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第113話(樹目線)

「顔に思ってることが書いてあるっておまえみたいな表情のことを言うんだろうな。おかえり、お坊ちゃん」 帰宅してリビングに入った途端にそれまでの笑みを消して忌々しいものでも見るかのような眼差しを向けてきたのは言うまでもないオレのコピーだ。 「……退院したんだ。おめでとう」 「どーも」 悪びれもせず素直に返事を返す。めでたいとは1ミリも思っていないだろうその子供はその反応が面白くないようで「チッ」と舌打ちをして「着替えてくるね」と雅に声をかける。まだ玄関にいるであろう雅は「はーい」と返事を返す。 やっと靴が脱げたのか、とてとてとてと軽い足音がしてきちんとしまっていなかったドアの隙間からちっさいのが顔を出した。 「パァパ!!おかーり!!」 と満面の笑みを向ける昶は無邪気に見える。 「昶もおかえり」 「あーい!!」 浬もこれくらいの愛嬌があれば可愛らしいのに兄の方にはその欠片も見つけられる気がしない。自分が愛想がないみたいで嫌な気持ちになるのは気の所為では無いはずだ。 そのままとてとて歩いてきて抱きつく子供に少し胸がキュンとしてしまう。両手を伸ばしても背中に届くか届かない短い手。素直な子は可愛い。浬と昶は顔の作りはよく似ているが、色素の薄さは雅譲りなのだろう。ふわふわの茶色い頭が胸の辺りでグリグリと額をこすってキャッキャと笑っている。 「昶、その前に手々洗わないとダメでしょ?パパに甘えるのはその後だよ?」 「あーい!!」 聞き分けもいい。浬にもこんなに時期があったのだろうか?抜け落ちた記憶の糸を手繰り寄せることも出来ない。きっとこの10年という歳月の中には色んな思い出が詰まってるはず。新しいはずの記憶と現在が一致しない。住んでる場所も鏡で見る自分の顔も、そしてこの幼い子供たち。そして何より自分を煙たがる長男と、嘘もつかなければ真実も言わない雅という存在。 雅は最低限のことしか教えてくれない。コーヒーの好みを知っているけど、口には出さない、自分が番だとも言わない。どうしてそうなったのかも教えてくれない。子供の親だとも教えてくれたのは浬だ。雅は何も言わない。聞いてもただ微笑むだけで肯定も否定もしない。自分に関わりのないことは聞けば丁寧に教えてくれるのに、それ以外のことは決して口にしようとしない。聞こうとすれば今にも消えてしまいそうな儚さで微笑む。自分がどうしたいのかなんて決められない。下手なことを口にしたらすごく後悔しそうな気がして、それでも『樹さんが進みたいように進むことが僕の願いです』と答えのない返事をする。『唯一無二』を求めてることを知っていて番になったのなら、何故それを言わないのか。強引に既成事実を作らされたのか、と考えてもそれでふたり子供がいることの矛盾。わからないことだらけだ。点と点が線にならない。繋がる糸口が見つからない。 『運命の番』だとしたら、雅もそう思っているのなら主張することだって出来るはずだ。先に否定をしたのはオレかもしれない。でも、これだけの時間をかけて距離を縮めたと思っても、掴みどころのないふわふわとした微笑みですり抜けていってしまうのが今、キッチンに立って夕食の準備をしている男だ。話を聞くように頷いたり相槌を打ちながら手元を動かしている。浬が見えない位置にいて話しかけているのだろう。昶は自分の隣にいて録画した子供番組を真剣に見ている。くるくると変わる表情はとても子供らしい。 もし、本当に番なのだとしたら、雅の頼れる相手はオレしかいないのでは?と思う。浬に噛めと言われた時は番にさせられるのかと勘違いしたが、番になるにはお互いに発情してないと無理だ。解除は簡単に出来るのに。 記憶の糸口は『雅の発情(ヒート)』にあると考えた。ずっと引っかかっている雅の匂い。あの匂いがたぶん好きで気になって仕方ないのだ。それをはっきりさせるまでは浬の言う『番の解除』は出来ない。一人でいたはずなのに、今いる空間の居心地がいいと感じてる自分がいる。それが日常であったと伝えてきている気がしてならない。記憶が抜け落ちてるとはいえ完全に外に落としたわけではないだろう。脳のどこかで眠ってるはずだ。10年と言っても芸能の世界ではかなり大きな差が出るだろう。 実際、事故にあった、というドラマの録画も見たが、今の記憶にある演技とリアルの演技を比べても演技の幅が違うと愕然とした。その役の台本を見ても自分の今の演技と感性が違う。 見たままを再現は出来ても新しい台本が来たらそれに対しての表現が変わってしまうだろう。それは人生を積み重ねたからこそできるものであり、10年前のオレでは出来なかったものだ。何の経験をしたらこの演技ができるのだろう? 人生において大きな何かがあってたくさんの岐路で選択を迫られたこともあっただろう。その経験から来る言葉の重みが違うのだ。演技なんて別の誰かを演じるんだから当たり前で、出来なくてはいけない、その役を作りあげるのは当然のことだし、答えなんてないのだが、途中からその役の捉えるニュアンスが変わってしまうのだ。この先の撮影を進めるにあたって今の自分がイメージしたキャラと画面の中のキャラがかなり違うのだ。どうしたものか悩むものだが、事故で中断してしまったドラマの続きをいつ撮るのか、はわからない。まだ入院してる役者やスタッフもいるとマサミさんから聞いている。死亡者が出なかっただけ救いだとは思う。その瞬間の記憶もない。自分もよそ見をしていたのか、瞬間を見たのかすらの記憶もない。実力の差をこうも見せつけられてはしばらくドラマに出る自信がない、というのが本音だ。 そんなことでも頭が痛くなる。 夕飯の片付けをしてる間に子供たちと風呂に入り、ドライヤーで髪を乾かしてる間にもうつらうつら始めた子供たちを布団に送り届けてから自分のドライヤーをかける。雅が風呂に入っている間、鏡に映る自分を見る。 ――何がそんなに自分を変えた? この瞬間にでもこの10年の記憶が戻ってきてくれないか、と願うが、そんなにことは簡単ではなさそうだった。

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