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第161話
「初めての発情期以来の発情期 は本当に苦しかった……αのフェロモンにこんなに簡単に引き摺られるものなんだとも初めて知りました。でも、その後に触れ合った肌が……嫌じゃなかったんです。樹の匂いも、躰を重ねたことも。」
どこか懐かしむような、心はここにないような表情で、淡々と雅の口から過去のことが初めて語られている。
「僕は仕事の最中に……軽く発情期に入ってしまったことがあって、ヒートを起こして匂いが漏れてたんでしょうね……撮影スタッフに引き摺られるようにしてホテルに連れ込まれてしまって、5人……だったかな……次々に輪姦されてしまいました。
でもその時のαの匂いはどれも臭く感じて、気持ちが悪かったんです。たぶん、すでに貴方に抱かれていた身だったからでしょうね……細胞が貴方しか受け付けない躰になっていたんだと僕は思います。番の契約なんてまだしてませんでしたし、貴方の腕の中にいた時には僕の決心がついていませんでした。
気付いた時には貴方以外のαが怖くて仕方ありませんでした。僕には貴方しかいない……だから番になることが必然で、僕の信じた『唯一の存在』と貴方が言う『唯一無二』が合致した瞬間だったんだと思います。ただ、これは僕側の意見です。もし、他に唯一無二の人が現れたら僕は身を引きます。だって『運命』には逆らえないから……」
そう言って薄く微笑む雅がやけに儚く見えた。
――この人は手放したら……
最悪のケースが頭をよぎる。けれど決してそれは間違ってはいないと思う。この人は誰かに躰を売ってまで生き延びたいと思う人間じゃない。そして、番を解除したら絶対に後悔する。
それが痛いほどわかる。最初に雅を見初めた時の気持ちだけでいい。それだけわかれば安心させてあげられるのに……
――でも、その時の気持ちに不純物が混じっていたとしたら、オレはどうする……?
頭の中で正義と悪が戦ってると言うのはこういうことかもしれない。安心させてあげる言葉を紡ぐことは簡単だ。けれど、万が一があった時、それが嘘になってしまうことが残酷だと思えた。安堵を与えておいて裏切るのだ。
けれど、雅以外の相手が抱けるのか、と聞かれればそれは「NO」だ。答えが出てるはずなのに、安心させてやれる言葉はかけてあげられないのは何故なのだろう?
芸能関係者にΩが集まりやすいのはわかる。世界の人口の0.3%しか居ないはずのΩの中からたった1人を見つけ出すことがどれだけ大変なことか、αより圧倒的に数が少ないΩだけに、αだから必ずΩを選ぶとは限らない。
トップモデルの大半もαで占めているΩの身長はとても小柄が多いから、というのもあるし、スタイル維持がしやすいのもαの特徴だ。Ωは逆に小柄で、女性的で、体型もβのように人それぞれだ。その中でも雅は元々食が細い所為もあって細身でいる。人類の大半はβである。
浬の学校ですら高学年からバース性でクラス分けされるほどだ。αだけのクラス、βだけのクラス、Ωだけのクラス。発情期の時に事故を起こさない為、その対処に特化したクラスで教育を受ける。Ωの発情期がいつ訪れるかわからないから、というのが第一だった。
加えて性教育についても、αやΩはそれぞれ特別な指導を受けなければならない。αはΩを誘うフェロモンの出し方だったり、Ωは発情期に備えて抑制剤を飲んだり、出産についてのリスクや知識だ。全てがマニュアル通りではないが、αのフェロモンアプローチはΩに対する求愛行動でもある。大半のΩは引き摺られて発情をするが、中には相性の合わないΩもいる。
そういった時にはΩからのフェロモンが出ない為、発情状態に2人が陥ることはない。αの場合は優秀遺伝子と言われていても、Ωの発情に引き摺られて発情してしまうのが本能として備わっている。良くも悪くもより良い遺伝子を残すためにΩはαとの間にαを産みやすいという特性もある。隔世遺伝でβ同士の間にもαやΩが産まれることもあるが、その数は少ない。
雅や川嶋のような男Ωは特に稀少でいて、金持ちαの間では、高額な人身売買もあると聞く。守られてきたΩとは対象的に自分で見を守らなければならないΩもいるのだ。薬も買えない貧しい国では身を売ってお金を稼いで、買えるのは抑制剤ではなくアフターピルだ。
この国ではそういった身売りの仕方はしないだろうけれど、雅の性格を考えれば、はぐれΩになったとしても、その道を選ぶことはないだろう。
不本意な関係を持たされたら、雅は耐えられないだろう。なるべく外に出さないようにしないとならない、と樹は改めてそれを感じていた。
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