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第80話

嶺岸が到着したのは、彼の義母が帰った1時間後だった。最初にベビールームを見てから来たらしく、上機嫌で部屋に来て 「雅、ありがとう。お疲れ様。メチャクチャ可愛かった〜。白石社長に写メもらった時から、会いたくてたまんなかったなぁ……それに雅にとにかく会いたくて、これでも急いできた。」 「さっき、お義母さんも顔を見に来てくれたよ?もっと産めって言ってたよ。たぶん、お義母さんも赤ちゃんがαだと思ってるみたい。」 「そうそう、『ご苦労さま』が最初の言葉だったわよ?ちゃんと『特殊Ω』だし、男性のΩって理解があるのか不思議なくらい女性Ωに対してみたいな言い方で、あたしの方がなんか、イラッとしたわ。よそ様の家庭に口を出すことじゃないけどさ……たまには家に顔を見せろ、とかずいぶんと自由なお母様だよね。」 嶺岸は僕ではなく、大山にクドクド言われて苦笑いしか出来ていない。樹は本当の母親に芸能界に向いてると判断されて芸能人になったのだから、その適性を見抜いた母親はすごいと思う。嶺岸のところも小さな会社ではない。良いポジションも用意出来ない訳ではない。子役からずっと活躍してきている樹は様々なポジションを変えながら、長く芸能界で活躍をしてるあたり、実母の先見の明は間違っていなかった、ということだ。 「あたしの存在なんて完全スルーでさ、言いたいことだけ言って帰っていったわ」 「ごめん、本当に申し訳ない。元々そういう人だから、あまり気にしないで欲しい。」 「那恵、いい加減に産後ハイテンションから戻ってきて休みな?嶺岸が来たんだから、席を外しなさい。いつでも雅くんとは話せるんだから」 白石が割り込んでくる。いつの間に病室に入ってきたんだろう?産後ハイテンションなんてものがあるのか……と思いつつ、後々聞いてみるとそういう母親は多いようだ。 「僕はまだ、生まれてすぐしか会ってないけど、ちょっと辛い出産でも、次が欲しくなるって言う気持ち、わからなくもないなぁ……やっぱりお腹で育って、やっと顔を見れた時は僕だって嬉しいことだったし、これからも楽しみで仕方ないんだ。それにお義母さんは跡継ぎ候補の1人って言ってた。もう、あの子がαだって決めつけてたよ。たぶん間違ってないけど、すごいね、樹のお義母さんは何でも見えてるみたい。」 「ごめんな、母さんは元々マイペースな人だから言い方もあまり良くないと思う……雅のお義母さんとは大違いだな。オレは雅の家庭、すごい好きだよ。雅をたくさん守ってくれてたし」 特殊Ωの僕が、樹に出逢うまで襲われかけたことはあっても、実際に襲われたことは無い。兄や父から僕を守り、強く居てくれたのは母の存在だ。今は解放されて、はっちゃけてしまっているが、しばらくは久々の子守りを満喫しに来るだろう。兄嫁は自分の実家にばかり連れていき、なかなか孫の顔を見ることも出来ないらしい。それほど遠くに住んでいる訳でもないのに僕らの実家ではなく、少し離れた場所にある自分の実家……仕事もそっちでしてるようなので仕方の無いことなのかもしれないが、兄とは上手くいってないんだろうか……?と少々疑ってしまいそうだ。兄の勤め先は新居と兄嫁の実家の中間に位置している。当然の如く、うちの実家は逆方向にはなるのだが……確かに僕も1人で樹の実家に行け、と言われると足が遠のく可能性はあるかもしれないし、もっと親しくなるために行くのか……迷うところだ。 結論としては、兄が実家に連れてくればいいのだ。が、出不精なところもあったから、それが加速化してるのかもしれない。どちらにしても、母なのかパパなのか、わからないが新米ママとしては、実母の補助はありがたいと思う。 兄や兄嫁もたぶん、母親側の親に頼りやすい、というのが本音なのだろう。 樹は赤ちゃんの名前を決めていた。 『浬』ーかいりー 海里の略字ではあるものの、海のごとく広く柔軟な心を持つ人間に育って欲しい、という意味があるらしい。 助産師さんが顔見世連れてきてくれた赤ちゃんに 「これからよろしくね、浬……」 まだ、名前に使えるようになってから20年弱という文字に愛しさがさらに増していった。

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