2ヶ月で半年……雅をこんなにしたヤツらは許せない。けれど、この4ヶ月で色んな自分をしれた気がする。 たとえ、誰がなんと言おうと、雅との未来しか考えられない。そんな気持ちが胸を支配した。 彼の母親も涙していた。早く彼をこちらの世界に戻してやりたい。自分の為でもあるが、まずはこの健気な母親の為に……

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