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第44話

僕の中の誘惑は、僕を暗闇のトンネルの方へ行かせたくて仕方ないようだ。 光の方へ向かおうとすると、フラッシュバックする辛い出来事が僕を襲う。暗闇のほうへ向くと、ただ、ポッカリと穴が迎え入れる準備をしているように見える。 まだ、僕はあの分岐の前で立ち止まっていた。 暗闇の方へ向かおうとすると、幼い少年の声が、『そっちじゃない』と言ってくるのだ。 もう、あの少年とすれ違ってから、かなりの時が経ってるような、経ってないような…… 時間の感覚がない。 あの幼き少年の姿が見えるわけじゃないのに、声だけが聞こえるのだ。少年はどこにいるのだろう……? 彼は『また、ママのところに来たいんだ。また、逢えるかな?』というようなことを言っていた。『このままだと、ママも僕もダメになっちゃうんだって。ママが生きることを望んでる人がいるんだ。だから、僕は消えるんだ。』 キミのママって……まさか……? 僕が明るい世界に帰ったら、あの子が……辛い現実が待ってるの? もし、あの時に出来てしまった子供だとしたら……途中で数えることを諦めるほど、αに犯された。精を注がれた……誰の子供かも分からない。どちらにしても辛い現実が待っていただろう。僕は子供を産む気はない。でも、あの子は僕のところに来たいんだと言った。 僕がここにいる限り、彼もこの暗闇の中にずっといるの? それは可哀想だ。 峰岸の胸に飛び込んだら、なにかが変わるのだろうか……? 『ボクの新しいパパになる人だよ?ねぇママ、パパはママのことだけが大好きなんだよ?パパはママを幸せにしてくれるよ?』 なんだろう……涙が流れる。僕は彼を救ってあげなければならないんだろうか? 1歩踏み出すとあの時の記憶が暗闇の中に映し出される。その記憶に恐怖で震える。背負っていかなければならない記憶…… せめて忘れられたら良かったのに…… 頭を振って、勢いのまま峰岸の胸に飛び込んだ。 「頑張ったな、今日は昨日より3歩も多く歩けた。すごいぞ、雅!!」 周りもだいぶ慣れてるみたいだが、ファンも見に来てるみたいだが、なんでこんな冴えない男と一緒にいるのか不思議そうな感じでもある。 抱きしめられて頭を撫でられた。自分を見下ろすと入院着で、手足がものすごく細い。 抱き抱えられて車椅子に座らされて、ファンをかき分けて車椅子を押している。 「どうした?いつもなら『頑張った〜』って言うのに、今日は静かだな」 心做しか、子供に語りかけるような口調だ。 部屋についてベッドへ乗せられてから、峰岸を見上げ、頬の筋肉も落ちてるのか、話すのが億劫だったが、状況を確認したかった。 「……あの……状況が読めないんで、説明してもらってもいいですか?」 前に来て、僕の顔を覗き込んで、心底驚いた表情をしている。 「……はっ?……雅……?おかえり……」 と静かに抱きしめられ手が、少し震えている。 半年間、僕は心を壊して入院していた、と簡易的に告げられた。思い出させないための気遣いだろう。けれど、その心を壊した原因はあの時のことだ。 ご飯もまともに食べれなくて、離乳食のような食事をしていて、やっと少しずつご飯も重湯からお粥に変わり少し眸に光がもどりつつあったが、幼い子供のような言葉しか喋れず、やっと、少し言葉を覚えたところだったという。 「僕は……ある男の子にね、背中を押してもらったんだ。『ボクがいると僕もママも死んじゃうんだって。だからボクはママの元からいなくなるけど、また、ママのところに戻りたいんだ。今、手を広げて待っているのが僕の新しいパパだよ……』って言われた。貴方が両手を広げて待ってる明るい道と、暗闇のトンネルとふたつの分岐でずっと悩んでた……あの時のトラウマが襲ってくるんだ……でも、あの少年が暗闇の中にずっといるのは可哀想で……って、なんで笑ってんだよ……」 「『新しいパパ』が嬉しいだけだよ。雅がオレの子供を産んでくれるってことだろ?こんな嬉しいことあるかよ…… 一応、雅がOKなら番になってもいいって、お義母さんには許可もらってるから。」 ――いつの間に?! 「すぐじゃなくていい。ゆっくり、普通の生活ができるようになるまで、リハビリも頑張って、もっと肉をつけないとな……」 抱きしめられて、キスをされる。 ――なんだろう……この安堵感……やっぱりこの人からは離れられないんだな…… そこにαの看護師が入ってくる。さすがに叫んだり暴れたりはしなかったが、近づくにつれて躰の震えが止まらない。 「すみません。α恐怖症はそのままのようです。βかΩの看護師さんでお願いします。」 無意識下でもα恐怖症というものになってたのか……とその時に知ったのだった。

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