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第122話

携帯からツヴァイと大山宛にメールを送信してベッドルームにある大きなベッドにひとり横たわる。無意識にベッドの片方を空けて横になってしまう。この部屋は防音になっている。窓もドアも閉めてしまえば無音空間になる。 一人で寝るには大きすぎるベッドに陽の高い時間帯に寝てしまうのはもったいない気がしたけれど、静かな部屋で瞼を閉じるとすぐに眠気が訪れた。ベッドに樹の匂いが色濃く残っていることに酷く安堵を覚える。 こんな風に誰かを好きになって、匂いに安堵する日が来るとは思ってもみなかった。たまたま周りにαがいただけで、αもΩも全体的な人口の割合としては極わずかなもので、雅の母親もβだし、大山もβだ。会社には多くのβがいるが、身近な女性はだいたいβだし、人口的な割合から見ても95%以上はβだと言っても過言ではないだろう。 その中で『運命の番』という都市伝説に近い存在を信じていた訳ではないし、自分には無関係で出逢えるものだとは思ってもいなかった。 一定の年齢まで耐えきれば、子供を産めない年齢になる。そうなればΩであっても、その価値は下がって需要が無くなる。その時を待てばいい、その程度のことだった。子供が欲しいと思ったこともなければ、αを産むためだけに利用される気もサラサラなかった。 だから隠れるように仕事をして、発情期だけ逃げきれば、仕事は楽しかった。 Ωのフェロモンはαもβも惹きつける。 特に雅のフェロモンは発情期でなくても感じる人は感じるほど常に流れ出してる状態だからこそ、発情期が始まってからでは薬は一切効かない。その一週間前から抑制剤とピルを飲まなければならない。長年の週間になっているから、飲むことは苦ではないけれど、今回のようにズレたりするとその周期に変わるから、その先の2ヶ月後に印をつけておく。 樹と出逢ってから周期が短くなってしまった。学生の頃までは3ヶ月に1回だったのに、関係を持ってから周期が短くなった。これ以上短くなることはないだろうが、より子供を作りやすくなっていることは事実なのだろう。 ただ、体質的な問題と中絶のことさえなければ、医師との相談も減っていたのかもしれないと思うと、不注意から色んなことがあったのを思い出す。あの一件で死なせてしまった父親のわからない子、半年もの間、親や樹に迷惑をかけた。浬が生まれるまで樹と社長以外のαに恐怖を抱えていたこと。 外に出ることさえ怖かった。でも、それ以上の恐怖は樹が事故に巻き込まれて意識がなかった時だ。いつ、命が失われてしまうのか、ということに恐怖した。外傷こそ少ないのに、頭を強く打っていることが大きく影響していた。 目を覚ましてくれた時は嬉しかったが、自分たちの記憶がないことに呆然として、でも、生きててくれたことに安堵した。過去がなくてもこれから先、樹がどんな選択をしてもそれを受け入れようと思った。樹に言われた言葉に涙が出そうになった。 『今までの思い出よりこれからの未来を作っていけばいい、って言ったのはあんたなのに、その先にあんたが居ないのはどうして?子供たちを産んだのはあんたなのになんで?』 樹の気持ちが少しでも自分に向けられたと言うだけで、すごく幸せな気持ちになれた。発情期を早めてまで求めてくれたことも予想外で、幸せだと感じてしまう。雅には番になってしまった以上、樹しかいない。だから『唯一』の存在だ。他のαもβも受け付けない、ただ一人のためだけに躰を開く。 仕事だって条件が良かったから決めただけで、芸能の裏方がどうしてもやりたかったわけじゃない。でも、自分の案が通るのは気持ちいいし、形になったものを見るのは楽しい。 在宅でしていてもテレビを見てれば広告は流れる。制作サイドに直接関われないことだけが残念だが、社長がαを含めたβの人が勤める営業部を設立し、別フロアでβとΩを中心とした企画部と現場に出るスタッフを分けた。 そのおかげでテレワークという自由な形での勤務も許されたし、社長の人選も確かだった。 こうやって午前中から微睡みの中にいても仕事は進んでくれる。その思考を手放すまで3分とかからなかった……

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