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第115話(樹目線)

病院を出る時に、誰よりも気遣ってくれた人。帽子に見覚えはなかったが、サングラスはオレのもの、マスクはオレが好んでしていた黒。帰宅して直ぐに淹れてくれたのは、オレ好みにブレンドされたコーヒーにオレの好きな具材を挟んだサンドイッチ。 それまでも毎日のように忙しい合間を縫って病院にノートパソコンを持ち込んで仕事をしている時すらあった。それでも傍にいてくれることが自然で当たり前のような気がしていた。 目の前のこの人は『本当は僕は家庭を持てるような人間ではなかった』と言うが、誰かに安らぎを与えられる人間は家庭に向いてると思う。少なくてもオレや浬、昶……子供たちにとってはまだまだ母親というものは大切な時期だと思う。何らかのきっかけがあって雅と共に生活をするようになり、子供を作ったんだろう。その話は雅からではなく後日現れる白石ファミリーによって告げられることになるのだが、頬を撫でられて気持ちよさそうにしている目の前の人を発情期(ヒート)まで待ってあげる余裕が今のオレにはないようだ。 雅は『特殊Ω』という体質で、『番』がいるからと言って他の‪α‬が匂いを感じないわけではないらしい。そういやどっかのバカが大学のサークルの飲み会で、でかい声で豪語し言ってたな。『特殊Ω専用の薬を作って通常のΩのようにヒートを抑制できる薬を作りたい』と。その時は『できるもんならやってみろ、今までだってほかの研究者ができなかったことをいくら大病院の息子だからって、そんな簡単に出来るわけないだろ』と鼻で笑ってやったことがあったな、と。もちろん当人に言ったわけでも、誰かに話したわけでもなく、心の中の声だったはずだ。今はそいつの言った『そんな薬』が喉から手が出るほどに欲しいと思っている。そいつ自体は気に食わない野郎だったが、雅のこの匂いを独占したい、他の奴らと共有したくない、という気持ちのほうが勝っている。そして、やっと触れられた思いから雅を腕の中で抱きしめながら横になっているのだが、無理やり発情させてしまうか、来週の発情期まで待つか、でオレの心の中同士で俗に言う『天使と悪魔』が戦っている。接近している所為もあり、その匂いは強く感じて『無理やり君』の方が優勢になりつつあって、若干来週まで待つ、選択の理性の方が不利な方向へ流れて言ってる気がしないでもない。 オレはどちらにしてもまだ、抜け落ちた記憶については公表されておらず、現場復帰できない状況下にある訳だから家事をするくらいなら全然大丈夫だし、雅も在宅ワーク的なテレワークメインで仕事をしているようだから、発情期を早めたところで大きな問題はないはずだ。 「何か大きな仕事を今週に控えてたりするの?外に出たりとか……」 口から出る言葉は悪魔の方の本能の囁きだ。言葉なく胸元に顔を埋めながらフルフルと頭を振るその動きは帰宅直後の昶を彷彿させた。あの可愛い仕草は無意識の雅に似てるんだな、と妙に納得してしまう。ただ、先程の昶のように『キャッキャ』と騒いでいないだけだ。(おとがい)を持ち上げこちらを向かせる。少し低い位置にあった顔を気引き寄せてキスをする。舌を絡めるとそれに応えるように舌を絡ませてくる大胆さももちあわせていて益々好みだと思う。 ――……甘い……甘いなぁ……これが運命の番だからなのか? ドラマでのキスは唇を合わせるだけで舌を絡めるようなキス、というのはほとんどない。全くない訳では無いが……それにしてもキスがこんなに気持ちのいいものだと初めて教えられたかもしれない。仕事ではないキス。自分が好きで好きでしょうがないであろう人物へのキスは酷く頭を陶酔させる。痺れるような、それでいて甘くて血液が一ヶ所に集まって行くのを感じる。 ――ん〜、これは本能が勝ちそうだな。 収まりがつきそうにない下半身に苦笑いしてしまうが、目の前の人が潤んだ眸でこっちを見るから、理性なんてそれだけで破壊されてしまいそうだ。 「ダメもイヤも聞きたくないな。雅さん、オレはあなたが欲しくてしょうがないみたいだ」 固くなった下半身の存在を躰に押付けて教えてやると、口を開けて真っ赤になる。そんな顔も可愛い、と思ってしまう。番であるなら散々セックスはしてきたであろうオレに対して、まだこの人は純情(ウブ)でいられるのかと思うと、この反応は反則だ。Ωをを誘うフェロモンは今にも吹き出しそうなほど我慢をしている状態だというのに……こんな制御のできない自分は記憶のある人生において経験のない事だった。

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