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第127話

「復帰……?」 「そうよ!!そろそろ戻らないとね。新しい仕事も入ってきてるけど、あなた半年も休んだんだから!!半年よ?もう半年!!さすがに断り続けるにも限度があるのよ。当面はドラマの撮影は入れないようにしてるわ。CMと雑誌の撮影中心で、って思ってくれていいわ。」 「……記憶が無い部分はどうしたらいい?」 「樹が覚えていなきゃいけない人リストは特にないわ。その都度、あたしがフォロー入れるから、樹はそのタイミングで覚えて。あんたの記憶力なら1ヶ月あれば全員覚えきれるだろうから心配はしてないの。ただね、事故のことは聞かれると思うの。それは正直に言っていいわよ。瞬間の記憶はないって。」 「……それは本当にないから言えるけど、相手との距離感がわかんねぇよ……」 不安要素はあげていけばキリがない。あの事故の時のドラマ撮影だって、途中で打ち切りになったけど、あの演技ができる域に自分がいないということを痛感してる。デビューの時だってこんな不安になったことはない。 さらに自分の記憶は10年分消えている。その10年にたくさんのことが凝縮されていることはこの家の中をみたって、どこもかしこも変化が多くある。浬は相変わらず敵意丸出しでいるが、昶は懐いてくれている。 これまでに稼いだ金と雅の収入を考えれば生活ができないわけじゃない。雅はマメなタイプで、どうしても外出しなければならない時のために、冷蔵庫に作り置きを作ってくれているし、自分が体調を崩した時ように、とそのまま温めれば食べれるものも栄養のバランスを考えて作られている食材も冷凍されている。それが定期的に入れ替えられる。 「なぁ、マサミさん、オレが思い出さなければよかった、って思うようなことって存在してるのかなぁ?雅が……そんな記憶あっても思い出したいか?って言ったことがあったんだ……」 笹山はそれまで急かすように話していた口を閉じて樹を見つめた。 「……雅さんが直接話してないのなら、あたしが言うようなことじゃないと思うんだけどね……あの子、1度精神を壊してしまったことがあったの。樹が原因じゃないわよ?自我を完全に捨てていたのに樹以外のαを一切受け付けなくてね……お母様と大山さんくらいかしら……ずっとそばについてて……あなた達が番になるって決まった出来事ではあるけど……雅さん自身が思い出すのは辛いことじゃないかしら……」 何らかの出来事が雅の身の上に降りかかった。その時、樹自身はすでに雅と出逢っていて、雅に言い寄っていた、ということになる。そして、特殊であるが故に雅は番になることに戸惑いを感じていた。 うっすらと大山という人物を責めた記憶が浮かんでくる。彼女はβで雅のツヴァイでのパートナーで、クローバー社の広報も一緒にやってるはずで、現在進行形で一緒に仕事をしてるはずだ。顔は思い出せないが、泣いてた気がする。深々と頭を下げてひたすら謝っていた。 最悪のケースが頭に浮かぶが、それが違っていて欲しいと思うが、心を壊すほどの出来事となると、Ωの大半が思春期の初めての発情期を迎えると同時に起こりやすい事件だ。 ツヴァイは最近になって企画と営業を分けた。だからテレワークでも、雅は企画書を出して、テレワークでのミーティングでプレゼンをして採用されたら、営業部門の人が現場でその現場で要求するものも企画の趣旨を上手く読みとって制作されてる、と雅が話していた。『イメージ通りのCM』が出来上がっている、と喜んでいた。たぶん、企画の段階から営業部門でもミーティングを見ているのだろう。 αとβが中心にペアで行動するところは変わらないようだが、テレワークになって余裕が出来ているのか、よくモデルの依頼をされるクローバー社の子供服部門のスチールやCMを作っていた。クローバーの社長の白石玉妃は男性Ω嫌いで有名だ。なのに、秘書の1人に男性Ωが居る。仕事で男性は信用するが、プライベートで肌を合わせるのは女性だけ。確か、パートナーはβの雅の仕事のパートナーの大山のはずだ。 雅は大山を信頼している。仕事のこともあるのなら、近々来てもらうのはどうだろうか。 「わかりました。CMも最初はそれほど多く入れないでください。あのドラマの時の気持ちに、まだ、オレの演技は到底届かないって凹んでるとこなんっすよ。クローバーからのオファーとかあります?」 「あるわよ。あの社長には世話になりっぱなしだから、心配されてるわよ。事故の時だって子供服の撮影中で、白石社長の車で雅さんに来ていただいたんだから。雅さんが事故を起こさないように、って。かなりパニクってたからね……」 自分が同じ立場になったら、やっぱり動揺はするだろう。頭を強く打った結果が、記憶の欠落なのだから。

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