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第70話
僕が薬を飲み始めて数日後、発情期がきた。
前ほどの匂いではないものの、嶺岸も落ち着かない様子だ。
「こんな日に仕事が入るなんて……でも、帰ってきたら……噛むよ?」
低くて甘い声に囁かれる。僕は顔が急に熱くなり、ただ、頷くことしか出来なかった。唇にキスを落とされ余計に真っ赤になってしまう。
「行ってくる。ちゃんと家にいること、誰が来ても玄関は開けないこと。お義母さんには連絡してあるから、今日は来ないから。」
――いつの間に!!
「行ってらっしゃい……気をつけてね?」
「行きたくねぇ!!ずっと抱きしめてたい!!」
急に駄々をこねる樹を諭さなくてはならなさそうだ。あの宮日グループの御曹司が来てから、過保護が増した。
「パパになるんだから、お仕事も頑張ってもらわないとね?」
しゅん、として『わかった』としょぼくれながら行ってきます、と玄関を出る。オートロックのこの部屋は自動的に施錠されるから、鍵を忘れると入れなくなる。今日は自分がいるから大丈夫だが、ちゃんと鍵を確認してでていく。
この後、リモート会議が控えている。頬にのぼった熱を覚ますために冷水で顔を洗うけれど、ヒートの所為もあってか、完全に引くことは出来なかった。
『顔が赤いけど、大丈夫?』
「ただの発情期なので気にしないでくだい」
こんなことを言うのも恥ずかしい。
3つほど提出した企画書についても話し合う予定だ。最初はいくつか訂正が入るようなものばかりで、改定案をいくつかあげて、その中から本人の納得のいくもの、格段に良くなると考えられるものと置き換えてコンテを作成していく。流れは良くても、その手法は……というものに意見交換をし、その方向で、と次々に決められていく。まだ、社内会議出会って、クライアントが気に入るものでなけらば、ボツになってしまう。せっかくの案が没になることは多いが、なるべくならその案を通したいのも企画の意地でもある。どうにかしていきたい、と思うのもある。
最後に僕の企画書の順番が回ってくるが、訂正ヶ所の指摘もなく、また、そのまま企画書が通ってしまう。全てがクライアントに気にいられるものでは無いが、今のままでは僕は成長しないのでは無いのか?と反論するが、
『キミを過小評価をしてる訳でもないし、実際、クライアントからの提案のうちの内容をよく噛み砕いてると思う。それで通らなかったら、ただの運だ。君はテレビを見ないのかい?地方CMもあるが、テレビで流れてるキミの提案のCMがどれくらいあるのか数えてみなさい答えはそこにあるんじゃないかな?』
言ってくれてることは分かるし、嬉しい。けれど、社で大山とディスカッションして作り上げたものの方が、達成感はあったのだ。もちろん、その後のコンテや細かいところは大山と話し合う(ケンカ?)することも多いが、現場にも行けない、思ったものと違うものが出来上がってるものもある。
けれど、ツヴァイ・コーポレーションの杉本雅のCMだという、名前だけが先走っていて、僕本人は置き去りにされてる気がしてならない。
最悪は大山と一緒に独立してもいい。それには手始めにピンク・クローバーとブルー・クローバーの専属、という契約を交わしたら、の話だ。
白石は快くOKするだろうが、あの大山がなんというかわからない。
『この3本の企画書について、詰めたいからまた連絡する。早く出社できるようになるといいな。あ、連絡は明日がいいかな……番ったアンタがどうなるのか、明日確認してやるよ、楽しみにしてっからな。午後に連絡するから。嶺岸さんとイチャついてても気にしないから、嶺――岸さんにもよろしく〜あはは〜』
そう言って会議画面は切れた。
――そう言うあんたは妊活してんのかよ?
口調は荒いが化粧が変わった気がする。白石の好みだろうか?妊娠してもいいように、オーガニックの化粧品に変えたのか……てか、会社にいる時はすっぴんじゃなかったっけ?
大山も少しずつ変わってきている。
僕も今夜、世界が変わるのだろうか……?
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