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第108話

――おまえ、誰だ? その言葉に僕はめまい起こしそうだった。 「ちょっと待って、樹、あなた年齢いくつよ?」 笹山さんが何かに気付いたようにその疑問を口にした。 「はぁ?何言ってんだよ、オレのマネになって何年か数えればわかるだろ?まさか忘れたのか?アホな質問すんなよ、26だろ」 ―― は? ーーーーーーー26??????????? いやいやいやいやいやいやいやいや…… どういうことだ?26ってことは……10年前? 「カイリって名前に覚えは?」 僕は咄嗟に口に出してしまったけれど…… 「カイリ?誰だ?」 「ちょっ!!あなたの子供の名前じゃない、覚えてないの?ちょっと先生呼んでくるわ!!」 笹山さんはベッドから離れて僕と二人きりになってしまって気まずい空気が流れた。顎に手を当てて考えてる様子の樹だったが 「うわ、ヒゲ伸びててジャリジャリしてんじゃん、なんで?脱毛行ったばかりなのに」 ヒゲ脱毛行ってたのかよ!!てか、永久脱毛って生えてこなくなるんじゃないの?自分のことを覚えていてくれたらツッコめたと思うけどこの状況じゃツッコむことさえ出来ない。何からツッコんでいいのかすら分からないけれど。僕と出会ってからはエステに行ってる気配はなかったから、この頃は美容に力を入れていたのだろう。 医師の診断の結果、近々の10年分の記憶だけがごっそり抜け落ちて失われている、ということだった。10年前だと僕とは出会ってない頃であって、ツヴァイにも入社していない。テレビでカッコいい役者だな、くらいにしか思ってなかった頃だ。 「ところでさ、さっきのカイリって名前、女?男?子供ってどういうこと?てか、そのチョーカー・・・あんた、Ωか?オレとどんな関係か知らないけど、言い寄ろうなんて考えてんだったらムダだから別のαを探した方がいいぜ」 「それは『運命の番』としか番う気がないから?その『運命の番』と出逢ったら番うだけ?結婚を考えてはいたりするんです?」 「そんなことあんたに関係ある?どういう経緯でマサミさんを抱き込んだか知らないけど、オレはただのΩには興味ない。いい遺伝子が欲しいんだったら、なるべく早めに精子バンクにでも行ってくるといい。見たとこあんただってそんなに産める時間があるわけじゃないだろ?」 「そんなものは必要ありません。貴方が『運命の番』にこだわる理由に少し興味を持っただけです。Ωは番ってしまえば、その人しかいません。でもαは何人でも番を作れるでしょ?あ、貴方ほどの人であれば本妻と何人の愛人がいたとしても養っていけるじゃありませんか」 言ってて情けなくなる気持ちが沸々と沸いてきたが、本音というものをこの機会に聞いておきたかった、というのもあった。 「クリーンで売ってる俳優にすごいこと聞いてくるな。オレがそんなに浮気性に見えるか?オレは『運命の番』としか一緒になる気はないし、出逢えなかったなら、オレは生涯独身でいいと思ってる。この仕事が好きだしな。これがオレの正直な気持ちだ。オレは兄貴たちがすでに跡取りは残してくれてるから、自由の身だ。子供が欲しい、と思うとしたら、その『運命の番』が現れない限り思うこともないだろうし、その番とだけ一緒にいられれば別に子供も必要ないと思ってる。ただ、その人を愛せればいい。それ以外のΩなど興味の対象じゃない」 「貴重なお話、ありがとうございました・・・」 ちょっと目頭が熱くなったが、泣いている状況ではない。その『運命の番』と認識されていない今の状況では、自分はただの家政婦と変わらない状態だろう。子供達もいる今の状況で、生活を守る為に自分が出来ることはなにか、と考えてみたけれど、引越しだってしたばかりだし、子供達のためにも生活環境を変えるわけにもいかない。記憶が戻るまで、もしくは『運命の番』だと思ってくれるまで住み込みの家政婦だと思ってくれてもらう方がいいのかもしれない。一度番ってしまった以上、僕自身だってこの人がいなければ、この次なんてないし、なにより番の解消がなければ、発情期がきたところで他のαを受入れることが出来ない。拒否反応がでてしまうからだ。ただ、この人はブレない人だということだけはハッキリとわかった。 笹山さんに事情を説明してもらう為に記憶喪失の10年分を補う方法を相談することにした。 目覚めた時の説明などは綺麗さっぱり忘れている様子だったからだ。 Ωとはいえ、同性の自分が何故、樹の傍で家事育児をして、同じ家で生活しているか、などの細かい部分の説明は、僕からの言葉では信じてもらえそうになかったからだ。プライベートな話にはなってしまうけれど、退院後の話なども早いうちからしておいた方が良いだろうし、まだ、意識が戻ったばかりなので、検査入院と顔に負ってしまった傷を隠す為の整形が必要だということなので、そのダウンタイムも含めて入院はしばらく続いてしまうとは思うけれど、その間にも日々、子供は成長していく。危機的状況を抜け出せていれば個室に部屋が移れる。その時には子供たちにも逢えるだろう。 管がだいぶ外れて入院服からパジャマに変わってからは僕が定期的に洗濯をするために荷物の入れ替えをする。その都度、欲しいものを聞いて届けてる状態だ。樹の中では僕はやはり『嶺岸家の家政婦』という位置づけとなって、それでもいい、と笹山さんに伝えた。 忘れた状況なのは寂しいが個室に移った翌日は子供たちの保育園、幼稚園も休日ということで2人を連れて病院を訪れることになった。昶は一瞥しただけだったが、浬を見た瞬間、樹は包帯の巻かれたわずかな隙間しか見えない目を見開いた。 「……どういうことだ?過去のオレがいる……」 幼少期が浬に瓜二つだとその言葉のみで絶句した。

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