雅の母にもその経験はあったようで、『あ〜、あの長いやつね……』‪思い出したくもない、といった遠くを見つめるような表情で、棒読みのような言葉を紡いだのは少し笑ってしまった。α‬が発情してしまえば、それは本能で体がそう作られているのだから仕方のないことだ。 ｢こんなことを話すのは樹さんに申し訳ないんだけど、本当はね、私と同じβに産んであげたかったの、駿は‪……兄の方はα‬ってわかってたから、雅ができた時にね、主人は‪α‬で私がβだからα‬かβに産まれてくるって疑わなかったわ。でも、3歳児健診の時にΩだとわかって…… いざ発情期が来たら家中大騒ぎ。雅は駿に押し倒されて泣いてるし、主人も鼻を押さえて『やばい』しか言わないし、2人から引き剥がして病院に連れて行っても、なんの抑制剤も効かなくて、完全個室で入院させても‪α‬の先生たちも入口までは来るんだけど、そこで匂いを嗅ぎ取ってヒート直前の状態になっちゃうから中には入れないし、βの看護師さん達も発情させちゃうし、Ω同士なんて共鳴しちゃって。｣ そこで、フーっと息を吐き出した雅の母は当時は途方に暮れたらしい。 ｢数日経ってね、少しフェロモンが落ち着いた隙にβの看護師さんで一人、雅のフェロモンに流されにくい人が現れたの。その人に血液採取してもらうのが精一杯の作業でね。それでもかなり大変だったみたいで、血液採取するだけで、かなり疲労困憊なさってたわ。 そこからわかったのが、薬が効かないΩ。それでもお医者様と何度も試行錯誤して今の薬の飲み方に落ち着いたの。全く匂いが漏れないわけではないけど、飲まないよりマシって状態。雅には、普通に産んであげられなくてごめんね、としか言えませんでした。｣ たまに子供の面倒を見に来てくれる雅の母には感謝している。発情期以外は子供たちを学校や保育園に連れてった後にテレワークとはいえ、仕事をこなしている。食も細いし、子供たちと比べても、少し少ないくらいではないか？と思うほどだ。 ‪α‬は体が頑丈な分、よく食べるし、成長ホルモンも多く出るのか、平均身長よりも高いのに比べ、Ωは170cm前後で止まることが多い。小柄なタイプだと女性の身長と変わらない位の小柄さだ。雅はかろうじてβに見えるくらいの身長がある、と言っても170cm弱だ。150cmや160cmくらいで止まるΩも多い。それでも185cmある樹と比べたら小さいと言える。ただ、‪α‬は大概180cmは標準身長である為、それより少し大きいと言ったくらいだ。 役者としては多少見映えがいいくらいとしか思っていない。体型はモデル体型だから、モデルをやる時にピッタリのサイズに合わせるとオートクチュールになる為、その服を貰うことも多い。クローバー社でのスーツやタキシードを多く所持してるのもその為だ。 ｢あんたと同じスタイルのヤツが早々いると思うなよ？標準より手足が長いとか嫌味にしかならないんだよ｣ あの社長らしい言い回しで言い放つ。自分に合わせたサイズを選ぶとどうしても手足の長さが足りない。けれどもそれより大きいサイズを探そうとしてもなかなか見つからない。デニムにしても裾上げどころか裾足しが必要になるから、ウエスト似合わせて買うことも早々は出来なかった。 カジュアル的なものも作っているクローバー社には感謝すらしている。市販の服がどうしても合わない樹にとって、ありがたい会社だ。 他にも服飾系のモデルはしてきたが、やはり最初に用意された服は身長やウエストはクリア出来ても手足の長さが足りないことが多く、特注で作る形が多かった。 ドラマ衣装についても同じだ。半袖の時は何とかなっても、長袖やパンツについてはどうしようも出来ない。上は用意してもパンツは足元を映さないという手法で撮った時もあった。 1度写真集を出すことになった際、全ての衣装をクローバー社に頼むことすらあった。デザイナーとデザインを決めて、オーダーメイドで作る。もらってばかりでは申し訳ない、という理由が大きく、ギャラが入る仕事に白石も広告料として宣伝が出来るから別にギャラはいらない、と言ったが、そこはお互い仕事だから、と飲んでもらった。 まだ、クローバー社も今ほどの強いブランド力がない頃にさえ、あの社長は地道に自分の事業を拡大していった。最初からあの社長は自分の信じる直感で仕事も私生活も満たしている。 大学時代にこの女に自分の子供を産ませたい、と思った相手に一途にそれを貫き通し、今では嶺岸家と計画出産をするほどだ。 お互いの子供の性別は違うものの、双方‪α‬だからそこに縁があるとは思わないがモデルとしてはいいライバルになっているようだった。 どちらかの家庭にΩが誕生した時には、その均衡が崩れてしまうかもしれない。樹はバース性はどうでもいいと思っている。 生まれ持ってしまったものは仕方ないし、それでも番がいる現実がここにある。 自分の為に命懸けで子供を産んでくれる相手がいたのだから、それが男だろうが女だろうが、Ωで子供が産める人に変わりはない。