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第89話
帰宅して母にも大山のことを話した。
「それは残念ね……少しの間気持ちが辛い日々が続くと思うから、傷口をえぐらないようにね。お互いに子供がいるから、子供の話をすることは出来ないと思うけど、なるべく浬の面倒は見に来るわ。嶺岸さんも忙しいんでしょ?彼女も貴方が自分を失ってた時、すごく心配してくれて、時間を作っては病院に来てくれてたの。」
それ以上は言わずと知っている。浬の中にいる魂はあの暗闇の中の子供だと確信しているし、僕を生かす為に彼の命を犠牲にしたことも……僕の状態からして、選択肢がそれしかなかった……と後から知らされた。だからこそ、僕は生きて彼をあの暗闇から出してあげたいと思いながら生きてきた。彼の言ってたように峰岸の子供として彼を出産したと思っている。
あの闇に大山が落ちなきゃ良いのだけれど……
玉妃さんや夢妃がいるから大丈夫だろうと思うけど、亡くした子供を体に宿しながら最期のお別れをしつつ、自分を責め続けるであろう大山を思うだけで胸が痛いが、それが現実でいつかは受け止めなきゃならないことなのだと自分にも言い聞かせる。自分にも当てはまらないとは限らない。それが命を繋ぐということでもあるからだ。人はお腹の中に命を宿した時から、その人生は始まっている。その命が燃えつきる時間もみんな同じではないのだ。明日があるとは限らないのが人生だということでもある。
何かで見たことがある。その日は兄妹の誕生日の前日で、『明日、完成させて、みんなで美味しく食べてお祝いしましょう』と幼い我が子に告げて、その日は床についた……
けれど、その親子に明日はやってこなかった。
その日の翌日、幼い子供の誕生日であるその日に、天災に巻き込まれて家族全員がこの世からいなくなってしまったからだ。幼い子供の日記が瓦礫の中から見つかり、そのことが発覚したという。なんとも悲しい出来事だ。
けれど、それは他人事ではない。いつ、自分の身に降りかかるか、わからないことでもある。
だからこそ、1日1日を大切に生きていかなけらばならない。僕がもし、息絶えたとしても浬だけは守りたい。きっとどこの親もそういう気持ちであるはずだ。それが命のリレーであり、人間の存在する意味だと思う。『子孫繁栄』が全ての生き物に与えられているものだ。
かつての僕のように、子供はいらない、作らない、LGBTであることが悪いとは言わない。大山だってかつてはレズビアンだ。僕のような男でありながら男としての生殖機能がない、女性と同じ生殖機能のΩでしかない。傍から見れば僕らだって『ゲイ』の類に入るだろう。たまたま運命の番が男性だっただけで。
それでも浬がいることは事実であり、僕は生物学上は男性だが、備わっているのは女性としての性だ。だから浬を産んで慈しんでいる。僕はΩということを隠しはしないが、番がいることはチョーカーで隠している。相手が誰か、子供のことも他人に口外する気もないからだ。発情期前から以前より服用している入院前よりは少し強い薬を服用している。それでも、僅かなΩの匂いが漏れてしまっている、とβの大山から指摘があったくらいだから、αはもっと強く感じているのだろう。だから発情期の時は家からは出ない。妊婦だったから嗅覚が冴えているだけだったのかもしれない。けれど、αに対してはそうはいかない。社長確認の元、やはり匂いが漏れてることがわかってからは発情期は在宅ワークメインになる。ただでさえ、在宅ワークが多いのに……とも思うが、社長は
「家庭の事情もあるから、企画書を仕上げてくれたり、作ったりしてることだけでも十分に君は役に立っているよ」
と優しく声をかけられた。それに感謝をしつつも甘えてばかりはいられない。しばらくの間は大山は悲しみに打ちひしがれるだろう。その間に彼女が立ち直ってくれるでの間に色んな企画を用意しておこう、とパソコンを立ち上げた。
ブルー&ピンクのものはもちろん、ツヴァイでの仕事の企画も戻ってきた時に2人でこなせるように、僕は依頼書を見つめながらこうしてみたらいいのではないか?誰を起用するか、どの曲を使うか、などの吟味を始めた。
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