121 / 192

第121話

子供たちをチャイルドシートに乗せて、樹が珍しくハンドルを握るが、過去の記憶は車の運転を躰で覚えているようで、スムーズに発信して雅に道を指示されながら、その車を進めていった。最初は幼稚園、それから保育園。どうせなら昶も幼稚園に、という話も出たがまだ、幼稚園に入るにはもう2年ぐらい必要はらしい。もちろんお受験、という形になるから、準備はしなければならない。 2人を送り届けた車内では、安心したのかうつらうつらとして雅が眠たそうにしているが、ナビで自宅、と打ち込めば指示がなくてもそのまま帰れた。駐車場に車を入れると寝ぼけまなこのまま雅は車から降りて、よろよろとしながら歩き出した。その姿があまりにも不安定で、腰に手を回してくっつくように歩いていると、雅は顔を真っ赤にしてこちらを見上げていた。自分との間に二人の子供を産んだとは思えないほどの初心(うぶ)さに笑いそうになる。 いくつものセキュリティのドアをぬけてエレベーターの前に来たところで 「誰かに見られたら……」 と躰を離そうとするが、腰に回した腕はしっかりとホールドしていて雅の力では引き剥がせない。ジタバタしてるうちにもうすぐエレベーターが降りてくる。ドアが開く前に軽く口唇を合わせると余計にジタバタと真っ赤になりながら 「他人に見られたらどうするんですか?」 「危機管理が足りないです。あなた俳優でしょ」 そう言ってきたので、 「でも、オレらは番だろ?」 「……それは……そうなんですけど……」 と口ごもる。なんだか不思議な雰囲気だ。他人に極度に接近されるのは、元々好きでは無い。けれど、この人ならいいかな、という人がいるだけで周りの目などどうでもいい、と思えるということ。そう思える人と出会える確率の低さを考えると、コレはコレで楽しんでいい、という気分になる。 「少し休んでおいで?まだ怠さが抜けてないだろ?発情期の間は特に辛いだろ?」 「……樹……?」 リビングの前で後ろから抱きしめられて、雅に戸惑いの色が浮かぶ。 「……昨夜無理をさせたと思ってる……記憶が抜け落ちてるっていうのに……っていうか、だからなのかな……がっついた」 ぷッと雅が吹き出した。 「確かに、怠いのは怠いけど、それでも僕は嬉しいよ?ただ、『唯一無二』って思ってくれたのかは言ってくれないとわからないけど……」 「……オレはどうでもいい人間は、本当にどうでもいい。少なくとも発情期( ヒート)を早めるくらいにはあんたの匂いが気になっていたし、それは意識が戻る前からだ。あんたの匂いだけずっと感じてた。そんな記憶はあるのに、肝心なところが抜け落ちてるって、オレもすごいモヤモヤしてんの。うっすらとあんたの発情期期間は大変だって認識があるくらいだから、躰が覚えてることもあるんだと思う。」 雅は静かに樹を見つめる。樹の抱える不安も感じてるのかもしれない。向き合って抱き合うような状態になっているが、雅はそっと樹の首に腕を回して肩口に額を押し付けて 「……思い出さなければよかった……そんな記憶があったとしても……取り戻したいですか?」 「……なに?その不穏な言い方……隠しておきたいことでもあるの?」 「いえ……隠しておきたいこと……とは違いますね、起きてしまったことは変えられないので…」 含みを持った言葉は気になるが、今は触れるな、と雅の表情が告げてる気がした。そのまま雅の髪を撫でていると、目が細められる。 「少し休んでくるといい。仕事があるならその時間に起こすけど?急ぎがなければ迎えに行くまで眠っておいた方がいい」 「すみません、先にメールを入れときますが、一応、午後一に報告のミーティングがあるので、その前に起こしてくれたら嬉しい……かな……」 そう言いつつも申し訳なさそうな表情(かお)をする。 「ガキみたいにがっついたのはオレの方だからな、Ωよりαの方が体力はあるんだ、遠慮することはない」 困ったように微笑んでる雅を見て、そんな顔をさせたい訳ではないのに、と胸が痛む。きっとこの人を手にした時から、大切にしてきたんだろうな、と思いが()ぎる。1日、1日、と経過していく度にこの人が好きなんだ、と実感していく気がする。 確実に『唯一無二』だと言ってあげられたら、雅はどんな風に笑ってくれるのだろうか? どうでもいい訳じゃない。 でも、『唯一無二』だと言いきれない。 それが雅を不安にさせてることはわかってる。 その手を取ることも離すことも出来ずにいる中途半端な状態で縛っている自覚はあるが、こればかりは、この樹の中の気持ちと、折り合いをつけていかなければならない。足りない記憶を手繰り寄せようとしても空を切るような、そんな感覚でしかないのだ。

ともだちにシェアしよう!