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第88話

僕が注意をしてから数日後の撮影に行った帰りの事だった。様子がおかしい大山に 「なんかあった?」 と声をかけた。すると大山は無言で僕の腕を引っ張り人気のない場所まで来ると 「……お腹の子供が動かないの……」 と告げた。確かに寝てる時などは静かに動かないことはあるが、※経産婦がそれを告げるということは、ある種の危機反応だと僕も察知した。一定時間を超えても起きて動かない、ということだ。お腹の中で産まれてくるために胎児も運動を繰り返して身体を作り上げている。この様子からすると、かなり前から動いていないのだろう。時間が経過しすぎるのも良くない、と思った僕は即座に行動することを提案した。 「とりあえず病院に行こう。僕が運転するから、事情を病院に連絡して、対応してもらえるように話して?心音だけでも聞いてもらえれば、気持ちも楽になるでしょ?何かが起きてからじゃ取り返しがつかなくなるから……」 「……ありがとう……」 病院に連絡を入れるとすぐに来い、との返事をもらった。なるべく振動を与えないように注意をしつつ、急いで病院へと向かう。入口で大山をおろし、僕は駐車場が満車なのをみて、空きが出るのを待った。ものの15分ほどで車は駐車場へと滑りこんだ。待合室に着く頃に大山は呼ばれて産婦人科のドアを叩いて入室して行ったのだが、10分ほどで出てきた大山の目には大粒の涙が溢れてポロポロと流れ落ち、足取りも重い。流れ落ちる涙を拭おうともせず、呆然とした様子だった。ただならぬ様子に僕は立ち上がり、大山を抱きしめた。その瞬間、堰を切ったように声を上げて泣き出したのだ。 「……赤ちゃん……赤ちゃん……お腹の中で死んじゃった……心停止してた……死産だって……このまま待っても腐敗しちゃうから、2週間後に促進剤を使って出産することになった……あたしのせいだ……あたしが殺しちゃったよ……ごめん……本当に……ごめん……ちゃんと産んであげたかったのに……」 「大山さんのせいじゃないよ。赤ちゃんが少し弱かったんだ。また、次にも大山さんのところに還って来てくれるよ……」 「……あたしのせいだよ……ちゃんと杉本の言うことを守れば良かったんだ……自分が許せないよ……ごめん……ごめんね……」 亡きわが子を少し膨らみ始めていたお腹をさすって謝罪をし続ける姿は痛々しい程だった。車に戻っても泣き止まない大山の為に玉妃さんに電話を入れた。 さすがに妊娠7ヶ月で我が子を失うとは思っていなかったであろう玉妃さんも、瞬間的に沈黙したが、すぐにこちらに向かってくれるとのことだった。玉妃さんにも『那恵に自分を責めるな、と伝えておいてね』と言われた。 「きっと次にも魂は戻ってきてくれます」 と僕は玉妃さんに伝えた。電話の向こうでクスッと笑う声がしたが、それも那恵に伝えて、との返答だった。産院は以前と変わらないところだった為、玉妃さんが到着するまで30分とかからなかった 。 「この車は私が運転して帰るわ。杉本くんはウチの秘書に送らせることになってるから、あっちの車で移動してもらえるかな?中途半端で悪いわね。那恵のことは任せて?」 「お仕事中に申し訳ございません。よろしくお願いします……」 「杉本くんが傍にいてくれて良かったよ。お礼を言うのは私の方だ。浬くんも待ってるだろうから、早く帰ってあげるといい」 「ありがとうございます」 1礼をしてその場を後にし、白石が乗ってきたと思われる車の後部座席に乗ると、何も告げていないのに住所がわかってるかの如く、車は静かに動き出した。口を開こうとすると 「ご自宅の場所はわかっております。この度はお手数をおかけいたしまして申し訳ございませんでした。あれでもうちの社長も取り乱しております。ただ、那恵さんが弱ってるので、自分を奮い立たせているのでしょう」 気持ちはわからないでもない。お腹に命を宿した瞬間から、母親は母になるのだ。僕も浬を宿したとわかった時から子育ては始まっているかのようにお腹の子供が愛しくて仕方なかった。だから、今回の件について大山は自分を責め続けてしまうだろう。それは夫婦間で解決することしか出来ない。亡くした子は亡くした子で2人にとってはかけがえのない存在に変わりはない。新しく前を向くには、また、新しい命を宿したり、二人の間にいる夢妃が支えになるだろう。つわりから始まり、検診の度に成長を実感してきたのだ。顔を見るのが楽しみになり始めた頃になって、こんなことになるなんて…… ※経産婦(けいさんぷ)……出産経験のある妊婦のこと

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