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第72話
慌てた様子で帰宅してきた樹は僕の様子を伺ってきた。メディアに漏れてしまった情報に戸惑ってる様子だった。
「どこで漏れたのか、全く分からないんだ……気を悪くしてたら……」
「……樹の方が大変だったでしょ?ジャーナリストに追われたんじゃないの?」
冷めた口調で返してくる雅に違和感を感じながら、顔を覗き込もうとするとプイッと別の方向を向かれてしまう。抱きしめようとしたら逃げられてしまう。
「情報が漏れたことは悪いと思ってる……」
「違う!!今すぐ、その大量についた匂いを落としてきて!!αもの、Ωのもベタベタと……どんだけの人にもまれてきたの?それとも、僕が焦らしまくったから他のΩで抜いてきた?」
最後の一言に傷ついたらしい樹は無意識に僕の頬を叩いた。
「オレの『唯一無二』は雅だけなのに……雅にはその程度にしか思われてないの?とりあえずシャワー浴びてくる。話しはそれからだ」
――わかってる……これは醜い嫉妬だ。
これから番になるというのに、他の人の匂いを大量につけてきた樹への嫉妬……
そんなにまで樹が心の中で大きくなっていたことに驚いた。他人に干渉しない、干渉されたくない、と思っていたのは、わずか数年前だ。
それが僅かな移り香にこんなにも胸がかき乱されることになるなんて……樹がシャワーからでてきたら謝ろう。
「樹……ごめん……僕は……」
「気持ちが削がれた。まだ、1週間期間があるんだ。その間に気持ちが戻ったら番にする。ただ、明日からしばらく地方ロケに入る。番になりたいならしてやるが、そこにいつもの気持ちは入らない。それでも良ければ抱いてやる」
「僕の醜い嫉妬だったんだ。でも、樹の気が乗らないなら、しばらくベッドも別にしよう?」
客間から布団を運び入れて自分の荷物部屋部屋に布団を敷く。抑制剤を飲んで、そのまま布団に入るが、その夜嶺岸が部屋に来ることはなかった、翌朝も早朝集合だったらしく顔を合わすこともないまま樹は部屋を後にした。
その間に僕は自分の荷物を最低限にダンボールに移し、すぐに出ていける準備を始める。すぐには出ていかないにしても、すぐに出ていける準備はしておくべきだ。もしかしたらロケで、僕以外にも誰か相手が見つかるかもしれない。すぐに出て行ける準備をしよう。
βの友人に頼んで、家具家電付きのワンルームのある部屋を探しに出かける。高校の頃から付き合いのある唯一の友人だ。前の部屋は引き払って新しい人が入っている。会社により近いところと、予算を考えると、数駅離れてしまう。なるべく嶺岸の家とは正反対の方向で部屋を探した。会えば流されてしまうことがわかるからだ。社長や大山にも『嶺岸と距離をとる』と告げて、ロケ3日後には嶺岸の部屋を後にした。
『頭を冷やしてきます。お世話になりました』
残してきた書置きはそれだけだ。携帯の番号を変え、しばらくは在宅ワークを続けることには変わり無かった。どうしてもの時だけ、大山が車で送迎してくれる。契約したのは予算の都合上、ウィークリーマンションになってしまったけれど、家具家電もついていたので生活にはそれほど困らない設備だった。
なんの連絡もとらず2ヶ月が経過しようとしていた。抑制剤はスケジュール通りに欠かさず飲んでいる。ただ、現場に行くことも無い。
「こっちが妊活に入ったら、そっちは別れるのかぁ……?ま、あんたなら次の相手は選ばなきな誰でも引くてもあまただろうけどね。」
大山が大きなため息をつく。
「あれから嶺岸さんから何度か会社にも玉妃のとこにも連絡来てるよ?いいの?このままで?」
「……うん。元々芸能人なんかと釣り合わないんだよ。僕は。実家だとバレちゃうから今の家に越したんだ。しばらくは会いたくない……」
大山はそれ以上は何も言ってこなかった。
「でも、約束は守るよ?大山さんと同じ月に子供を産むって約束。シングルファーザーになる覚悟もできてる。」
「α恐怖症のあんたが、嶺岸さん以外のαと出来るの?裏切りだよ?」
「……裏切りにはならないよ……あの時に『番になりたきゃ、抱いてやる』って言ったんだ。もう、そこに彼の気持ちがないことがわかったから、出てきたんだよ?白石さんの会社のαさんとお見合いでもしようかな……いい相手がいたら紹介してって伝えといて?」
と僕は笑う。本気でそんなことを考えてはいない。ただ、子供を産むだけの存在が欲しかっただけだ。あの子がいれば僕は頑張れる……
本気でそう思った……
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